百人一首の39番に、参議(さんぎ)等(ひとし)の歌があります。
好きな歌のひとつです。

浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき
(あさちふの をののしのはら しのふれと あまりてなとか ひとのこひしき)

「恋しき」と書いてあるから、この歌は「恋の歌」である、と解説されることが多いのですが、歌人がこの歌を詠んだときの歌の意味と、藤原定家が百人一首の中でこの歌を紹介したときでは、歌の意味というか、歌を通じて伝えようとしたものが異なります。

和歌というのは「察する文化」です。
表向きは、わずか31文字です。
けれどその31文字の中に万感を込めているのです。
詠み手の万感がどのようなものであったのか、それを読み手が自分の頭で考え、察するのです。

そして百人一首は、そんな古今の和歌を藤原定家が百首集め、それらの歌を順番に並べ、百人の百首の歌を、ぜんぶまとめて一変の叙情詩にしたものです。
ですから当然、その並びにも歌にも、藤原定家が伝えようとした想いが乗っています。

この参議等の歌は、前半にある歌です。
日本が成長し、平和で豊かな時代を築き上げようとし、その努力が実り始めたころの歌です。

歌人名の参議(さんぎ)等(ひとし)の参議は官職名です。
等(ひとし)が名前です。
本名は源等(みなもとのひとし)で、嵯峨天皇の曾孫です。

「○○さん」とお名前をお呼びする場合と、「○○部長」や「○○課長」とお名前をお呼びする場合とでは、意味が違います。
一部の大手メディアや、メディアに登場するコメンテーターさんたちは、総理や副総理のことを、「岸田さん」、「安倍さん」、「麻生さん」と呼ぶことが、まるでならわしでもあるかのように行われています。
けれどそうした呼び方は、日本語としては間違っています。
なぜなら、私的な・・たとえばゴルフのスコアがどうだったとかいうことを述べるときには「岸田さん、安倍さん」で良いのですが、国政に関することを論評するときには、あくまで「岸田総理、安倍総理」でなければならないのです。
もちろん、野党議員でも同じです。

なぜなら呼称は秩序をもたらすものだからです。
秩序がなければ、社会は成立しません。
そして人は、人々という集合体の中・・・いまの時代で言うならば、日本という国家の中において、その一員として生活しています。
「俺は自分で人生を切り開いて生きているのだ」と仰る方もおいでになりますが、そういう方であっても火災が起これば消防署のお世話になるし、犯罪被害にあえば、頼るところは警察です。
病院で使う保険証も、国という集合体の中で営まれています。

要するに人はひとりでは生きていくことができないのです。
人類社会は、あくまでも集合体です。
ひとりひとりは、人間の体の中の細胞と同じです。
それぞれに役割があって生きているのですから、そうした集合体における役割を互いに自覚していくためにも、呼称はとても大事なものといえます。

最近は親子兄弟の間でも、子が母をつかまえて「○○ちゃん」と呼ぶことが、あたかもかっこいいことであるかのようにいわれています。
これもまたおかしな現象です。

わが国では、その中にいる最も年少の者の視線に合わせて、互いを呼ぶというのがならわしです。
それは、もっとも年少の子を大切にしていこうという、わが国独特のやさしさのある文化に基づくものです。
そうした日本文化は、これからも大切にしていかなければなならいものです。

百人一首で、歌人の名前が役名で書かれているなら、その歌は「職務に関連する歌」です。
従いまして、この歌を百人一首として鑑賞する場合は、「人の恋しき」とあるから、男女の恋の歌だとばかり凝り固まったような頑迷な解釈をするのではなく、何か参議という職に関することを詠んだ歌であるとして解釈するのが、正しい姿勢です。

そこで歌を、読み返してみると、まず冒頭に
「浅茅生(あさちふ)の小野の篠原(しのはら)」とあります。
「浅茅生(あさちふ)」の「茅(ち)」という字は「かや」とも読みますが、ススキのことです。
ススキはイネ科の植物で、穂は食用、茎や葉は屋根材として使われ、そうした屋根のことを「茅(かや)ぶき屋根」と呼びました。
また東京証券取引所のある東京・茅場町は、もともとススキ畑であったところだから「茅場(かやば)」という名が付いています。

その「茅」が「浅く生えている」から「浅茅生(あさちふ)」です。
この場合、浅く生えているというのは、「ススキがまばらに生えている(見えている)」ことを意味します。
生えている場所が「小野」、つまり「小さな野原」です。
その野原がどのような野原かというと、それが「篠原(しのはら)」です。
篠原というのは、笹が群生している原っぱのことを言います。
つまり「浅茅生の小野の篠原」というのは、「笹が群生し、ところどころにススキが生えている原っぱ」という情景です。

続く「忍ぶれど」は、耐え忍ぶの「忍ぶ」です。
この上の句は、非常におもしろい構造をしていて、「忍ぶれど」が、「茅」と「篠」の両方にかかっています。
つまり
「ススキと笹(ささ)のように耐え忍ぶ」
と詠んでいるわけです。

なぜ耐え忍ぶのか。
その答えが下の句です。

下の句には「あまりてなどか人の恋しき」とあります。
「ありあまるほど、人が恋しいからだ」
と述べているわけです。

「参議」という役職は朝廷において左大臣や右大臣、あるいは左弁官、右弁官などの、いまで言ったら大臣や閣僚といった組織上のラインとは別に置かれた令外の官です。
唐名(漢風名称)ですと宰相にあたり、わが国では四位以上の位階を持つ廷臣の中から、才能のある者を選んで大臣とともに政治を参議する役職です。
これで和訓は「おほまつりことひと」です。

明治新政府では、西郷隆盛や木戸孝允、大隈重信などが参議職を務めています。
政治上の、たいへんな高官であるとわかると思います。

そして政治上の高官は、政治的意思決定を行う人達です。
政治上の意思決定は、当然のことながら大きな責任を伴います。
また政治上の意思決定には、常に反対意見がつきまといます。

これは当然のことで、ひとつの新たな政治的意思決定を行う・・・つまりなんらかの行政上の変更を行えば、必ず従来の既得権益者たちは、その既得権益を失うことになるわけです。
どんなにそれが素晴らしい未来を拓く意思決定であったとしても、特定の既得権者たちからすれば、自分たちの特権を奪われ、失わされるのです。
反対の狼煙(のろし)があがるのは当然です。
意見の食い違いは、これまた必ず、意思決定権者個人に対する恨みにつながります。
ですから政治的意思決定者は、必ず、ねたみ、うらみ、そねみ、足の引っ張りあいに遭うことになるのです。

それでも参議であれば、国政を良い方向に向けるために、意思決定をしなければなりません。
どうして、人の恨みや、ねたみ、そねみを買ってまで、意思決定者となる道を生きるのかといえば、その理由を源等は、「ありあまるほど、人が恋しいからだ」と述べているのです。

ですからここでいう「人」というのは、恋しい女性のことではありません。
あくまでも「おほみたから」である民衆のことです。
民衆のことが、ありあまるほど恋しい。
だから、どんなに風当たりが強くても、正しい道をつらぬくために、参議としての職をまっとうするのだと、参議等は述べているわけです。

ススキも笹も、どんなに強い台風のような大風が来ても、風にそよぐばかりで、決して倒れたり、折れたりしない植物です。
笹もまた、細身でありながらも、しっかりとした茎(くき)に、節(ふし)を持ち、しなやかに、しなって決して折れない植物です。

ですから源氏の家紋は、源氏笹(げんじざさ)です。
俺たち源氏は、何があっても決して心が折れたりしないのだ、という決意が、源氏の定紋となっているのです。
ちなみに、後の世で源氏が愛した能楽が行われた能楽堂には、必ず源氏笹と呼ばれる笹の絵が壁に描かれています。

つまり、
「浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき」
と、参議等が詠んだこの歌の百人一首上の意味は次のようになります。

「ススキが点在している笹の原っぱ。  そのススキや笹は、  大風が吹いても  柳に風と受け流して  決して折れることはない。  同様に、どんなに耐えがたい苦難があったとしても  俺は参議として、   その苦難を柳に風と受け流し、  立派にこの仕事をやり遂げてみせる。  なぜならそれは、  おほみたからである民衆のことが  ありあまるほど強い気持ちで  恋しいからなのだ」

もちろん、この歌を単なる恋の歌と読むのも、それはそれで良いことです。
歌をどのように鑑賞するかは、その人それぞれですし、恋は、自分のすべてと思えるせつない熱情でもあるからです。
けれど、歌を少し深く読めば、参議という官職にあって「人の恋しき」といえば、それは参議としての権力に物を言わせて恋しい女性を口説くというような浅はかなものではなく、なにより民衆を大事に思う、激情にも似た強い気持ち」を詠んでいるとわかります。

とりわけ男の愛は、古来、責任を伴うと考えられてきたのが日本社会です。
女性の愛は、まさに愛そのものです。
全身全霊を込めて相手の男性のことを思う。
これはおそらくは子を育てる女性の母性からきているものであろうかと思います。

けれど男の愛は、その妻子を責任持って養っていくところにあります。
わが国では、男子であれば、ただ妻子のことを思うだけでなく、また知行地を持つような高官であれば、その知行地に住む人々の暮らしまでをも含めて、自分の庇護下にあるすべての人々が、すこしでも豊かに安全に安心して暮らして行けるように責任を持つ。
それが男の愛だと考えられてきたのです。

これが日本の文化です。

個人的にこの歌が好きなのは、これはどのような仕事をしていてもあることですけれど、何事かをしようとすれば、必ず、少し極端な言い方をすれば、利害の衝突や闘諍(とうじょう)、あるいはもっといえば戦いがあるものです。
悪口や中傷を受けるくらいは、ある意味、あたりまえのことでもあります。

そしてわが国は、大陸や半島と違って、反対意見を持つ者だからといって、軽々にその人達を8000万人も虐殺したり、北の共産党員かもしれないというだけで、数百万人を虐殺したりするような、横暴な文化を持ちません。
たとえ、敵対し、対立していたとしても、どこまでも話し合いを重んじ、相手の立場や思いを尊重しながら、ともに生きていくというのが、わが国の古来からの文化です。

従ってこのことは、何事かをする人は、常に反対者や悪意ある中傷をする人たちと共存していくしかないという、選択しかないことを意味します。
何事かをする人は、常に反対者や悪意ある中傷をする人たちと共存していくしかないものです。
それでもどうしてがんばるのかといえば、「あまりてなどか人の恋しき」だからです。
これをわが国では、古来「正義」と呼びます。
わが国では「愛こそが正義」なのです。

※この記事は令和元年10月のねずブロ記事のリニューアルです。

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