歴史のことを英語で「ヒストリー」と言います。
これはもともとが「ヒズ・ストーリー(His Story)」から来た言葉で、直訳すれば「彼の物語」です。
つまり歴史というのは「過去の出来事を時系列に沿ってストーリー化したもの」のことです。

戦後の日本では、昭和20年にGHQによって歴史教育が禁止されて墨塗りになり、昭和22年に文部省の通達によって歴史教育は公式に禁止。代わって社会科が誕生しました。
歴史科と社会科は、まったく違います。
社会科は、社会の常識を教えるお勉強です。
ですから、
(問題)鎌倉幕府は何年に成立しましたか?
(答え)1192年です。ただし1185年という異説もあります。
が正解です。
おもしろいもので、社会科は文系でありながら、常に設問に答えがあるのです。

これが歴史学になると、
(問題)どうして頼朝は鎌倉に幕府を開いたのか、その理由を説明せよ。
といった設問になります。
理由を書いた当時の文献史料はありません。
けれど鎌倉に幕府が開かれたことは、歴史的事実です。
この事実に基づいて、証拠をもとに仮説や推測を立てていく。
それが歴史学です。

ここにファンタジーが入ると、文学になります。
ファンタジー的要素を取り除くと、歴史になります。
どちらも文系学問であり、正解はありません。

文系に正解を求めることは、完全小説を求めることと同じです。
そのような小説は、この世にありません。
だからそこに面白さがあります。

人の世そのものだからです。
人の世に正義正解はありません。
何が正しいかなど、神様でもなければわかるものではありません。

仏教やヒンズー教の教えには、死後にその人の生前のすべての行いの正邪善悪の行いが裁かれるとされていますが、たとえば人を殺したら死刑だけれど、戦場ではそれは正義です。
果たしてどちらが正しいのか。そこに答えはありません。

だから死後に裁かれるのは、その人が三次元の現世で、どれだけの挑戦をしたかのみであると言われています。
霊体では、物に触れることができません。肉体的精神的苦痛もありません。
私達はこの世に生まれ、肉体を持つからこそ、物に触れ、人のぬくもりを感じ、よろこびやかなしみを得ることができます。
そのために生まれてきたのです。
だから、どれだけ誠実にチャレンジしたか。
成功や失敗は、あの世では関係ないのです。
財産を得ても、それは今生限りです。
けれど、何かに挑戦したその経験は、魂を成長させます。

だから悪いことをいくらやっても良いということにはなりません。
それは魂の穢れになります。

魂の穢れは、行為によって生じます。
つまりチャレンジをすれば、そこに必ず穢れが生まれます。
まして欲望や無知があれば、さらに人に迷惑をかけてしまいます。
穢れは魂に害を及ぼし、個人の成長や精神的進化を妨げます。

だから日本では「祓い」を行います。
これは西洋的な「祈り」とも違うし、「懺悔」とも異なるものです。
祈り、悔い改めれば穢れが消えるというものではないというのが、日本古来の考え方なのです。

体の汚れは、洗えば落ちます。
同様に魂の穢れは、祓って落とします。
そうしてまた、前に向かって進んでいくのです。
それが人生のチャレンジだ、というのが、日本古来の思考です。

歴史という学問も、古来そこに焦点があります。
過去を学び、どうしてそうなったのかを問い、いまの問題点を把握してその改善に努力する。
歴史はそのための学問です。
学校のテストで良い点数を取るための、現代的「お勉強」とは違うのです。

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