昔からよく言われる言葉に、
「体斜めなら、影斜めなり」
という言葉があります。
これはとても重要な言葉で、自分ではまっすぐのつもりでいても、知らず識らずのうちに曲がり、ゆがんでしまっているということは、よくあるものです。
先日、ある方から聞いたのですが、新入社員の面接をした際に、やってきた若者に前職を訊ねると、
「はい。オレオレ詐欺やってました」と、実にあっけらかんと答えたのだとか。
本人は、儲かりさえすれば何をやっても良いくらいに思っていたようだけれど、それが実は間違ったことなのだということが、わかっていない。
だからなんの罪悪感もない。
現代刑法は、責任性といって、本人に罪の意識がない場合、その責任を追求できない仕組みになっています。
責任の自覚がないのです。
ならば、罪に問うことさえもできない。
そうなると、なまじ責任感など持たない方が、人生を有利に過ごすことができるようになってしまいます。
このこと自体が、明治以降に日本に入ってきた西洋的法理論の大欠陥ですが、それはそれで深い話になるので、また別の機会に。
日本では、古来、霊(ひ)が本体であって肉体は乗り物にすぎないと考えられてきました。
その霊(ひ)が真っ直ぐに生きているかどうか。歪みがないかどうか。
そこらへんは、子供なら、親がしっかり監督してくれるのかもしれないけれど、社会人になったら、自分で自分を律する以外にありません。
やっかいなのは、ゆがんでいるかどうかは、なかなか本人に自覚できないこと。
あたりまえです。
自覚できるくらいなら、とっくに直している。
ということは、人生におけるひとつの課題が、
「どうすれば自分を常にまっすぐにしておくことができるか」
ということになります。
自分では歪みを自覚できない。
いい歳をした大人であれば、周囲が「ゆがんでまっせ」と教えてくれることもない。
自分でいつも意識しているのが、ここです。
だから自分に歪みがあるかどうかのバロメーターを、世間の目に置くようにしています。
つまり、やっていることが正しい方向なら、たとえば動画の再生回数は自然とあがるし、間違っているなら、さがってくる。
ただしいことをしていれば、自然と、出会うべき人に出会えるし、目の前に道が開けてくる。
間違っていれば、自然と世間が狭くなる。
この活動をはじめて、16年になりますが、だから自分ではこれまで、「自分から売り込む」ということをいっさいやらずにやってきました。
なぜなら自分から売り込んだら、自分の行動の歪みが欲にかられて見えなくなるからです。
他人様がどうのこうのではない。
自分で自分を律して、生涯をまっとうする。
それしかできないのだから、そのように生きる。
それが、霊(ひ)に正直に生きるということなのではないかという気がします。
たとえば、他人の人格を否定する悪口は、ニーチェいわく「悪とは人の名誉を奪うことである」といいます。
ということは、人から悪口を言われたときに、自分も同じように相手の人格攻撃をしたら、自分が相手と同じ悪になり下がります。
だからいくら攻撃されても、言われっぱなしです(笑)
前頭葉は、自己防衛システムですから、言われれば「悔しい」と感じるし、腹も立ちます。
けれど、霊(ひ)を落とすわけにいかない。
だから言われっぱなしです。
要するに「ひたすらガマン」です。
けれど、16年これをやってきて気付いたことは、人生はガマンの数だけ自分が成長できるというものです。
それで良いと思っています。
いまのご時世、言われっぱなしの人は多いです。
特に多くの若者達が、ネット上の中傷や悪口で傷つけられているのだそうです。
若者たちは、これをひたすらガマンしています。
その結果か、若者たちの顔が、とても品格のあるものになってきているように思います。
霊(ひ)の成長は、2つの要素によって成り立つのだそうです。
ひとつは、チャレンジ。
正しいことをするということではありません。
そもそも何が正しいのかなんて、神様にしかわからない。
だから大切なことは、何事にも挑戦していくことなのだそうです。
ただしそれにはひとつの条件があります。
それがふたつめの要素で、他人の悪口を言わない。
魂の世界は、誰もがつながっている、いわば集合意識の世界です。
ですから、主語がない。
ということは、Aさんの人格を否定する言葉を吐いたら、吐いた人自身が、自分で自分の人格を否定することになります。
なぜなら魂の世界には、主語がないからです。
自分では「あの人」のことを言ったつもりでも、それはそのまま自分のことになってしまうのです。
人って、おもしろいもので、体に悪い食べ物が大好きだったりします。
同様に、人は、うわさ話が大好きです。
けれど、もしかすると、それがこの世に生きることに仕掛けれられたトラップなのかもしれません。
※この記事は2022年2月のねずブロ記事のリニューアルです。
お読みいただき、ありがとうございました。