西郷隆盛を、お殿様の島津斉彬公は次のように評しています。
「身分は低く、
 才智は私の方が遥かに上である。
 しかし天性の大仁者である」

ちなみに国旗というのは、もともとは商船旗といって外国の港に入稿する際に、どこの国の船なのかの船籍を示すために掲げるのが出発点です。
幕末の頃、幕府は朝廷に遠慮して、白地に黒の横一本線の旗を用いていたのですが、明治新政府になったときに、これを日の丸に変更してくれたのが、島津斉彬公です。
島津公がいなかったら、日本の国旗は白地に黒引きになっていたかもしれません。

さて、その斉彬公に可愛がられた西郷隆盛の、今回はあらためて「遺訓」を学んでみようと思います。
「南洲翁遺訓」とも呼ばれています。
これを読むといまの政治の歪みがわかります。

全部で41項目ありますので、全文ではなく抜粋でご紹介します。
全文は下のURLから青空文庫で読むことができます。
   ↓
https://www.aozora.gr.jp/cards/001320/files/47885_31033.html

原文を表示し、なぜこの一文が大事なのか、簡単な解説をつけてみたいと思います。
原文の左の番号は、本文の番号と一致させています。
41項目のうち12項目をご紹介しますので、番号が一部飛んでいます。

 ***

『南洲翁遺訓』

一 廟堂(びょうどう)に立ちて大政(おほひなるまつりごと)を為(な)すは天道(あめのみち)を行(をこな)ふものなれば、些(いささか)とも私(わたくし)を挾(はさ)みては済(す)まぬもの也(なり)。

国政県政市政、行政、裁判、企業、団体など、様々な組織で権限権力を持つということは、
「天道(あめのみち)を行(おこな)う」ということです。
そこにいささかも私情を交えてはなりません。
ところが明治以降の洋風化は、私権を重視し、私欲のために権力があるという大きな履き違いを招きました。
だから組織も団体も、はたまた政治においてもそこが利権の奪い合いの場となります。
そんなことでこの天然の災害が多発する日本で、生き延びることができるのでしょうか。
あまりにも世の中を甘く見すぎてはいないでしょうか。

二 賢人百官を総(す)べ、政權一途(いちず)に帰(き)し、一格(いっかく)の国体を定(さだ)めしめ無ければ、縱令(たとひ)人材を登用し、言路(ことのはのみち)を開き、衆説(もろもろのせつ)を容(い)るゝ共(ども)、取捨(しゅしゃ)に方向無く、事業雜駁(ざっぱく)にして成功有(ある)べからず。

「一格の国体」の「格」というのは、核となるべき根幹のことです。
よく、戦略や戦術が大事といいますが、戦略や戦術の前に何のためにどこと戦うのかという「示し」が必要です。そして「示し」のためには、「格」となる核が必要です。
もっとわかりやすく言うなら、根っこがなければ植物は育たないのと同じです。
その「格」がない、あるいはあっても私欲でしかないならば、どんなに優秀な賢人才女を用いても、成功はない、と西郷隆盛は述べています。
このことは国政に限らず、企業活動やひとりひとりの生き方に置いても同じです。

三 政の大體(おほきもと)は、文(ふみ)を興(をこ)し、武を振(ふる)ひ、農を励(はげ)ますの三つに在り。其他(そのた)百般の事務は皆此の三つの物を助(たす)くるの具(ぐ)也(なり)。

政治の大事なことは、学問と武道と農業の3つだということです。
その他は枝葉末節にすぎない。
ただしここでいう文武は、現代日本人の思う文武と、すこし意味が違うことに注意が必要です。
文は學問のことですが、學は、大人たちが子供を一人前の大人になるように引き上げることをいいます。子供のワガママは関係ないのです。
また武とは、「たける道」のことを言います。
「たける」は、ゆがんだもの、斜めになったものを、竹のように真っ直ぐにすることを言います。
そのために武があります。
子供たちを一人前の大人にするために鍛え、世の中の歪みを正し、なおかつ誰もが豊かに安心して安全に食べていかれるようにする。
このことこそが政治の根本だと南洲翁は述べています。

四 萬民(ばんみん)の上に位する者、己れを愼み、品行を正くし、驕奢を戒め、節儉を勉め、職事に勤勞して人民の標準となり、下民其の勤勞を氣の毒に思ふ樣ならでは、政令は行はれ難し。 然るに草創(さうさう)の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。 今と成りては、戊辰の義戰も偏へに私を營みたる姿に成り行き、天下に對し戰死者に對して面目無きぞとて、頻りに涙を催されける。

現代日本では真逆です。
人の上に立つ者は、豪華な家に住み、高級車に乗り、高価な衣装を着て六本木のキャバクラで遊び、蓄財に余念がありません。
そもそも中身がないから、身を飾ろうとするのです。
たいせつなのは人の中身です。

八 廣く各國の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我國の本體を居(すゑ)風教を張り、然して後徐(しづ)かに彼の長所を斟酌するものぞ。 否(らず)して猥(みだ)りに彼れに倣ひなば、國體は衰頽し、風教は萎靡(ゐび)して、ただ救す可からず、 終に彼の制を受くるに至らんとす。

外国に学ぼうとするなら、まずは日本のことをしっかりと学び、その上で外国の良いところを取捨選択しなさいという教えです。
そうでなく、ただ外国の言う事ばかり聞いていると、国の力は衰退し、風俗は乱れ、ついには、日本が外国に蹂躙されることになってしまうぞ、ということです。

十一 文明とは道の普く行はるゝを贊稱(さんしょう)せる言にして、宮室の壯嚴、衣服の美麗、外觀の浮華を言ふには非ず。 世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蠻やら些ちとも分らぬぞ。 予嘗て或人と議論せしこと有り、 西洋は野蠻ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと爭ふ。 否な野蠻ぢやと疊みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、 實に文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、 左は無くして未開矇昧の國に對する程むごく殘忍の事を致し己れを利するは野蠻ぢやと申せしかば、 其人口を莟(つぼめ)て言無かりきとて笑はれける。

文明というのは、華麗な宮殿や、美しい衣装などのことを言うのではない。
文明というのは、「道が正しく行われているか否か」で見るべきものだ。
ある人と議論したとき、「西洋は野蛮だ」と言ったら、「いや西洋は文明社会だ」と言うから、重ねて「野蛮だ」と言ってやった。
すると「どうしてそれほどまで言うのか」と言うから、
「西洋が文明社会だというのなら、未開の国に対するとき、慈愛を根本にし、人々を教化して開明に導くべきなのに、彼らは相手が未開の国であればあるほど、残忍なことをして、自分の利益ばかりをむさぼっている。だから野蛮だと申しておる」と言ってやったら、その人は大笑いしていた。

一三 租税を薄くして民を裕ゆたかにするは、即ち國力を養成する也。

税というのは、できるだけ軽いものにして、民衆を豊かにすることを第一としなければならない。
それが国力を養成する最善の道なのだ、という意味です。
消費税増税派の人たちに、あらためて考えていただきたい言葉だと思います。

一七 正道を踏み國を以て斃るゝの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。

正義をつらぬき、国家のために死ぬくらいの覚悟がなければ、外国との交際などできるものではない。
相手の傲慢に萎縮して、ただ円満にと、正義を曲げて相手に従順すれば、必ず相手に侮(あなど)られ。ついには彼らに征服されてしまうことになる。
日韓関係など、まさにこれではないでしょうか?

二一 道は天地自然の道なるゆゑ、講學の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。

福沢諭吉の學問のすゝめにもありましたが、和歌や古事記をただテクニカルな面だけを学んだり、あるいは古事記をただの荒唐無稽な子供向けの物語としてだけしか読まないなら、そんなものはいくら学んだとしても、ただの趣味の世界にしかなりません。
たいせつなことは、「敬天愛人」です。
これは「天をうやまい、人をおもふ」と読みくだします。
その心を涵養(かんよう)するためにこそ、学びがあるのです。

二五 人を相手にせず、天を相手にせよ。 天を相手にして、己れを盡(つくし)て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。

これは現代語訳するまでもないと思います。
人を相手にするなというのは、ものすごく簡単に言うなら、人の言うことをいちいち気にするな、ということです。
そうではなく、常に天の道とともにあれ、というのです。
ネットで中傷や悪口などをいくら吹聴されても、堂々と自分自身が天道を守って生きる。
そのことが大事だと南洲翁は述べられておいでになるわけです。
このことを『古事記』は「諸命以(もろもろのみこともちて)」と書いています。
もっというなら、天の道から外れていれば、いまこの瞬間にはいい思いができたとしても、必ず最後にはそのすべてを失うことになる。
半島系のものがその典型といえます。

三〇 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。 此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり。

知己を得るというのは、むつかしいことです。
ちなみに私は十年付き合わないとわからない、と常々思っています。
いままさに十年来の友がいてくれます。
みんな南洲翁の言う「仕末に困る」人たちばかりです(笑)。
だからこそ仲間です。

三九 今の人、才識有れば事業は心次第に成さるゝものと思へ共、才に任せて爲す事は、危くして見て居られぬものぞ。體有りてこそ用(はたらき)は行はるゝなり。

前段は、説明のまでもないと思います。
才能などというものは、まさしく危ないものでしかない。
問題は、後段の「體ありてこそ」です。
これは何を言っているのかというと、要するに行動のない口舌の徒では事を為すことができないということです。

四一 身を修し己れを正して、君子の體を具ふる共、處分の出來ぬ人ならば、木偶人も同然なり。

いくら身をおさめて、おのれをただして君子をよそおったとしても、処分ができない人はただのデクノボウだ、という意味です。
ここでいう処分というのは、まさに処分で、このことは童子教に、同じ意味の言葉があります。
それが、
 畜悪弟子者 悪しき弟子を畜(やしな)へば
 師弟堕地獄 師弟地獄に堕(を)ちるべし
です。
悪人を処分できない者は、施政者の名に値しないという意味です。
国会を見たら、よくわかることです。

 ***

以上、はなはだ簡単ながら、南洲翁遺訓をご紹介させていただきました。
西郷隆盛は、甘党でお酒に弱く、飲むとすぐに真っ赤になったそうです。
体つきもおデブちゃんで、だけど、いつもほがらかで、明るくて、周囲を笑いの渦にしていたといいます。
そして、誰よりも真面目で、飾り気がなく、それでいて周囲からものすごく尊敬される威厳を備えていたそうです。

上野の西郷さんの銅像を見ると、なにやらいかめしい人であったかのような印象を受けますが、実物の西郷さんは、笑顔でやさしくて、明るくて朗らかで、そばにいるだけで、誰もが幸せな気持ちになれる、そんな人柄であったといわれています。

そしてその笑顔もやさしさも、西郷さん自身が常に身を修し己れを正していることから生まれている。
だから尊敬される人であったのです。
古来、我が国では、権力をかさにして威張る人は決して尊敬されることはないし、国会で口をひらけば罵詈雑言しか出てこないような馬鹿者は誰からも相手にされなかったのです。

そういえば昔の新羅国は、言ったことでも平気で裏切るし、百済や高句麗の朝貢の使節は襲う、とんでもない国でした。
目先の自分の利益しか眼中にないから、そうなるのですが、そんな新羅を形容した言葉が「栲衾(たくぶすま)」です。
「栲衾(たくぶすま)の新羅(しらぎ)の国」などというように使われます。

「栲(たく)」というのは偏を変えれば拷問の拷になりますが、要するに叩くという意味の漢字です。
「衾(ふすま)」は、和室の間仕切りのフスマ(襖)のことです。
フスマは、開け閉めするものであって、叩くものではありません。
しかも静かな室内で、フスマをバンバン叩けば、うるさくてかなわない。
ようするに「栲衾」というのは、「意味のないことで大騒ぎして人を困らせる」という意味です。

ひるがえって現代を見るに、国会の論戦は「栲衾」ばかり。
テレビをつけても「栲衾」ばかり。

いまいちど西郷隆盛の遺訓を噛みしめることで、日本の正気を取り戻していかなければなりません。

お読みいただき、ありがとうございました。
※この記事は2020年2月のねずブロ記事の再掲です。

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