そろそろ桜がほころびはじめました。
桜はいいですね。
満開に咲き誇り、一気に散る。
どうせ生きるなら、思いを満開に膨らませて挑戦し、後悔することなくあちらの世界に帰る。
日本男児は生涯一事を成せば良い。
そのように言われてきたのが、日本人です。

お能の演目に「熊野(ゆや)」という物語があります。
昔は「熊野(ゆや)松風は米の飯」といわれたくらいで、お能といえば「熊野に松風」と言われたくらい、ポピュラーな演目です。

お能といえば、なにやら「侘び寂び幽玄の世界」と言われ、なんだかとてもむつかしいもののようにされていますが、江戸の昔には全国の大名や高級武士たちにとって、お能は誰もが唄い、また舞いました。
年に一度、お城で殿様の能舞台が領民に開放されると、城内にある能舞台の前は、領民たちで満席になったといいます。
またお能言葉は、まだ標準語がなかった時代にあって、江戸詰めとなる地方の武士たちにとっての共通語となり、これがいわゆる武家言葉となっています。

それだけ武士に馴染みの深いお能なのですが、これが単に「侘び寂び幽玄の世界」として、なにやらわからない不思議な世界のようにのみ語られることは、少々残念に思います。
なぜならお能には、武士としての心得が描かれているからです。

そんなお能から「熊野(ゆや)」という演目の物語をご紹介します。
お能の演目の中でも、「熊野松風に米の飯」といわれたくらい、定番の演目であったものです。
季節は、ちょうど春。
満開の桜が咲く頃です。

遠州(静岡県)出身の美しい女性である熊野(ゆや)が、京の都で平宗盛(たいらのむねもり)に仕えていました。
ところが、母が病気と連絡が入る。
心配でたまらない熊野は、宗盛様にお暇をいただいて、故郷(くに)に帰ろうとするのだけれど、宗盛は「清水寺の花見に連れていくから」と帰してくれない。

いよいよ花見の日となりました。
酒宴のときに、衆生を守護する熊野権現がにわか雨を降らして、花を散らせてしまいました。
屋内で歌会がはじまったとき、指名された熊野は、

 いかにせん 都の春も惜しけれど
 馴れし東(あずま)の花や散るらん

と和歌をしたためました。
熊野が「お暇をいただきたい」と言っていたことを思い出した宗盛は、歌にある「花や散るらん」から、熊野の実家で何かあったのであろうと察します。

こうして宗盛から帰郷を許された熊野は、急いで故郷に旅立っていく。
これがお能の「熊野」の物語です。

この物語は、一門の権勢を担う宗盛という武家の棟梁にして、権力の座にある宗盛と、美しい桜、美しい女性を途上させながら、神々のご意思はどこまでも衆生の幸せの上にあること。
そして、時の最高権力者であった宗盛が、ひとりの女官の思いを、にわか雨に散った桜と、熊野の和歌から察して、熊野の帰郷をゆるすというところに、武家の長としての大切な心構えを描いています。

我が国は古来「民衆の幸せこそ国の幸せ」であることを国是としてきました。
権力者というのは、国の(天皇の)「おほみたから」である民衆の幸せを常に最優先する。
それが権力を持つ者の務めとされてきた歴史を持ちます。

武家であれば、当然、武力を持つし、武力を用いるための訓練も受けています。
つまり一般の民よりも、はっきり言って強い。
だからこそ、武力や官位や権力以上に、弱い者の気持を些細なことから察すること、人としてのやさしさを大切にする。
これが武士の心得であり、日本の文化です。

※この記事は2022年3月のねずブロ記事のリニューアルです。

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