トップの画像は、寒地稲作の祖とされる中山久蔵(なかやま きゅうぞう)です。
生没年は1828年~1919年です。

北海道米として有名な「ゆめぴりか」は、とても美味しいお米です。
けれど北海道でお米の栽培ができるようになったのは、明治に入ってからのことなのです。

戊辰戦争によって破れた幕府側の諸藩の藩士の多くが北海道に入植しました。
そのなかのひとりに河内国石川郡春日村(現:大阪府南河内郡太子町春日)出身の中山久蔵という農民がいました。
中山久蔵は17歳のときに家を出て諸国を旅し、25歳のときに仙台伊達藩の藩士・片倉英馬の下僕となった人です。

戊辰戦争のとき、仙台伊達藩は佐幕派でした。
官軍に挑んで破れ、それまでの62万国が28万石へと減封されました。
このため士族籍を没収された武士たちは、「私費で」北海道開拓に向かいました。
そのなかのひとりに片倉英馬がいたのです。

中山久蔵は、片倉英馬とともに北海道に渡りました。
けれど北海道は寒冷地です。
お米が育たない。

中村久蔵は、寒冷地に強いお米の品種改良に取り組みました。
そして明治6年に、「赤毛」という名の寒冷地米を開発するのです。

中山久蔵は、片倉英馬とともに、その「赤毛」の種籾を無償で他の開拓民に配布しました。
これにより北海道での米作りが広がり、ようやく北海道は「食べていくことができる土地」へと変貌したのです。
これがなければ、いまの北海道はありません。
そして、いま北海道で栽培されている「ゆめぴりか」は、すべて中村久蔵の「赤毛種」の子孫です。

「赤毛」によって、北海道はお米の一大産地となっていきました。
ところが戦後、1969年(昭和44年)、食管法の改正とともに、お米の生産そのものが、政府によって抑制されました。
政府が米を作るなというのです。
ならば小麦を、としたいところですが、小麦は米国から輸入するから作らなくて良いという。
こうして北海道も減反が相次ぎました。

しかし、減反によって田んぼが減るなら、残った田んぼで、いままで以上にもっと美味しいお米、つまり付加価値の高いお米を作ろうということになって、1988年には「きらら米」、2001年には「ななつぼし」という冷めても美味しいお米が、やはり「赤毛種」の中から品種改良されて誕生しています。
さらに2003年には「ふっくりんこ」が誕生。
そして2008年に誕生したのが、「ゆめぴりか」です。

「ゆめぴりか」「ななつぼし」「ふっくりんこ」は、その後食味ランキングで特Aを連続獲得し、北海道米は全国に販路を持つ優良品種となりました。
あの独特の真っ白さともっちり感が大好きという方も多いかと思います。

どんな苦境に至っても、どこまでも創意工夫によって生き残る。
けっしてあきらめない。
そして、良い品種ができたからと、その新しいお米の籾米を無償でみんなに分け与える。
そういうことをしてきたのが、日本人です。

北海道開拓を否定する人たちがいますが、北海道開拓の苦労の歴史があるからこそ、いまの北海道があるのです。
これは忘れてはいけないことです。

近年では、日本の近くの反日で有名な国が、日本の新品種の美味しいイチゴを勝手に盗んで、自国産として安値で世界中に売りまくるという馬鹿なことをしたりしています。
鶏卵が値上がりしていますが、鳥インフルエンザによって、我が国は100万羽の殺処分をしています。
それによって儲けている他国もあります。

日本をまもる。
それは単に軍事だけの問題ではありません。
農業も、思想も文化も生活も、すべては防衛問題なのです。

※この記事は2022年3月のねずブロ記事のリニューアルです。

ブログも
お見逃しなく

登録メールアドレス宛に
ブログ更新の
お知らせをお送りさせて
いただきます

スパムはしません!詳細については、プライバシーポリシーをご覧ください。