貨幣自体に罪はないけれど、資本主義が、いまや一部の富裕層による傲慢主義化しているといわれています。
いやむしろ、それが資本主義のいわば正体といえるものであったのだと、情報化社会の進展とともに、世界中の多くの人々が気付きつつあります。

ユニセフ(国連児童基金)、国連食糧農業機関(FAO)、国際農業開発基金(IFAD)、国連世界食糧計画(国連WFP)、世界保健機関(WHO)の共同発表によると、たとえ世界経済の回復したとしても、2030年には年間6億7,000万人が飢餓に直面すると予測されています。
このうち7700万人が日本人です。
日本の食糧自給は、もはや最悪といっていい状況だったりします。
このとき餓死しない人たちさえも、食べることができる食料は、イモとコオロギだけという話もあります。
日本の危機は、まさに目前の問題となっているのです。

このような危機にあって、日本の国会では、相変わらず野党が政治資金がどうのこうのと、相も変わらず井の中の争いに終始し、国会での建設的意見交換などまったくできないまま、予算委員会の空転が続いています。
日本人は馬鹿ではありません。
多くの若者達や壮年期にある人たちが、政治離れをしてしまうのも、さもありなんといえます。

聖徳太子の十七条憲法の第十条に、次の言葉があります。

 ひとにはたれも こころあり   人皆有心
 おのがこころに まもりあり   心各有執
 かれをぜし   われをひし   彼是則我非
 われをぜし   かれをひす   我是則彼非
 われかならずも きよからず   我必非聖
 かれかならずも ぐにあらず   彼必非愚
 ぜひのことわり よくさだむべき 是非之理能可定
 あひともに   けんぐなり   相共賢愚
 たまきのごとく はしはなし   如鐶无端

現代語に訳すと、次のようになります。

「人には誰にでも、思うところや心があります。
 そして心には、誰にでも何がしかの執着があります。
 そんななかにあって、
 彼が正しくて、俺が間違っている、
 俺が正しくて、あいつが間違っているなどと言い合っても、
 自分が必ずしも聖(きよ)いわけではありませんし、
 彼がかならずしも、バカ者ということでもありません。
 だいたい何がただしくて、何が間違っているのかなど
 誰が定めるというのでしょうか。
 人は、ともにかしこくもあり、またおろかでもあるのです。
 結局のところ、良いも悪いも、正しいも正しくないも、
 まるで環のように、端がないのです。」

要するに、何が正しくて、何が間違っているのかなど、互いにひとつの物事を別な角度から見ているだけのことでしかない、と書かれています。

x軸だけの一次元上では、プラス10とマイナス10は、決して交わることはありません。
互いに立ち位置が違うのです。
これではいくら議論しても、結論などでません。
だから対立するものを、この世から消してしまえばユートピアができあがるというのが、19世紀に生まれた共産主義思想です。
けれど、良く考えてみれば、この思想は、ものごとを直線上の右、左でしか考えていないことがわかります。

この考え方にy軸を加えて2次元にすると、実は物事は分布で成り立っており、左右の対立とみえたことは分布の左右の極論でしかなく、多くの人々は真ん中のどっちつかずのところにある、ということがわかります。

さらにz軸を加えてものごとを3次元、つまり立体図形で捉えると、たとえば円錐は、真横から見たら三角で、真上から見たら円形で、これを互いに「三角だ、円だ」と言い合っていたことが、視野狭窄の馬鹿げた議論でしかなかったことがわかります。

さらにこれにt軸が加わった4次元になると、x軸上の対立関係と見えていたものが、実は両方が、まるで環のようにつながっていることがわかります。
これが、聖徳太子の十七条憲法です。
つまり十七条憲法は、4次元思考になっているのです。
日本の先進性が伺えます。

この思考のもとでは、どちらが正しいかではなく、どちらもが正しいと主張していることを相互に「むすんだ」先に、真実があることがわかります。
正しい答えは、Aにあるのか、Bにあるのかではなく、AとBを結んだ先にあるのです。

A 顧客は画面の大きなテレビを求めている。
B 顧客は美しい映像のテレビを求めている。
C 顧客は価格の安いテレビを求めている。

どれが正しい答えでしょうか。
どれが間違った答えでしょうか。
もし、会社の商品企画会議で、A案、B案、C案が、互いに自分だけが正しいと言い張り、互いを間違っている、愚かだと罵りあったら、それで良い商品はできるのでしょうか。

むしろこの三者を結び合わせることで、三者に共通することはなにかと考える。
すると、顧客が求めているのは、もしかすると「手軽さと没入感」であるのかもしれないという仮説が成り立ちます。
そうであれば、音声の抜群にきれいなVRゴーグルで、4Kや8Kレベルの映像で低価格なモデルが新商品になるかもしれません。
あれが正しい、これが間違っているという議論は、多くの場合、学生どまりの思考でしかないのです。

世界で唯一、歴史を通じて世界に対して公正であり続けた国は、日本です。
つまり、日本の時代が、すぐそこまでやってきています。

そこで、これから起こるであろう飢餓の時代を考えてみます。
このとき生き残ることができるのは、田舎暮らしで食料自給をしている小さなコミュニティだけになります。
生産から流通、食事まで、すべての原料や材料・肥料、保存方法がすべて明らかになっている、そういうコミュニティです。
そしてそれは、もともと縄文以来、日本にあったものです。

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