学生時代に先生が教室で、杜甫の漢詩の「国破れて山河あり、城春にして草木ふかし」を読み上げて、
「どうだみんな、すばらしい響きだろう?
 これが漢詩というものだ」
と胸を張ってみせてくれたことがあります。
けれどどうにも納得できない。
なぜなら、先生は漢詩の「 国破山河在、城春草木深」を日本語で読み上げていました。
つまり日本語の響きが「かっこいい」のであって、唐の時代の唐語で読んだわけではないのです。
そのどこがどうすばらしのか、さっぱり理解できない。

あるいは「春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く」という漢詩があります。
書いた孟浩然(もうこうねん)は、大酒飲みの遊び好きで、この詩を書いた場所は遊郭です。
前の日の晩に遊びすぎて泊まった遊郭で大寝坊して、太陽が黄色く見えて「春眠暁を覚えず」と詠んでいるわけです。
いったいそのどこが「素晴らしい」のか。

そうかと思うと和歌については、たとえば山部赤人の有名な和歌、
「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
 富士の高嶺に 雪は降りつつ」
この歌は国語と社会の両方の教科書で習いますが、いずれも「この和歌は、風光明媚な田子の浦と富士山を詠んだ歌です」と教わります。
けれど歌には「雪は降りつつ」と書いてあります。
現在進行系で雪が降っているのです。
雪が降っていたら、富士山は見えません。

十七条憲法も同様です。
戦後生の我々は、十七条憲法を「憲法だ」と教わります。
これがそもそも怪しいのです。
同様に「日本国憲法」と教わりますが、占領統治下で行われた日本国憲法は、そもそも英文の原題が
「THE CONSTITUTION OF JAPAN」です。
「Constitution」というのは、共同体の基本規程のことを言います。
つまり「THE CONSTITUTION OF JAPAN」は、占領政府であるGHQが日本を統治するために日本人に与えた基本規程であり、もっというならGHQが占領統治下の日本人および日本人社会に与えた「日本人服務規程」です。
「規程」と「憲法」では意味が異なります。
「憲法」というのは「いつくしき、のり」であって、万古不易の典範です。
「規程」は、単にそのときのものです。
そういうことを教育でしっかりと教えずに、規程も憲法もごっちゃにして子どもたちに「ただ暗記せよ、テストに出るぞ」と迫るわけです。
脅して脅迫して無理やり暗記させるわけです。
そのような教育をしていて、道徳の授業を復活させようと言うと「子どもたちに価値観を押し付けるな!」。
ホント、よく言うわ、です。

おかしなものとしては、十七条憲法のイメージの刷り込みもひどいものです。
十七条憲法といえば「和を持って貴し」が、まるで代名詞です。
なるほどそのように十七条憲法の第一条に書かれていますが、第一条の趣旨は全然異なります。
ちゃんと読んでみます。

第一条
《原文》  一曰  以和為貴 無忤為宗  人皆有黨 亦少達者  是以  或不順君父 乍違于隣里  然上和下睦 諧於論事  則事理自通 何事不成

《読み下し文》 一にいわく。 和(わ)を以(も)ちて貴(たっと)しとなし、 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。 ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。 しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて 事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは すなわち事理(じり)おのずから通ず。 何事(なにごと)か成(な)らざらん。

《現代語訳》 第一条 和をもって貴しとして、 人を恨んだりしてはなりません。 人には誰にも信じるものがあります。 また、達した人、つまり悟りを得たような人は、すくないものです。 だから、人によっては主君や父の言葉に従わなかったり、また隣の人や、村同士で意見が異なったりします。 けれども、上に立つ人から率先してやわらぎ、下の人たちもまずは仲良くすることを第一にして、様々な事柄をみんなで議論するときにこそ、大切な主張も通じるし、あらゆることが成就していくのです。

ご一読しておわかりいただけるように、聖徳太子は、この第一条で、人々がただ闇雲に仲良くしなさいと述べているのではありません。
なるほど書き出しは「和をもって貴しとなせ」ですが、続く言葉は「忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」です。

「忤(さから)う」という漢字は、見慣れない字ですけれど、この字の意味することは「呪道具の杵(きね)」です。
これをつかって悪霊から身を護るとされている道具を指す漢字で、そこから転じて邪悪なものに拮抗し抵抗することを意味します。
つまりここで言わんとしていることは、「相手を呪っちゃいけないよ」ということです。

「相手を呪う」ということが、どういうことかというと、議論する際に、相手の人格攻撃等をしてはいけませんよ、ということです。
議論というのはテーマが決まっているものであり、あくまでそのテーマに基づいて行われるものです。
堤防工事をするのかしないのかと議論するときに、言葉遣いが乱暴であったり(これも呪です)、相手の人格を攻撃したり、必殺仕掛人を派遣したり(笑)するのは、ルール違反ですよと十七条憲法は述べているのです。

「人みな党あり」の「党」は、訓読みが「たむら」で、人がたむろしている様子を意味します。
人は、自分の思想信条に近い人達と集団を形成し、そうしてできた集団は、また個人に一定の志向を与えます。
「また達(さと)れるもの少なし」では、「達する」という漢字を用いていますが、ここでいう「達する」は、何かを極めた人、一定の高みに達した人のことを意味します。

要するに人には党があるし、達している人など、めったにいるわけではないのだから、人によっては主君や父の言葉に従わなかったり、また隣の人や、村同士で意見が異なったりしてしまうわけです。
さらに、そうなったときに個人攻撃をする。
個人や団体の名誉を損ねるような言動をとり、これによって互いに感情的な対立が生まれ、あげくは相手を呪ったりまでしてしまうわけです。
呪うということは、相手が滅びることを願う行為ですから、つまり言論による対立が、ゆくゆくは物理的な紛争にまで至ってしまうわけです。

だからこそ、上に立つ人から率先してやわらぎ、下の人たちもまずは仲良くすることを第一にして、様々な事柄をみんなで議論する。
その議論のことを、十七条憲法では「論(あげつら)ふ」と呼んでいます。
「論(あげつら)ふ」というのは、顔《面(おもて)といいます》をあげて議論することを言います。

すこし解説が必要です。
十七条憲法の制定に先駆けて、我が国では「冠位十二階」の制度が始まりました。
これは、身分の上下を厳格に定めたもので、上の人の前では、下の者は常に顔を伏せていなければなりません。
「おもてをあげよ」
と言われて、はじめて顔をあげて良いわけです。
ただしその場合も、相手(つまり上司)と直接目を合わせることはNGです。
「おもてをあげよ」という言葉は、ただ、顔をあげてよい、というだけのことで、上司の方を向け、と言っているのではないからです。

これだけの厳格な身分制を前提として、次のステップとして十七条憲法が存在します。
そして十七条憲法では、
「身分制はあるけれど、
 大事なことは
 上下の境なく、
 互いに顔をあげて
 ちゃんと議論しなさい」
と述べているわけです。
だから「論(あげつら)ふ」なのです。

よく聞く言葉に、「日本人は議論が下手だ」というものがあります。
実はとんでもない話で、幕末の志士たちも、明治の人たちも、軍人さんであっても、必要なときには必要なだけ、ときに激しく議論する、ということが普通に行われていました。
だからこそ日本人は、鎖国以前の時代にも欧米列強に対して「タフ・ネゴシエーター」であったし、だからこそ日本は植民地支配を受けることなく鎖国することもできたのです。

それを聖徳太子の十七条憲法の、第一条の最初の言葉だけを切り取って、
「日本人は和をもって貴しとなす民族なのだから、
 議論がヘタで苦手である」
などと、もっともらしい事を言う。
これを左の人たちの「自作自演」といいます。

欧米ではディベートが盛んで、賛成派となって議論したら、今度は反対派となって議論するということが、訓練として盛んに行われています。
実はかつての日本でも同じで、ひとりひとりが歴史の当事者となって・・・つまり家康や信長になって、一定の決断をどうしてくだしたのかを、考え、披露し、互いに磨きあうということが普通に行われていました。
これはつまり、ディベートそのものでもあるわけです。

要するに、十七条憲法の第一条は、「仲良くしなさい」と言っているのではなく、「しっかりちゃんと議論しましょう」と言っているのです。
しかも議論の際には、相手を呪う、つまり人格攻撃をしてはいけませんよ、と述べています。

振り返って現代を御覧ください。
政治に関する報道は、ちゃんと議題についての意見ではなく、ことごとく政治家個人への中傷になっていませんか?
それを視聴して、視聴者がなんとも思わないというのは、現代日本人の頭がおかしくなってはいませんか?
そしてその理由が教育にあるとしたら、まさにそれは教育の大罪ともいうべきものではないでしょうか。

GHQは、日本に上陸した年である昭和20年12月31日に修身、日本史および地理教育の「無期停止」を発令しています。
これを受けて文部省は昭和22年に、同教育の「廃止」を宣言しました。
占領軍さえ、いわば「一時停止」にとどめたものを、日本の文部省が「廃止」にしてしまったのです。
これは、「そのクルマ、一時停止しなさい」と言われたので、
クルマそのものを廃車にしましたー!みたいなものです。
そして廃止状態は、いまも続いています。

そもそもGHQがどうして日本の「修身、日本史および地理教育」を停止せよと言ったのかというと、この三教科が、日本人の思考力や洞察力を養い、日本人の民度を爆上げさせていると知っていたからです。
そしてこの三科目の教育を奪われた日本人は、思考力を失い、ただ暗記することしか能のない人たちが社会のエリートと言われるようになりました。

記憶力が良くて思考力のない人に、現状の変更はできません。
だって自分の頭で考えることができないのです。
ですから日本国政府が言う「自主的に決めます」は、そのまま「米国の言う通りにします」という意味と同義になります。

そのような人たちに日本を変えるというのは、およそ不可能に近いことといえます。
日本は、思考力や洞察力を取り戻した人たちによって変わるのです。
ということは、日本が目覚めるためには、民衆が思考力と洞察力を取り戻していく必要がある、ということです。

いささか乱暴な書き方になりますが、日本人は、いわば羊の群れと同じです。
リーダーが曲がると、全員が曲がった方に付いていきます。
その意味で、日本社会をリードする優秀なリーダーは必要なのですが、偏差値40の高校に、偏差値75の秀才が入ってきても、それはただの突然変異株として、社会から排除されてしまうのです。
国民の偏差値を、40から50に上げるだけで、トップ集団は偏差値65オーバーになります。
55になれば、トップ集団は75以上となり、東大や早稲田慶應も視野に入るようになります。
つまり、日本人社会全体のレベルアップが必要なのです。

何について?
思考力と洞察力についてです。
全体のレベルが上がると、集団のリーダーのレベルがあがり、社会が良い方向に変革されるのです。

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思考力と洞察力を取り戻せ” に対して1件のコメントがあります。

  1. 筒井 和之 より:

    「思考力と洞察力を高める為には、如何に為可きか?」之れを課題とし、己が自ら実践し、行く行くは之の国の人の為に伝えよ。

    然う仰っている様に感じました。精進致します。

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