「紫野」といえば、ご存知、額田王(ぬかたのおほきみ)の次の歌です。

 あかねさす紫野行き標野行き  野守は見ずや君の袖振る

この歌は万葉集巻1ー20にある歌で、原文はすべて漢字です。
次のように書かれています。

あかねさす   茜草指
むらさきのいき 武良前野逝
しめのいき   標野行
のもりはみずや 野守者不見哉
きみのそでふる 君之袖布流

有名な、額田王の歌です。
5句目のところは、一般には「君が袖振る」と訳されているのですが、原文を見れば「君之袖布流」ですから、ここは明らかに「君の袖振る」です。

それがどうして「君が」となっているのかというと、この歌は、天智天皇と、弟の大海人皇子(後の天武天皇)、そして額田王との三角関係だからだ、というわけです。
額田王は、大海人皇子と結婚して一女を産んでいます。
つまり幸せな結婚をして、娘までもうけているのに、夫の兄(天智天皇)の妻となっている。
ところが蒲生野での狩猟会のときに、遠くから元彼の大海人皇子がこっち向いて手を振っている。
だから、「いやん、野守が見てるじゃないの」というシチューションを、夫が天皇なのに公然と歌にして詠んだ、というのが、通説です。

そしてこの歌(他にもいくつかの歌があります)が元になって、兄弟である天智天皇と天武天皇(大海人皇子)と、美人の額田王が三角関係にあったのだ、という(悪いけど)妄想が、学会の定説のようになっています。
学校でも先生が、得意げに、この三角関係説を生徒に紹介し、
「日本の古代は性がおおらかだったのだ」などと、もっともらしく解説をしていたりもされています。

しかし、5句目のところは、原文を見れば明らかに「君の袖振る」です。
そしてこの時代、「君」といえば天皇を指します。
つまり袖を振っているのは、元彼の大海人皇子ではなく、天智天皇であるとも見て取ることができます。
そして、天皇であれば「君の袖振る」は、天皇としての采配を意味すると考えられます。

この歌は、668年5月5日に開催された蒲生野での狩猟会の席で詠まれた歌です。
この年、1月に皇太子であった中大兄皇子が天皇に即位して天智天皇となりました。
そして2月に弟の大海人皇子を皇太弟としています。

我が国が百済救援軍を起こしたのが661年。
この戦いが白村江の大量虐殺によって収束したのが663年です。
白村江の戦いでは、日本側の4万2千の大軍のうち、なんと兵1万人、馬1千頭、軍船400が破壊されるというたいへんな被害を受け、日本はこの戦いのあと、朝鮮半島から完全撤退しています。

このときの兵の損害が、大和朝廷の国内の権威にたいへんな影響を及ぼしたことは想像に難くありません。
それまでの日本は、地方豪族たちのゆるやかな結合体です。
その頂点にあるのが大和朝廷であったわけですが、その大和朝廷が指揮した朝鮮半島での戦いで、地方豪族たちが供出した兵たちが外地で大量死したわけです。
当然、地方の豪族たちの中には、大和朝廷から離反する動きさえも出てくる。
けれど、当時の日本は、朝鮮半島の後ろにある唐という軍事超大国の侵略への備えのために、どうしても国内をひとつの朝廷のもとに統一していかなければならない状況にあります。
つまり、白村江後の戦後処理が、どれだけたいへんなことであったのか、ということです。

その白村江の戦いから5年、皇太子であった中大兄皇子が中心となって、その戦後処理と唐への備えなど、猛烈に大変だった期間を経て、ようやく国内が一段落し、ついに中大兄皇子が天皇に即位して、なにもかもが一段落したことで、そのねぎらいの意味も込めて開催されたのが、蒲生野での狩猟会だったわけです。

狩猟会は、鹿狩りです。
そしてその鹿狩りが一段落したところで、館か陣幕かわかりませんが、みんなで宴をもよおすことになった。
その宴会の席で披露されたのが、額田王の、この「あかねさす」の歌であったわけです。

天皇に即位し、国内も一段落し、弟の大海人皇子も正式に皇太弟として指名されている。
そんなときに、果たして天智天皇の妻である額田王が、自分の元彼である大海人皇子が、
「あたしに手を振っているわ、もう、バカね♡」
なんていう歌を、おおやけの席で披露などするでしょうか。
しかもそのような歌が、我が国初の勅撰歌集である万葉集に掲載されるでしょうか。

物事をもっと常識で考えていただきたいのです。

この歌は、タイトルに【天智天皇ご主催の蒲生野での遊猟のときに額田王が作った歌】と書かれています。
しかもこの歌は、恋愛歌を意味する「相聞歌」ではなく、それ以外の「雑歌」に分類されています。
つまり、この歌は、恋愛の歌ではない、ということです。

そして歌をよく見ると、
まず歌い出しが「あかねさす(茜草指)」です。
茜の開花時期は8〜9月で、この遊猟会はいまでいう6月ですから、ここでいう茜(あかね)は、茜の花のことではないとわかります。
茜草というのは、その名前の通り、根が赤い事から「赤根(あかね)」と名付けられた草です。
我が国では最も古くから使われた赤系の染料のひとつとされ、日の丸の赤も、この茜の根から作られる染料で染められています。
つまり「茜草指」は、「茜草で染めるように指し示す」という意味になります。

続く「むらさきのいき(武良前野逝)、しめのいき(標野行)」は、同じ「いき(いく)」に、「逝」と「行」という漢字が使い分けて用いられています。
「逝」はバラバラになること、
「行」は、進むことです。
つまり、茜色に染めたのは、バラバラになった何かで、それをもとに戻すための道標に向けて何かが進んだわけです。

バラバラになったことは、「むらさきの(武良前野)」でも示されています。
「紫の野」と言いたいのなら、ここは原文でも「紫野」と書けば良いところです。
ところが、意図して「武良前野(むらさきの)」と書いているわけです。

「武」とは「たける」で歪んだものをまっすぐにすることです。
「良」は良いことです。
「野」は、白村江事件で被害を受けた地方豪族と考えれば、息子を失った地方豪族たちと国(朝廷)の絆(きずな)が途切れてしまっていたこととわかります。
その紐帯(ちゅうたい)を取り戻すための戦いが、この5年間の朝廷の戦いであったわけです。
天皇は、まさにその紐帯を取り戻された。
人々に明確な道標を与えられた、ということを述べているということがわかります。

そうであれば、「のもりはみずや(野守者不見哉)」の「野守」は、地方豪族のこととわかります。
「みずや(不見哉)」の「哉」は言葉を断ち切るときに用いる字で、見ないことを断ち切ることから、「見るでしょう」という意味になります。

そして「きみのそでふる(君之袖布流)」は、君が天皇ですから、天智天皇の采配です。

すると再解釈した歌の意味は次のようになります。

【天智天皇ご主催の蒲生野での遊猟のときに額田王が作った歌】  あかねさす紫草野逝き標野行き  野守は見ずや君袖振る
茜草の根から採れる染料で布を茜色に染めるように野放図な世をまっすぐな美しいものに染めていこうとされている大君の采配を、これまでバラバラでいて中央の政令を見ようとしなかった地方豪族たちも必ず受け入れていくことでしょう。

歌は一見すると、実に女性らしい艶のある歌です。
けれど、その意味は、この時代に、苦労を重ねて国をひとつにまとめようとして来られた朝廷の人々なら、誰もが、「そうだよね」とわかる内容になっています。

他の者がこのような歌を詠めば、それは天皇へのただのゴマすりになってしまうかもしれません。
けれど 額田王は、天皇の妻であり、霊力を持つ女性です。
そして古来我が国では、神々と直接つながることができるのは、女性だけに与えられた特権とされてきた歴史を持ちます。

ということは、額田王が詠む歌の意味は、神の声であり、神々の御意思です。

万葉集に限らず、我が国では明治以降、あらゆる日本文化が矮小化され、貶められてきました。
明治時代は、江戸時地代までのすべてが否定された時代であったし、戦後の日本もまた、あらゆる日本の古代文化はオクレたもの、といった理解でした。

挙句の果てが、現代では鎌倉時代よりも前の時代、つまり飛鳥、奈良、平安時代が、なんと「古代」という分類です。
古代というのは、歴史の始まりで、詳しいことはよくわからない時代のことを言います。
西洋史なら古代は、ギリシャ・ローマの時代です。

古代以前が先史時代です。
つまり考古学的な史料しかなかったり、神話の時代が先史時代です。
ですから、少し前までは、我が国では古代は「古代大和朝廷の時代」のことを言い、縄文時代、弥生時代が先史時代とされていました。
古代に続くのが中世で、飛鳥、奈良、平安時代は「中世」に分類されていたのです。

ところが近年の文科省を中心とした歴史学会は、飛鳥、奈良、平安時代が古代だという。
そして鎌倉時代から戦国時代までが中世なのだそうです。
これは、歴史認識を近隣諸国に配慮した結果です。
しかし歴史は、政治ではありません。
純粋に学問であるべきものです。
そこに政治をからませるのは、おおいに疑問です。

さらにいうならば、その近隣諸国のうち、チャイナは今もまだ、少なくとも近代国家とはいえません。
いまなお、中世封建主義体制にあると言って良い。
お隣のコリアも同じです。
国民の自由な意思が国家意思となるという、近代国家とはまったく言い難い。
すなわち、いまだに北コリアも南コリアも、事実上の中世封建主義体制下にある。

そういう国に、民衆の自由な意思を国家意思とすることを国是とした先進国である日本が配慮する必要が、果たしてあるのかは、はなはだ疑問です。

とまあ、話が脱線しましたが、額田王の上の歌に代表されるように、きわめて高い文化を持った日本、そしてその高い文化を、高らかにうたいあげた万葉集です。
もっとちゃんと、しっかりと読みたいものです。

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※この記事は2023年4月のねずブロ記事の再掲です。

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