トップの写真は、満洲に於ける農作大豆播きの実況の絵葉書です。

3年ほど前から大阪と東京を行ったり来たりの生活になり、幸い大阪では「ゆにわ」のみなさんが調達するオーガニック食材を使った食事をいただくようになりました。
最近では、コーヒーもオーガニックに変えたのですが、不思議なことに東京に戻り一週間から十日仕事をして大阪に戻ると、全身にひどいじん麻疹が出るようになりました。
おかげさまでじん麻疹が出たのが首から下だけなので講演等には支障が出なかったのですが、その代わり胸から背中、大腿部にかけてものすごいじん麻疹が。

あまりにもひどい状態だったので医者で診てもらったところ、じん麻疹というのは、体が体内の毒素を出そうとして出る症状だとのこと。
普段良いもの(というか農薬まみれではない、昔ながらの普通の食材)を食べるようになることで体が浄化され、逆にこれまで通りの(体に良くない)食べ物を食べると、体がそれを「毒」と判定するようになることで、じん麻疹となるのだそうです。

東京では、毎日講演か動画の収録で外出になるため、二食(朝食と晩食、昼は抜いています)ともほぼ毎日外食で、とりわけ仕事のあとは披露で麺しか受け付けなくなることから、ほぼ毎日ラーメン(笑)で、もしかするとこれが悪かったのかもと、そのときは思っていました。

ところが先日、東京に戻ったときは、それまでと同じようにラーメンを食べていたのに、ほとんどじん麻疹が出ない。
何が違うのかと思ったら、ガ◯トでの外食をしていませんでした。
ガ◯トなどの、いわゆる大手外食チェーンの食事に出てくる食材は、大量一括調達のため、ほぼほぼ外国産。
しかもキャベツなどは、刻んでから何日も経過しても型くずれしないという、かなり特殊なお野菜です。
普段は、味のきついドレッシングをかけて食べるので気付かないのですが、何もかけずにいただくと、なんとキャベツが苦い。砂のような味がします。
どうやらじん麻疹の原因は、(あくまで個人的にですが)そうした外食チェーンのお野菜であったようでした。

お野菜は、現状、80%が国内生産だと言われています。
けれど、種子の90%は海外に依存しています。
さらに、肥料も、輸入肥料に依存しています。
化学肥料原料のリン、カリウムは100%輸入に頼っていますし、尿素も96%が輸入に依存しています。
種子と肥料の輸入が停まると、お野菜の自給率は4%にまで下がるのだそうです。
つまり、国内生産が壊滅するするのでs.

ちなみに鶏卵の国産率は97%といわれていますが、これも輸入エサが止まれば自給率は12%となり、ヒナが止まれば今でも自給率はほぼ0%です。

このことについて歴史にすさまじいケースがあります。
かつて地上に存在した満洲国は、その主な産物が大豆でした。
もともと満洲地方は、不毛の大地だったのですが、そこで細々ながらも大豆の生産が行われていることを発見した、当時三井物産の上海支店長だった山本条太郎(やまもとじょうたろう)が、その大豆の栽培を満洲で大々的に始めたのです。

山本条太郎は、わざわざヨーロッパでも、大豆の加工の仕方や料理の指導まで行い、欧州全土に大豆の売り込みをかけました。
こうして、ほんの数トンあるかないかだった満洲の大豆は、山本条太郎が名付けた「満洲大豆(まんしゅうだいず)」の商品名とともに広く栽培されるようになり、条太郎が満鉄総裁に就任した昭和二年には、満洲の大豆生産高は、じつに年間500万トンに達するものとなっていたのです。
しかも、このうち400万トンが輸出用。内訳は欧米向けが200万トン、日本向けが200万トンでした。

大豆は、味噌、醤油、豆腐など、日本人の食卓には欠かせない食物です。
ところが当時の日本の大豆の自給率は20%。
日本は、台所の大豆の8割を、満洲大豆に頼るようになったのです。

一方で満洲は、世界最大の大豆生産国となりました。
とにかく、荒れ地を開墾して大豆を作れば、作っただけ売れる、儲かる。
こうして満洲の大地は、大豆の大地となり、耕地面積が広がるとともに、収穫した大豆の運搬のための鉄道網が満洲中に、網の目のように広がるという状況になったのです。

ところが先の大戦前のABCD包囲網によって、日本への様々な物資の輸出が制限されるようになりました。
その代表的なものが石油で、石油がないから日本は戦争を始めるほかなくなったということは、皆様御存知のとおりです。
ところがこの禁輸物資の中に、満洲へのリンの輸出制限も入っていたのです。

満洲の土壌(どじょう)は、もともと酸性土です。
大豆の栽培には、土壌がアルカリ性である必要がありました。
酸性の大地をアルカリに改良するためには、大量のリンが必要でした。
そのリンを、当時の満洲は米国から輸入していました。
米国はこれを一方的に打ち切ったのです。

大豆は満洲経済の根幹です。
その大豆は、リンがなければ大豆が育ちません。
リンがなければ、満洲は社会経済の基盤を失うのです。
同時にこのことは日本人の食卓にも重大な影響を与えます。
日本人は大豆を味噌汁や醤油、豆腐などで、主食並みに消費するからです。
陸海軍の糧食も同じです。
満洲大豆で腹をうるおしていた日本人にとっても、米国の満洲へのリン輸出の規制は、まさに一大事であったのです。

「石油が欲しくて戦争を始めたのに、
 どうしてハワイを攻撃に行く必要があったのか」
という人がいます。
けれど、ハワイを攻撃して、米国に一撃を与え、その後の交渉でリンの輸出を解禁してもらおうとした、当時の政治情勢もあったことを、私たちは見落としてはなりません。

3年半の大東亜の戦いのあと、その後の満洲大豆がどうなったのかというと、壊滅しました。
満洲国も崩壊してなくなりました。
大豆の生産も、3年半、肥料のリンがないために停滞し、壊滅しました。
つまり、たった3年半、肥料のリンの輸入が停まっただけで、満洲の農業が壊滅したのです。
戦争が終わって、今年で79年経ちますが、いまだに満洲大豆は復活していません。

御存知の通り、日本は大豆消費大国です。
そしてリンの生産は、日本でも出来ます。
もし戦前の日本が、満洲大豆の生産の安全保障のために、満洲へのリンを日本で生産していたら、満洲大豆は壊滅することはなかったし、いまもなお、満洲は大豆の一大産地のままでいれたかもしれないのです。

満洲から邦人が引き上げるとき、現地の人たちから凄まじい収奪を受けたことは、良く知られたことです。
なるほど、現地の人たちに、そのような非道を行う習性があることは事実かもしれません。
けれど、彼らだって、自分たちの食べ物がちゃんと安定的に確保され、収入の道があったなら、意図して非道などしなかったかもしれないのです。

農業を考えるとき、肥料を輸入に頼るのか、自国で確保するのかは、極めて重要な問題です。
食料自給というのは、ただ農作物を国内で作っているというだけでなく、そのための種や肥料をも、国内持久できるようにしておかなければ、それは自給とはいえません。

そして、その肥料を絶たれるということは、そのまま自国の安全が脅かされることになります。
食べ物が失くなるからです。
国防のために、ミサイルを装備することは大切です。
けれど、ミサイルを撃つ前に、食料の輸出を外交カードに用いられたら(いや、現に用いられていますが)、日本は、相手国のいいなりになるしかなくなるのです。

日本の農業と安全を守れ!!

このことは、いま我が国における喫緊の課題です。

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キャベツじゃなかった!” に対して1件のコメントがあります。

  1. N_Tom より:

    最近、家庭菜園を始めました。
    そこで、この頃の世界情勢や先生のお話などを受けて色々と作物の育て方を思案していました。

    そして、いろいろと調べているうちに先人の知恵といいますか、現在もそれを続けたり実験し続けている農家の方々の知識に出会うことができました。

    それは、むやみに雑草(特に根瘤細菌と共生しているマメ科の雑草)を刈り取らずに作物と共生させるというやりかたで、うまくいくかどうかこれから私自身しばらく実験してみようと思っています。

    このやり方では、土壌を柔らかくしながら肥えてくる等たくさんの効能があるということです。(ただ、近くに水場があると蚊が発生したり、蛇も出るようになるらしいのですが。。。)

    もしこのやり方が本当にうまくいくのであれば、万が一の場合、役に立つかもと思って取り組もうと思っています。

    そして、これも万が一の場合、食せる雑草もたくさんあるということでしたので、なかなか面白いと思っています。

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