ある書の序文をご紹介します。
ちょっとお堅い文章ですが、短いので、是非ご一読なさってみてください。

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国家の進運は
畢竟(ひっきょう)
その国家本然(ほんねん)の
独創的改革によって
はじめて成就(じょうじゅ)し得(う)るものであって、
決して模倣(もほう)によって
招来(しょうらい)し得るものでない。

日本には本来、
建国の昔から貴き伝統があり、
有難き国風がある。

ロシアの真似も、
英国の真似も、
アメリカの真似も、

すべてそれらは、
この国風を長養(ちょうよう)する意味において摂取(せっしゅ)する場合においてのみ意義を発揮し得るのであって、
単に模倣のための模倣は
決して日本のためにならぬのである。

その昔
儒教仏教もこれが国風化したときに、
はじめてそれは日本国家のものとなり得た事実に鑑(かんが)み、
欧米舶来の新思想もまた、
これを国風化して
日本開展の一資料たらしむる覚悟が
なければならぬのである。

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この文は、かつて特高(とっこう)と呼ばれた、特別高等警察官の職務手帳「特高必携」の冒頭序文にあるものです。(冒頭の写真)
正式名称は、特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)といって、一般の警察機構が都道府県単位に独立した警察組織になっているのに対し、特高は内務省の直接指揮下にあり、全国規模で思想の取締を行いました。

特高警察がおかれたのは、大正12(1923)年です。
なぜそういう機関がおかれたのかは、時代を考えると答えはすぐに見つかります。
その前年の大正11(1922)年に、日本共産党が結成されたのです。

大正6(1917)年にはじまる共産主義のロシア革命では、ニコライ二世など、ロマノフ王朝の王族がことごとく虐殺されました。
大正9(1920)年には、ロシアのニコライエフスクで尼港事件が起きて、ソ連の共産主義者たちによって約700人の日本人居留民が、みるもおぞましい姿で全員虐殺されるというたいへんショッキングな事件も起こりました。

大正11(1922)年になると、ソ連が世界の共産化を目指してコミンテルン組織をつくり、世界から君主を廃絶することを目標として掲げています。
これは我が国でいえば、天皇の廃絶です。
しかもそのためには、どれだけの人の命を奪っても、それは革命のためだからということで正当化されるというのです。
むしろこのような偏向した殺人思想を持つ者や団体は、取り締まらない方が、国としてどうかしています。

ですから世界中で、共産主義者に対する逮捕や投獄がさかんに行なわれるようになりました。
日本でも、日本共産党という極左暴力集団が結成されたのです。
これを取り締まるための機関が日本にできたのは当然です。

大正14(1925)年には、先般お話した「治安維持法」が制定され、特高警察の取締に法的根拠が明示されました。
さらに昭和初期には、日本国内の戦時挙国一致体制保持のために、これを否定する反戦運動家や、似非宗教などの反政府的団体も、取締の対象となりました。

戦後、特高によって逮捕投獄された人たちが、GHQの解放によって、牢獄からゾロゾロと出てきました。
彼らが口を揃えて言ったのは、
「自分は、国家権力によるいかなる弾圧にもめげずに、信念を貫き通した」というものでした。

そうであれば、彼らがヒーローとなるためには、特高による取り調べは、厳しいものであればあるほど、彼らにとって都合がよくなります。
ですから特高の取り調べは、脚色され、増幅されて、まさに特高警察による尋問は、暴力そのものによる極めて厳しいものであるかのように宣伝されました。

特高警察の取り調べは、ほんとうにそのように苛酷なものだったのでしょうか。

昭和7(1932)年に出された「特高必携」という本があります。
特高警察官の心得や、各種反社会的団体について、その概要を記した本なのですが、その本の序文には、冒頭でご紹介した文に続けて、次のように書かれています。

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特高警察官は、
彼等に対してよき薫陶を与え、
よき反省のための伴侶であり、
師であり、
友であることによって、
職務の実を挙げ得るよう心掛くべきである。
それは独りその人々の幸福たるのみならず、
国家のための至福たるべきものである。
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もし本当に、特高警察が、殺人鬼集団のようなものであったのなら、特高に逮捕された人たちは、そもそも出所できていません。
中共やソ連によって、政治犯として逮捕された人たちは、誰も出て来れません。
なぜなら、裁判もなく、皆殺しにされているからです。

そういう平気で皆殺しをするような思想を持つ者を、特高の警察官は逮捕したのです。
そこで何が行われたかといえば、捜査官たちが、逮捕した政治犯たちと真面目に向き合い、彼らの話も一生懸命に聞きながら、彼らに対して、その心得違いを諭し、ときに涙を流しながら、彼らに日本の国風にあった改革を考えるよう、懸命に説得を重ねていたのです。

もちろん殴ることもありました。
それがいいこと、わるいことという議論はさておいて、我が国の特高では、取調中の死亡者は、小林多喜二1名しか、実例がありません。
その小林多喜二にしても、暴力がもとで死んだわけではない。
病気になり、特高で懸命の治療をしたけれど、結果、死んだというのが、実際のところです。

考えてみてください。
これが諸外国の政治犯収容所なら、数千、数万人規模で死者が出ています。
特高警察官が、どれだけ「やさしかったか」ということは、
戦後に逮捕された政治犯たちが、全員、五体満足、健康そのもので出所してきた事実が明確に示しています。

戦後、GHQによって特高警察は解散させられました。
そしてその一方で、元政治犯たちによって、特高は恐怖の国家権力集団としての印象操作がなされました。
かつて、その特高警察官として、涙を流して説得にあたっていたまじめで正義感の強い警察官たちの思いは、いかばかりだったことでしょう。

さて、ここで、共産主義がはびこる土壌について、すこし触れておきたいと思います。
かつて世界を共産主義にしようと目論見、結果として崩壊した旧ソ連には、もともとロシア正教があり、そのロシア正教には、有名な「ユートピア思想」があります。

ユートピアというのは、ロシア正教が太古の昔に「あった」とする貧富の差のない理想郷です。
人類は社会の発展にともなって貧富の差や格差を産んだけれど、未来には人類発展の理想型として神によってユートピアが人々に与えられるとしています。

これは日本でいうなら、さしずめ極楽浄土です。
ただし、極楽浄土が死後の世界であるのに対し、ユートピアは人類の未来社会であるという点が異なります。

ところが、もともとが宗教的理想郷ですから、そのユートピアなる社会が、どのような刑事、民事、商事等に関する社会構造があるのかといった具体像はありません。
極楽浄土の社会構造や、立法、司法、行政の仕組みに具体的解説がないのと同じです。
あろうがなかろうが「ある」と信じるのが信仰です。

これだけなら共産主義はただの宗教的理想論に終わったはずですが、現実の貧富の差のある中で、このユートピア思想に当時流行したダーウインの進化論が加わりました。
進化論では、すべての生物は進化するものであり、進化に乗り遅れたものは淘汰されると説かれますから、両者がくっつくことで、「ユートピアにむかうことが人類の進化型」だとされたわけです。
そしてこれを阻害する者は、たとえ相手が君主や貴族や雇い主、はたまた同じ共産主義者であっても、淘汰されるべき存在であり、殺戮しなければならない、としたわけです。

この思想が、誰にとって都合が良いかと言えば、強盗や殺人鬼、権力主義者たちです。
なにしろ強盗傷害殺人が、進歩の名のもとに正当化されるのです。
おかげで共産主義によって殺害された人の数は、共産主義誕生以来おそらく10億人を下らない。

ふりかえってみれば、実にとんでもない話なのだけれど、当時のロシアの人々は、共産主義のユートピア思想にコロっと騙されてしまいました。
もともと、それを希求する歴史、文化がロシア内部にあったからです。

ただし、そうした土壌があってもなお、ロシアの共産主義者たちが、ロシア国内でに共産主義国を実現するためには、人類史上も、ロシア史上もかつて類例のないほどの、異常な殺人を重ねなければならなかったのです。

このことは、現在進行系で共産主義政権となっているチャイナも似ています。
チャイナには、伝説の時代とされる「三皇五帝(さんこうごてい)」の時代があります。

三皇は、伏羲・神農・女媧という神です。
 伏羲(ふくぎ)=伝説の帝王で文字を定め、八卦を整え、道具類を発明し、婚姻の制度を定めた帝
 神農(しんのう)=農具をつくり農耕を人々に教えた帝
 女媧(じょか)=伏羲の妻で、泥をこねて人類を創造した女神

五帝は聖人で、黄帝・顓頊・嚳・堯・舜という皇帝です。
 黄帝(こうてい)=中国を統治した五帝の最初の帝
 顓頊(せんぎょく)=黄帝の孫で人、天へ通ずる道を閉ざさせ、神と人との別を設けさせた帝。
 嚳(こく)=黄帝の曾孫で生まれながらに言葉を話すことができた。
 堯(ぎょう)=嚳の子で、仁は天のごとく、知は神のごとくと讃えられた帝。当時は太陽が10個あり、弓の名手の羿(げい)に命じて九個の太陽を打ち落とさせた。この時太陽の中にいたのが三本足の烏(八咫烏)とされる。
 舜(しゅん)=顓頊の7代子孫で、禹を採用して洪水を治めた。

この三皇五帝の時代が、チャイニーズたちにとっての理想世界で、扶桑国や蓬莱山に匹敵するチャイナにおける最高の理想社会とされてきました。
もっとも八世紀に書かれた『契丹古伝』によると、この三皇五帝は「いずれも倭種なり」ということで、日本人だったと書かれていますが・・。

ともあれ、チャイナでは伝説の時代に、人が人を殺すことのない、理想社会が営まれたとする記録があるわけで、これがチャイナの多くの文化人を共産主義に傾斜させた一因とすれば、チャイナの共産化は、旧ソ連のユートピアと、かなり似ていたということができます。

ちなみに、おかしなものに凝る人というのは一定割合で必ずあるもので、文化的背景にユートピア思想や三皇五帝などと似た伝説を持たない西欧諸国や、日本にも共産主義者がいるのは、これが理由です。
比率からすると、それはだいたい2.5%くらいと言われます。
ひとクラス40人なら、だいたいクラスにひとりくらいは、おかしな思想に染まった奴がいたご記憶は、多くの方がお持ちのことと思います。

上の文では、「欧米舶来の新思想もまた、これを国風化して日本開展の一資料たらしむる覚悟がなければなない」としています。
自由主義、民主主義、資本主義、共産主義等々、それらもまた、我が国の歴史、伝統、文化に即して、良い部分は取り入れ、良くないところは切り捨てる、そういう国風化していく努力が必要なのです。
なんでもかんでも舶来モノをありがたがるのではなく、日本の国情にかんがみて、学び、活かすという努力が大事だということです。

すこし脱線するかもしれませんが、英国生まれの高級スコッチのジョニ黒は、昭和40年代、つまり、サラリーマンの初任給が1〜2万円だった時代に、国内での販売価格は1万円しました。
いまで言ったら、一本20万円くらいの感覚になるのでしょうか。
まさに高級酒だったわけです。

けれど当時のジョニ黒は、英国から船に載り、アフリカ南端の喜望峰をまわって、はるばるインド洋を経由して日本に輸入されていました。
まだ船内の冷蔵設備など十分でなかった時代です。
ですから赤道直下を通過するときなどは、船内でウイスキーが沸騰してしまい、日本に着く頃にはもともと英国で売られているときとは全然別な味に変わってしまっていました。

けれど、それを当時のお金持ちさんたちの間では、庶民に手が届かない高級酒として贈答用に使われていたわけです。
いまでは冷蔵して輸入されますから、英国で売られているジョニ黒も、日本で売られているそれも、味は同じです。そして当時もいまも、値段は同じで14000円くらいです。

ただいえることは、沸騰ジョニ黒だった時代、高給スコッチは、贈答用にかなりの数が売れました。
なにせ、味より「値段が高い」ということが重要だったのです。

かつては北朝鮮が人類の理想国家として、北朝鮮への移民が奨励された時代もありました。
日本は世界最悪のひどい国であり、北朝鮮には、人類が理想とすべき素晴らしい楽園が建設されているから、こんな日本は捨てて、北朝鮮に移り住もうというわけです。
けれど、現実の北朝鮮がどういうものであったか、いまでは誰でも知っています。
ただ、このとき、移民を斡旋した連中は、大儲けしています。

要するに、思想であれ品物であれ、なんでもかんでも舶来品をありがたがるのは、なんらかの下心や邪心のもたらす悪徳商法や、利権集団の悪事の宣伝によるダマシでしかないのです。

ほんとうに我が国民のためを思うのならば、北朝鮮を理想郷としてそこに単に逃げ出すのではなく、その「よくない」と思う日本を、いかにして住み良い国にしていくか、そのために世界中の様々な習俗や思想を学び、それをいかにして日本の国風に調和させていくか、そういうことをまじめに考え実行することが大事です。

そして、そうするためには、まずは日本という国の持つ歴史、文化、伝統、国風をしっかりと学び、その上で、海外の文物を学び、取捨選択して日本にそれを根付かせる。
それにはもちろん、膨大な時間がかかるし、損な役回りだし、途中で何度も失敗もあるかもしれない。
けれど、本当にそれがいいものだと思うならば、なんどでもあきらめずに、謙虚に学び行動していく、その覚悟が大事だと、冒頭の文章は書いているわけです。

これからの日本人は、より良い、ほんとうに日本人が日本人として、豊かに生きれる社会について、自分たちの頭で考えるべきです。

夏目漱石の『草枕』です。
「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角かどが立つ。
 情(じょう)に棹(さお)させば流される。
 意地を通とおせば窮屈(きゅうくつ)だ。
 とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高(こう)じると、
 安い所へ引き越したくなる。
 どこへ越しても住みにくいと悟(さ)とった時、
 詩が生れて、画(え)が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
 やはり向う三軒両隣(りょうどなり)にちらちらするただの人である。
 ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、
 越す国はあるまい。
 あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
 人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、
 住みにくい所をどれほどか、
 寛容(くつろげて)、
 束(つか)の間(ま)の命を、
 束の間でも住みよくせねばならぬ」

※この記事は2013年4月のねずブロ記事のリニューアルです。

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