昨日、空港で食事をしたのですが、場所柄、海外からの旅客の方々もたくさんおいでになります。
そのなかにお若い、日本のすぐ近くの半島からの観光客(?)のいち団がおいでになりました。
団体さんらしいのですが、そのお食事のお姿がすさまじい。
パスタを召し上がっておいでだったのですが、
1 お皿を置いたまま、顔を上下しながら食べる。
2 両肘を付いて片手でスマホをいじりながら、顔を上下して食べる。
男女とも皆様お若い、美男美女の集団だったのですが、とにかく食べ方が(もうしわけないけれど)汚い(笑)。

そういえば子供の頃、皿や茶碗を置いたまま顔を上下しながら食べるのは「犬食い」(犬のような食べ方)だといって、すごく叱られた思い出があります。
もともと日本食は、お座敷で、個別の「御膳」に乗せたご飯とお料理をいただく習慣でした。
御膳の高さは12〜15センチくらいしかないので、もちろん肘を突いていただくなんてことはできません。
また、犬のように、首を上下に振りながらいただくこともできません。
ですから左手に椀を持ち、右手のお箸で、背筋を伸ばしていただくのがマナーとなっていました。

世界中どこの国でもそうですが、歴史が古く、文化が成熟している国や民族は、必ず食事のマナーを持ちます。
大勢でお食事をいただくときに、目上の人に失礼があってはならないからです。
ところが歴史の浅い(というか歴史を持たない)民族の場合、食事のマナーが成熟しません。
なぜなら激しい収奪のため、とにかく生きるために、眼の前に食べ物があれば、がっついていかなければ、生き残れなかたわけで、そこにはマナーも、ルールもないのです。

他方、日本においては、一昔前までは、洋食の食べ方のマナー教室が繁盛したほどで、食事の前にまずマナーが重視されていたわけです。
けれどこうした傾向は、英国やフランスなどでも同じなのだそうです。

最近では、少子化と核家族化の影響で、日本人でもマナーを知らない若者が増えているといいますが、これはとても残念なことです。

さて、和服の着方で、よく問題にされるのが、右前(みぎまえ)か左前(ひだりまえ)かです。
俗説に、男は右前、女は左前という人もいます。
けれど正解は、
「男女とも右前に着る」
です。

女性の振り袖や小袖などの着物も、よく見れば、柄がそのように着たほうが映えるようにできています。
男性のアンサンブルでも、柔道着や剣道着などでも、男女を問わず、すべて右前です。

さて、右前とか左前というのは、どういう着方を言うのでしょうか。
答えは、「先に右側の身頃、続いて左側の身頃を重ねながら着る」ということです。
そのように着ると、前から見たとき襟元が「y」字のようになります。
それが正解です。

なぜ先に自分の右手側の身頃を先に体に合わせるのか。
これには明確な決まりがあります。

時は養老3年(719年)の元正天皇の御世にさかのぼります。
元正天皇というのは、奈良時代においでになられた女性の天皇で、歴代御皇室の女性の中でも、最も美しかったと伝えられている女性天皇です。

そしてこの年に発せられたのが
「右衽着装法(うじんちゃくそうほう)」
です。
これによって、すべての衣服は右前で着装することが定められました。

「衽」という字は、見慣れない漢字ですが、訓読みが「おくみ」で、和服の前幅を広く作るために前身頃(まえみごろ)に縫いつける細長い布のことを意味します。
つまり右の「おくみ」を先に身につけなさい、というお触れがこのときに出されたのです。

なぜ、そのようなお触れが出されたのかには、理由があります。
この翌年(720年)の5月に、『日本書紀』が成立(元正天皇に提出)されることになっていたからです。

日本書紀の編纂は、681年の天武天皇の詔(みことのり)に端を発します。
以来、39年の歳月をかけて編纂が進められ、いよいよそれが天皇に献上されるという段階になって、これに先立って出されたお触れが「右衽着装法」なのです。

日本書紀は、その全巻を通じて、
「なにごとも霊(ひ)が上、身が下」
という考え方が貫かれています。
人は霊(ひ)止(と)《あるいは霊(ひ)留(と)であり、肉体(身)は霊(ひ)の乗り物にすぎない、というのが日本書紀を通底する考え方です。

ですから、着物を着るときも右前、つまり着物の右側を先に体に巻きつけ、その上から着物の左側が外側になるように体をおおうこととしたのです。
つまり「霊(ひ=左)が上」なのです。

この着方について、俗説では
・世の中には右利きの人が多いせいだ
・たくさんの柄が書かれている方が外側だ
・男は右前、女は左前だ
などなど、さまざまな俗説がまかり通っていますが、意味がわかれば、それら俗説はすべて吹っ飛びます。

ちなみに左前の着方というのは、仏式の葬儀において仏様に着せる経帷子(きょうかたびら)の着せ方です。
これは仏教が、今生きている世界と死後の世界は真逆になるという考え方に基づくものです。
女性が着物を着るときに、「お前は女だから左前に着ろ」というのは、死ねと言っているのと同じ、残念なことです。

ところが洋装の場合は、女性のブラウスは、最初からボタンが左前に付けられています。
これは、和服とは、また違った歴史によるものです。
日本に洋装が入ってきた時代は、いわゆる植民地全盛の時代でしたが、西洋において高貴な女性は、自分の手でブラウスを着ることがなく、すべて召使いに着せてもらうのが慣習でした。
このため、召使がボタンをかけやすいようにブラウスのボタンが左前に作られるようになったのです。
つまり洋服における女性の左前は、「私は高貴な女性よ、セレブなのよ」と言っているのと実は同じ意味になります。

洋服に置いても、男服は右前です。
なぜかというと、男は貴族であっても戦場に出ます。
戦場では、メイドに軍服を着せてもらうわけにはいきません。
自分で軍服を着なければならない。
だから洋服でも、男物は右前です。

どんな些細なことにも、そこには歴史があり、文化の裏付けがあります。
逆に言えば、「文化の裏付けが成立したときに、それが歴史になる」ということです。
つまり、文化(カルチャー)が歴史をつくるのです。

そういう意味で、日本を取り戻す、日本を変える、日本をもっと立派な国にする、というのは、新たな日本のカルチャー(文化)造るということを意味するということができます。

もっというなら、カルチャー(文化)が、日本を変え、日本を立派な国にし、日本を取り戻し、新たな日本の歴史をひらくのです。
ねずブロや、ねずさん動画や、ねずさんの講義で一貫してやってきていることは、そういうことです。

※この記事は2021年4月の記事のリニューアルです。

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