平安中期、第66代一条天皇の御時に、都で子どもばかりを狙った人さらい事件が起こりました。
しかもたびたび、です。
あるとき、池田中納言の一人娘まで、さらわれてしまいました。
両親は心配して、安倍晴明に占ってもらいました。
すると娘は、他の子供たち同様に大江山の鬼に連れて行かれたとわかりました。

鬼たちは、都の西北にある大江山に住んでいました。
大将は赤鬼で、なんと身長3メートル。
名を酒吞童子(しゅてんどうじ)と呼ばれていました。
鬼たちは、さらっていった娘や子たちをさんざんこき使った挙げ句、最後には食べてしまうと噂されています。

心配した中納言は、天子様のもとにあがりました。
情況を詳しく申し上げて、子らや娘の無事と一日も早い鬼退治をと、お願い申し上げました。

天子様はたいそう気の毒に思召(おぼしめ)され、
「たれか武士のうちに、大江山の鬼を退治する者はないか」
と大臣にお尋ねになられました。
すると大臣が
「源氏の大将の頼光がよろしい」と言う。
一条天皇も「それが良いであろう」と思召(おぼ)しめられ、源頼光を呼んで大江山の鬼退治をお命じになられました。

依頼を受けた源頼光は考えました。
鬼たちを退治するのに大江山に大軍を繰り出せば、鬼たちが逃げてしまいます。
そこで頼光は、四天王と呼ばれた配下の、
 渡辺綱(わたなべのつな)
 卜部季武(うらべのすえたけ)
 碓井貞光(うすいのさだみつ)
 坂田公時(さかたのきんとき)と、友人の
 平井保昌(ひらいのやすまさ)の6人だけで、大江山に向かうと決めました。

けれど、鬼たちは神通力を使うといいます。
そこで神々の助力を得るため、
頼光と保昌で男山の岩清水八幡宮へ、
綱と公時で住吉明神へ、
貞光と季武で熊野権現に
お参りをして御加護を祈り、山伏の姿で大江山へ向かいました。

艱難辛苦を神々の助力によって、ようやく酒吞童子と相まみえた頼光らは、鬼たちに持参した酒を飲ませ、スキを見つけて鎧に着替えると、まずは頼光が酒吞童子を倒して、その首を掻き斬りました。
すると酒吞童子の首は、眼をカッと見開いて頼光に噛みつこうとしました。
けれどそのとき、頼光の兜(かぶと)の前立てが光って、鬼が眼をくらませました。
頼光はすかさず、二太刀、三太刀と刃を浴びせ、ついに酒吞童子を倒しました。
他の鬼たちは、てんでに鉄棒をふるって打ちかかってきましたが、平井保昌と四天王らが果敢に戦って一匹残らず倒しました。

こうして鬼を倒した頼光らは、池田の中納言の姫様や、他のさらわれた子たちを助けて、めでたく都に帰りました。
都の人々はたいそうよろこび、一条天皇からもたくさんのご褒美をいただいきました・・・と、これが「大江山酒呑童子」の伝説です。

この鬼退治で源頼光が用いた刀が「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」の名刀で、この日本刀は、現存する日本刀の中でも最上級の「天下五剣」の中にあって、最も古く、最も価値の高い日本刀とされて、現在、国宝となっています。

「童子切安綱」は、伯耆国(ほうきのくに)の刀工、大原安綱の作の刀で、安綱の最高傑作とされる刀です。
安綱は、あまりに素晴らしい刀が出来たので、これを征夷大将軍坂上田村麻呂に献上しました。
坂上田村麻呂もまた、あまりに素晴らしい刀なので、これを伊勢神宮に奉納しました。

そして後年、源頼光が伊勢神宮に参拝すると、天照大御神からのお告げがあって、この刀がなぜか源頼光に授かるのです。
これは、天照大御神は、その後に源頼光が鬼退治をすることをあらかじめ知っていて、頼光にこの刀を授けたのだと言われています。
この刀で、源頼光は大江山の酒吞童子を倒したのです。

「童子切安綱」の切れ味については、こんな逸話があります。
江戸時代、津山藩の松平家で、この刀の試し切りを行いました。
すると「童子切安綱」は、積み上げた6体の遺体を一刀のもとに両断したのみならず、さらに遺体の下にあった台座まで、真っ二つに切り裂いたそうです。
現在「童子切安綱」は、東京国立博物館に所蔵されています。
吸い込まれるような美しさのある名刀です。

大江山酒呑童子の物語は、何が悪であるかを教えるものです。
酒吞童子の一味は、女性や子供を誘拐し、拉致し、奴隷として使役していました。
それは、子や娘をかどわかされた親に悲しみを与えるものであるし、拉致された子や娘の悲しみです。

このように申し上げますと、「そんなことはあたりまえじゃん」と思われるかもしれません。
けれど世界に目を向ければ、女性や子供を誘拐し、拉致し、奴隷として使役するということは、ある意味、世界の常識であり、世界中であたりまえのように行われていたことです。
そして現代日本においても、女性や子供の拉致誘拐は、現実に起きていることです。

そういうことがない社会を築く。
万一、そのようなことがあれば、断じてこれを許さず成敗する。
我が国において、刀剣とは、そのためにあるものです。

そしてこのことは、現代における警察や自衛隊の心得であり、また旧帝国軍人の基本となる心得でもありました。
もちろん武器は刀剣から銃へと変化しています。
けれど、とりわけ自衛官において、銃を持つことの重大さは、自衛官の最大の心得として、いまも大切にされている日本の武人の心得です。

武と暴力は違います。
英語なら「武」は「マーシャル(martial)」です。
「マーシャル(martial)」の語源は、古代ローマの軍神である「マーシャル」の名が由来です。
そしてこのことから、赤い星である火星のことを「マース(Mars)」と呼びます。
「マース」も「マーシャル」も、勇ましさ、軍人らしさを象徴します。

「暴力」は英語なら「バイオレンス(violence)」です。
「バイオレンス(violence)」は、ラテン語で「不敬、冒涜、傷害」を意味する「violationem」が語源です。
そんな「バイオレンス」に立ち向かう力が、「マーシャル」であり、それは神の力です。

我が国では、大和言葉の「たける」に、戈を止めると書く「武」の字が与えられました。
「たける」は、「竹のように真っ直ぐにする」という意味の言葉です。

※この記事は2022年5月のねずブロ記事のリニューアルです。

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