第109回倭塾は、2024年5月25日 12:30-17:00 の開催です。場所は富岡八幡宮/婚儀殿2F。テーマは「マネーの歴史とこれから」です。みなさまの奮ってのご参加をお待ちします。詳細はコチラ

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昔から「立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹(ぼたん)歩く姿は百合(ゆり)の花」などと申します。

どれも美しい花ですが、芍薬(しゃくやく)は、すらりと伸びた茎の先に、華麗な大輪の花を咲かせます。
花は、牡丹も芍薬もよく似た大輪の花を咲かせますが、牡丹が「木」なのに対して、芍薬は「草」です。

草は木ほど丈夫でしっかりとはしていませんから、そんなところから芍薬の花言葉は(大輪の花なのに)「はじらい、はにかみ」です。
振り袖の着物を着た立ち姿が、ちょっと恥じらいがあって、すこしはにかんだ笑顔がまるで花が咲いたよう。
そんな姿が「立てば芍薬」という言葉になっているのかもしれません。

 芍薬(しゃくやく)

「牡丹(ぼたん)」は、「百花の王」といわれるくらいで、まさに豪華絢爛、華麗で美しい花を咲かせます。
洗剤などのメーカーの「花王」さんの「花王」も、もともとは牡丹のことを言った言葉です。
まさに花の王様で、花言葉も「高貴」。

座った姿に品があり、高貴ささえも感じさせる。
そんな姿が「座れば牡丹」の言葉になったのかもしれません。
ちなみに、鑑賞する際に、芍薬は立って鑑賞するのが良く、牡丹は座って眺めるのが良いから「立てば芍薬、座れば牡丹」という説もあります。

 牡丹(ぼたん)

「百合(ゆり)」の花言葉は、「無垢、純潔」で、ほかにも「威厳」というものもあります。
ちなみに百合の名前の由来ですが、百合は球根が一枚一枚むけるのですが、それが100枚(つまりたくさん)あることから、百枚合わせで「百合」なのだそうです。
もっとも、大きな花が風にそよいでユラユラ揺れる、そんな風情から「ゆり」となったという話もあり、どちらがほんとかは、わかりません。

百合は、花そのものが清楚な印象がありますので、まさに「歩く姿は百合の花」なんて、とっても美しい形容だと思います。

 百合(ゆり)

記紀では、まず日本の国土が生まれ、次いで神々が誕生したとあります。
わたしたちの国においては、国土や風土と神々は兄弟です。
その神々の直系のご子孫が歴代の天皇です。
その天皇の家系に連なっているのが日本人です。
ですからわたしたちの国では、国土や風土や森の樹々や草花などと、わたしたち人との間には、わかつことが出來ない深い絆(きずな)があるとされてきたのです。

柿本人麻呂は、万葉集で次のように書いています。
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やすみしし 我が大王(おおきみ)
神(かむ)ながら神さびせすと
芳野川(よしのがは)たぎつ河内(かふち)に 高殿を 高しりまして
登り立ち國見をすれば疊(たゝな)はる青垣山
山祇(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつぎ)と
春べは 花かざしもち
秋立てば 黄葉(もみぢ)かざせり
ゆきそふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕へ奉ると
上つ瀬に 鵜川(うがは)を立て
下つ瀬に 小網(さで)さし渡し
山川も 依りてつかふる 神の御代かも
===========

この歌は、持統天皇の吉野行幸に際して詠まれた歌で、現代語に訳すと次のようになります。

「天の下を知らす我がおおきみが
 神として、そして神の御業をなさるため
 吉野川の激流渦巻く都邑に高い宮殿を建て
 その高殿に登り立って国見をなさると
 幾重にも重なりあって緑なす山々の
 山の神が天皇に捧げる貢ぎ物として
 春には花を髪にかざし
 秋には紅葉を飾り
 流れる川の神も天皇の御食(みけ)に仕えようと
 上の瀬で鵜飼いを催(もよお)し
 下の瀬では投網をさし渡し
 このように山の神も川の神も仕えている、
 まことに尊い神の御代であることよ」

日本は、風土も人も、一体です。

※この記事は2014年5月のねずブロ記事の再掲です。

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立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹(ぼたん)歩く姿は百合(ゆり)の花” に対して1件のコメントがあります。

  1. 和久田日出夫 より:

    知らないことばかりです。とても勉強になります、ありがとうございます。

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