平安時代といえば、その中期において戦乱もなく、世の中が平和で、紫式部や清少納言、和泉式部、小野小町など、日本を代表する数々の女流歌人を排出した、まさに文化の爛熟した平和な時代として認識されています。
そもそも女性が活躍できる時代というのは、言い方を変えれば世の中が平和で豊かで安定していることの裏返しともいえるわけで、この時代の素晴らしさを否定できる人は、そうそうはいないものと思います。
ちなみにこの平安時代について、昨今の学校の教科書の中には、貴族たちが毎日豪華絢爛な食事をし、庶民は粟や稗(ひえ)しか食べることができないほど収奪されて貧しかったなどという説を、わざわざご丁寧に食卓の写真まで付けて紹介しているものがありますが、馬鹿げた話です。
貴族が毎日そんな食生活をしていたら、貴族は高脂血症でみんな若死にしてしまいます。
そもそもその御膳の写真は、貴族の宴会の際の宴会料理と、とびきり貧しい状況に至った(いわば特殊な状況下の庶民の食卓)とを比較したもので、これは印象操作と指摘されても仕方がないものです。
そのような印象操作までして、いったい何がのぞみなのかと思ってしまいますが、いわゆる左の人たちは、とにもかくにも日本を壊したい、同時に半島からやってきた悪質な元共産パルチザンの人たちは、人かどうかさえ疑わしいほどだけれど、その者たちが彼らのコミュニティで絶対的な権力を持ち、日本もまた半島と同様に庶民が収奪されていたに違いないと宣伝する。
この2つが重なることで、戦後の日本では、事実が極端に歪められています。
いわゆる極左と呼ばれる人たちは、その関係者を含めて、人数は全国でおよそ50万人程度であるといわれています。また日本にいて反日活動に精を出す半島の人の数がおよそ150万人。あわせてもわずか200万人です。
日本の人口は1億2600万人ですから、彼らが人口に占める割合は、わずか1.6%にすぎません。
たったそれだけの人たちの傍若無人をゆるしてしまっている戦後日本は、ほんとうに情けないものと思います。
冒頭に申し上げた平安時代は、平安初期に書かれた『新撰姓氏録』によると、なんと人口の3分の1が外国からの帰化人です。
現代でいうなら、国民の3分の1、およそ4千万人が外国人であるようなものです。
それだけの状況にありながら、平安時代の日本は平和で豊かで安定した日本を築き上げたのです。
現代と比較したら、これがどれだけすごいことかわかろうというものです。
なぜそのようなことができたのかといえば、答えは明確です。
平安時代に至る前、飛鳥時代から奈良時代にかけて、我が国が日本書紀を編纂し、日本とは何かを過去の歴史から紐解いて、日本という国家の理想と形を明確に掲げたことによります。
このときの日本は、民族国家(エスニック)を目指したのではないのです。
いまから1300年もの昔に、日本は、豈国(「よろこびあふれる楽しい国」)であるために、国の形を「知らす国」と定め、備蓄食料であるお米を大切に扱い、いかなる災害にも耐えうる食料を常に確保し、身分の上下や男女の別なく、誰もが豊かに安全に安心して暮らせるステイト(State)を目指したのです。
この体制は、我が国の縄文以来のネイション(Nation)として形成されてきた、万年の単位の知恵によります。
だからこそ、人口の3分の1が外国からの渡来人であっても、その外国人たちがむしろ積極的に帰る国を日本と定め(これを帰化といいます)、日本で暮らし、日本人となって日本の歴史を築くという道を選んできたのです。
そもそも、日本が嫌いで日本にいたくないという人たちは、このグローバル化した世界の中で、そもそも日本に住む必要はないのです。
実際、日本よりも外国、たとえばアメリカやフランスが好きで、日本を飛び出してそちらの国で暮らすようになった日本人だって、たくさんいます。
その人達は、ではアメリカで暮らしながら反米主義者になったでしょうか。反フランス主義者になったでしょうか。むしろ積極的にその国の一員となれるよう、努力を重ねてきたのではないでしょうか。
それでも長年外国に住むと、結局の所、日本に帰るという選択をする人がほとんどだといいます。
なぜなら日本がそれだけ居心地の良い国だからです。
ということは、日本に居ながらにして反日活動に精を出す人たちというのは、日本という寛容性の高い社会にあって、ただ社会に甘えているだけ、あるいは日本から甘い汁を吸おうとしている、吸血鬼でしかないということになります。
吸血鬼は人ではありません。
人でなければ「人でなし」です。
自分から進んで人でなしになろうとしているというのは、あわれなものです。
ただし、だからといって、彼らをいくら批判したところで、日本が良くなるわけではありません。
もちろん非を正すことは大切ですが、それ以上に日本人自身がネイションとしての日本の国家像を持つことは、もっと大事です。
夏目漱石の『草枕』です。
「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。 智ちに働けば角(かど)が立つ。 情(じょう)に棹(さお)させば流される。 意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。 とかくに人の世は住みにくい。 住みにくさが高(こう)じると、 安い所へ引き越したくなる。 どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、 詩が生れて、画(え)が出来る。 人の世を作ったものは 神でもなければ鬼でもない。 やはり向う三軒両隣(りょうどなり)に ちらちらするただの人である。 ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、 越す国はあるまい。 あれば人でなしの国へ行くばかりだ。 人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」
「三軒両隣(りょうどなり)にちらちらするただの人」がもっとも気にかかる存在であるということは、日本では民衆が大切にされてきたということです。
だから人々は、権力者よりも向こう三軒両隣を気にしたのです。
国がピラミッド型の権力組織であるなら、人々は上の人の意向を気にします。
民衆が「おほみたから」と大切にされてきたからこそ、夏目漱石の草枕のこの言葉になっているのです。
果たして現代日本は、いかがでしょうか。
※この記事は2020年6月のねずブロ記事のリニューアルです。