世の中で何が正しいのか。
これが「正しい」と主張する人たちがいます。
その多くは、学校で教わった、誰かから教わったことです。
もちろんそれを納得しているから、自分の中でそのことを「正しい」と信じているわけですが、現実はそうでもなかったりします。

たとえば大学で商法を教わります。
商法の建前は、企業は株主が社員であって、社員が経営者を雇い、経営者が従業員を雇って商売をしていることになっています。
つまり会社のオーナーはあくまで株主であって、社員は、ただの月給労働者にすぎません。

そして経済学上は、社会はグローバルな世界になっているのだし、株式は世界中の企業の株式を誰もが買うことができる世の中になっているのだから、日本人が株主として外国企業のオーナーになることもあり、逆に外国人が日本企業のオーナーになることもあると考えられています。
それが正しい考え方だとされているから、商法は、その方向で作られているし、経済はグーローバル化していると考えられています。

こうして、大学で経済や商法を習い、それらを「正しい」と教わってきて、その教わったことを「正しい」と頭から信じている人たちが、エリート官僚となり、さらに官僚から国会議員などに転出して、世の中を動かしていくことになります。
そして彼らは、そのことに何の疑問も持たない。
「正しい」と信じているからです。

けれど、日本と西欧では、歴史伝統文化経済の成り立ちが違います。
西洋の場合、現代ビジネスの形が始まったのが、14世紀のことになります。
ユーラシア大陸を席巻したモンゴルの大帝国が崩壊し、それまで使われていたモンゴルの通貨が価値をなくし、その頃までに黄金を蓄えていたオスマントルコが地中海を席巻し、西洋の白人たちはひたすら収奪されるばかりの状況になりました。

このとき、「俺たちにはギリシャローマの時代から続く歴史があるではないか」ということで始まった運動が、いわゆるルネッサンスで、ルネッサンスというのはフランス語で再生や復活などを意味する用語です。
ちなみにこの時期のルネッサンス運動のことを、「文化の再生運動だ(ルネッサンス運動だ)」と述べたのは、19世紀のフランスの歴史家ジュール・ミシュレで、要するにルネッサンスというのは、そうした思想的運動が起きてから500年も経ってから付けられた名前です。

現実には、オスマンによって財を奪われて極貧状態に陥った地中海沿岸の人々がいて、もう地中海では商売にならないとばかり、地中海の最西にあるスペインとポルトガルが、アフリカ方面に新たな交易を求めて進出。
このときの船の手配のための資金を、一定の資本家の人たちが出したことが、ひとつの成功体験となって、「うまく行くプロジェクトに資金を出す→プロジェクトが儲かる→資本家が儲かる」という仕組みが成立することになりました。

大航海時代の船は、こうして一部の金持ちが船を手配し、船長を雇い、船長が船員を雇って、アフリカ方面に進出して黄金を奪いまくる。
儲けの半分は資本家が取り、資本家にとっては、途中で船員や船長が死のうが怪我をしようが、まったくお構いなし、というビジネスモデルが、成功するモデルとして西欧社会に定着することになりました。
そしてこのビジネスモデルこそが、いまも続く西欧型企業の形態となります。

実際、儲かりそうなビジネスがあると、西欧では投資会社が巨額の資金をいきなり投入してくれます。
たとえば、どこかの主婦がネットで衣料品を販売して月に100万円くらいの利益を上げたとすると、そこに投資会社がやってきて、百億円投資してあげるから、その商売を全世界に展開しましょうと持ちかける。
主婦はいきなり、大企業の社長になりますが、ただし、資本家に雇われているだけです。

一方投資会社の方は、投資した会社が潰れてしまっては元も子もありませんから、投資を分散するために、投資額を株に小分けして、多くの人に買ってもらいます。
半分分けても、株価が倍になればチャラ、三倍になれば投資額は倍になって戻ってきます。
いわばマネーゲームですが、こうして成立しているのが、現代世界のビジネスモデルです。
そして日本の商法も、そうした社会構造を前提にして、法体系ができています。

けれど、日本には、欧米にあるようなそのような投資会社は、ごくわずかしかありません。
商社などが、その代わりを務めることはありますが、対象となる企業は、ごくわずかです。
たとえば、スターバックスは、いきなり全国展開したビジネスになっていますが、それらは外国資本であり、外国資本が日本に進出するにあたり、商社などに声がけをして資金を募っているという形です。
日本人の普通のおばさんがネット通販をして少々の利益を挙げていたとしても、そこに資本参加してくれる投資会社など、日本にはありません。

そもそも日本では、経済の成り立ちや仕組みが、欧米とは全く異なるシステムで運用されてきたのです。
日本では、庶民はみんな天子様の「おほみたから」であり、その「おほみたから」が集まって家族を形成します。
その家族は、血が繋がっているわけではなくても、一緒に商売をする仲間たちは、みんな家族です。
そして、それぞれの家族が、互いに切磋琢磨して、商売をして、一族を繁栄させる。
三井、住友、三菱、鴻池など、みんなその形ですし、千年以上続く企業となる金剛組や西山温泉など、全部、この形です。

ですから日本では、社長は親父であり、従業員は家族です。
そして家族全員が、死ぬまで一緒に仲良く暮らしていけるようにする。
それが商売というもだというのが、日本における歴史であり、伝統文化です。
つまり、西欧と日本では、文化の成り立ちが違うのです。

明治以降の日本は、とにもかくにも欧米社会に追いつき追い越せでやってきたし、とりわけ現代の法体系が築かれた明治時代は、日本が不平等条約に苦しんだ時代であり、日本を短期間に欧米と対等な国にするために、欧米のシステムをまるごと日本に導入しようと努力がされてきた時代です。

それは「欧米の政治や社会体制等が素晴らしいものであったから」ではなく、あくまで「欧米と対等に付き合える国」となることを目指したからです。

しかし現代は、様子が異なります。
日本は現実には米国の「属国」の地位にあるし、それでいて国連では日本は世界の「敵国」です。
そして欧米社会のシステムは、いまや完全に破綻が見えてきている状況にあります。

そうしたなかにあって日本はいま、新たな世界のリードオフマンとなれるよう、日本の歴史や伝統文化を根底から見直し、世界に冠たる、そして古くて最も新しい日本の文化を、あらためて取り戻し、発展させ、日本も世界もともに豊かになる道を進むべきときにきています。

それはつまり、これまでの、明治以降150年の間にはなかった、まったく新たな展開です。
その展開を考え、新たな日本を構築していくのか、
それとも、欧風化を継続することで、欧米とともに沈没していくのか。
その選択のときにきているのです。

そしてこのときにもっとも必要なことは、日本人があらためて日本を学ぶこと。
なぜならそれが日本人の根源だからです。

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