現実の世界に「モブキャラ」など一人もいません。誰ひとりとして背景ではなく、誰もが固有の響きを持つ主役です。日本は古来、八百万の神々の思想をとおして、すべてのいのちには意味があり、尊厳があるという世界観を育ててきました。本稿では、現代に広がる「モブキャラ思考」から距離を置き、昭和天皇のお言葉と日本の精神文化を手がかりに、共鳴文明へとつながる新しいまなざしを考えます。

「モブキャラ」という言葉があります。
ビデオゲームなどで、主人公の背景として登場する“その他大勢”のキャラクターのことです。
建物や並木と同じように扱われ、個性も物語もない、ただ存在するだけの人物です。

ゲームの中であれば、それでも成立するかもしれません。
けれど、私たちはいつの間にかこの“モブキャラの思想”を、
現実の人間社会にまで持ち込んでしまってはいないでしょうか。

■西洋の歴史観は「英雄」対「モブキャラ」で成り立つ

西洋史を学んでみると、すぐに気づくことがあります。
そこでは歴史が常に英雄譚として語られ、
英雄以外の人々は、ほとんど背景として扱われています。

たとえば『ノアの箱舟』の物語ではどうでしょうか。
「堕落した人々が滅ぼされた」と語られますが、
その“人々”ひとりひとりに人生があったかどうかには触れられません。
腐敗した民衆はひとまとめ。彼らには表情も物語もなく、まさにモブキャラの扱いです。

現代のウクライナ報道でも同じです。
プーチンがどう動いた、アメリカがどう仕掛けた、
世界の“英雄”の視点ばかりが語られ、
そこに暮らす普通の庶民の日々の声は、ほとんど届きません。

英雄が中心で、
それ以外はモブキャラ。

これが、西洋思想の根底にある視点なのです。

■さらに露骨な東洋(チャイナ)の史観

『三国志』を見てもわかります。
曹操、劉備、関羽、孔明……
英雄豪傑たちが物語を動かし、その他の人々は“殺されるために登場するだけ”の存在です。

つまり、歴史のクライマックスに関係しない人間は、
そこにいる価値も物語もないという世界観です。

けれど、はたして本当に、
世界はそんな歪んだ構造でできているのでしょうか。

私は、違うと思います。

■日本文明は「ひとりひとりが主役」という世界と向き合ってきた

ここからが、日本のすばらしさであり、世界史的な独自性です。

日本の歴史には、そもそも“モブキャラ”という考え方がありません。

万葉集には、天皇や貴族だけでなく、
名もなき庶民の歌が多く収められています。
恋をした娘、旅に出る若者、働く父親……
どの人も、まぎれもなくその人生の主役として歌を詠んでいます。

大阪夏の陣では、茶坊主の前園良寛という人物の物語が、
現代にいたるまで語り継がれています。
英雄の陰に埋もれるはずの“たったひとりの若者”の生きざまが、
しっかりと歴史の一部として扱われているのです。

これは、西洋にも東洋(チャイナ)にも存在しない価値観です。

つまり日本文明は、
ひとりひとりの人生の輝きを見つめてきた文明です。

◆「一寸の虫にも五分の魂」
◆「歩のない将棋は負け将棋」
◆「すべてのいのちはおほみたから」
◆「八百万の神々」=全員が中心で、全員が脇役、そして誰も“モブ”ではない

こうした価値観が、太古からずっと日本の根底に流れています。

そして、この世界観を象徴する言葉が、昭和天皇のあのお言葉です。

■昭和天皇のお言葉──日本文明の核心

昭和天皇のお言葉です。
「世の中に雑草という草はありません。
どんな植物でも、それぞれ皆名前があって、
好きな場所で生を営んでいます。
人間の一方的な考えで雑草と決めつけてしまうのはいけません。」

私は、このお言葉が日本文明の本質をもっとも的確に表していると思います。

雑草なんて存在しない。
人間の勝手な分類で、価値のないものにしてしまってはいけない。

同じことは、人間にも当てはまります。
この世界に、モブキャラなどひとりもいないのです。

■そしてこの価値観は、「共鳴文明」へと直結する

いま私が語っている「共震・共鳴・響き合い」という文明観は、
まさにこの日本的な思想の延長線上にあります。

共鳴文明とは、
◎ひとりひとりが固有の響きを持ち
◎その響きが他者の響きと重なり
◎関係性のなかで調和を生み出す文明

です。

ここでは、特別なヒーローはいりません。
誰か“主人公”がいて、他は背景という発想もありません。

全員が主役で、
全員が脇役で、
全員が中心で、
全員が支え手です。

それが、八百万の神々の世界観でもあります。

英雄の文明から、
ひとりひとりの響きが重なる文明へ。

これは、人類にとっての大転換です。

■結論──ひとりひとりの響きが未来の文明をつくる

私は、以下のように考えます。

「モブキャラ」という発想そのものが、
人間を「価値」で分類してしまう文明の表れだと。

日本人は古来、
人を価値で見るのではなく、
一人ひとりの「いのちの響き」そのものを大切にしてきたのです。

だからこそ、私たちは忘れてはいけないと思うのです。
「現実の世界に、モブキャラなんてひとりもいない」と。

すべての人が、固有の響きを持つ存在です。
その響きが重なり合うとき、新しい文明が生まれます。
そして、その文明の胎動はすでに始まっています。

 

※この記事は2022年2月22日のねずブロの記事をもとにリライトさせていただきました。

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