AIが人類の知能を超え、多くの仕事が消える――イーロン・マスク氏の未来予測に、不安を覚える方も多いのではないでしょうか。けれど本当に問われているのは、「人間は不要になるのか」ではありません。問われているのは、「人間の価値とは何か」という、もっと根源的な問題です。
この文章では、AI時代の到来を前提としたうえで、縄文文明や武士道に立ち返りながら、働かなくなっても失われない「人が生きる道」について考えてみたいと思います。

近年、人工知能(AI)の進化について、強い言葉で語られることが増えました。
なかでも イーロン・マスク の未来予測は、世界に大きな波紋を広げています。
彼の主張は、単なる技術楽観論ではありません。
マスク氏は、AIの進化が「段階的な変化」ではなく、指数関数的な飛躍として起こると見ています。
2026年には、人間と同等の汎用的な知能を持つAGI(汎用人工知能)が誕生し、
その後、わずか数年のうちにAIは自己学習と自己改良を加速させ、
2030年頃には、人類80億人分の知能をすべて足し合わせたものを、
はるかに上回る存在になる――マスク氏はそう語ります。
このとき起きるのは、
「便利な道具が増える」という変化ではありません。
論理的判断、計算、設計、分析、管理といった分野では、
人間はAIに太刀打ちできなくなり、
多くのホワイトカラーの仕事は、急速に姿を消していく。
その結果、人間はもはや
「社会を動かすために必要な存在」ではなくなるかもしれない。
これが、マスク氏が示す未来像です。
けれど私は、この話を、必ずしも「恐怖の未来」と思えないのです。
そもそも「人間の価値」というものは、「能力」や「生産性」だけで決まるものではありません。
もし、人間の価値がそれだけのものであるとするなら、そんな文明は、いずれ自壊するだろうし、むしろ自壊した方が良い文明とさえいえると思います。
▼ 人間の価値は、機能ではなく「生き方」にある
人間は、肉体を持つ有限の存在です。
老い、病み、やがて死を迎える。
その有限性ゆえに、痛みを感じ、苦しみを感じます。
そしてその不完全さゆえに、本物の感情を持つことができます。
喜びが身体を震わせます。
悲しみが胸を締めつけます。
誰かを想う気持ちが、痛みと不安を招きます。
これらは、AIがどれだけ精巧になっても、「模倣」しかできない。
「体験」できないのです。
人の価値は、何ができるか、どれほど役に立つかにあるのではありません。
「生きている」こと自体に価値があります。
これは特別な思想ではありません。
縄文以来共有してきた、日本社会の普遍の感覚です。
▼ 働かない時代に、「道」は失われるのか
AI時代を語るとき、必ず出てくる不安があります。
「AIに職場を奪われる」
「働かなくなったら、人が堕落する」
「役割を失った社会に、倫理は残るのか」等々です。
けれど、日本の歴史を振り返ると、この前提そのものが揺らぎます。
たとえば縄文時代。
研究によれば、当時の大人の労働時間は一日3時間程度だったとされています。
残りの時間に人々が何をしていたのかというと、
語り合い、学び、遊び、子どもを育て、人と人との関係性を築いていました。
このことは、
「人を人たらしめたものは、労働ではなく、人と人との関係であった」
ことを示します。
武士の時代も同じです。
武士が平素、お城に上るのは、月に10日ほどです。
しかも多くは挨拶だけして帰ります。
それでも、彼らは武士でした。
なぜなら、「武士であること」は職務の「量」ではないからです。
武士としての日常の在り方によって支えられてきたのです。
武士道の成立と完成も、まさにこのことによります。
▼ AIと人間は、主従か。それとも共鳴か
AIの話になると、多くの論者が、
「AIに支配されるのではないか」
「AIは善か悪か」
などの、直線上の二択に陥ります。
非常に、不思議なことです。
思考が、運動会の綱引きのようになっているからです。
けれどAI時代は、学校の運動会の時代ではありません。
日本的な思考は、そこにありません。
日本が大切にしてきたことは、勝つことでも、従わせることでもありません。
「共に響き合うこと」です。
助け合い、補い合い、互いの不完全さを前提に関係を結ぶことです。
不完全だから、関係が構築できるのです。
完成形だったら、自己完結して終わりです。
▼ 未来は、能力競争ではなく「在り方」の選択へ
イーロン・マスク氏の予測は、おそらく現実化していくことでしょう。
AIの知能は2030年には、人類全部を合わせた知能を超える。
なるほど、そのとおりであろうと思います。
ここに変化のきざしがあります。
これまでの時代では、人の価値は「どれだけできるか」に置かれてきました。
けれど、これからの時代は、人の価値は「どう在るか」で問われるようになるということです。
働かなくなっても、人は人です。
役割を失っても、人の道がなくなるわけではありません。
有限であるからこそ、尊く、
不完全であるからこそ、響き合える。
AI時代は、人間の終わりではありません。
人間とは何かを、縄文文明に立ち返って、もう一度取り戻す時代なのだと、私は思います。


