議会制民主主義において、いちばん大切なことのひとつが、この「合意の形成」です。
議員は、ひとりでは政治はできません。
できるのは内閣への「質問」くらいです。
内閣への「質問」は、あくまで質問であって、要求や要請ではありません。
この点、誤解をしている人が多いようですが、内閣は質問に答える際に何か約束を口にしたとしても、それを実施しなければならない法的義務はありません。あるのは「公的記録に残る」ことによる社会的責任だけです。
ですから質問に対する答えは、政治でもなければ政策でもありません。
ただの「質問への答え」です。
議員「大臣、近隣諸国条項は必要ですか?」
大臣「個人的にはあまり賛成できないと考えております」
(↑考えているだけ)
議員「では、撤廃してください」
大臣「前向きに私が検討します」
議員(やったぜ!大臣に約束させた)
大臣(検討すると約束しただけで、いつするとは言ってない。
さらに私が私の頭の中で検討するといっただけで
実行するとは言ってない。
つまり何も約束していないのと同じ。
要するに政治的表現とか、お役所言葉と言われるもののひとつですが、こうしたやり取りで政治や行政が変わるなんてことはまったくありません。
いま、ガソリン代がレギュラーで200円のお店も出ていますが、では、二重課税と言われるガソリン税のひとつを撤廃して、ガソリン代金を半額にするためには、どうしたら良いでしょうか。
資源エネルギー庁の長官に質問したら変わるのでしょうか。
答えは「NO」です。
具体的に個別の税の引き下げを求めようとするなら、同じ考え方を持つ議員さんたちの賛同を集め、何をどうすれば良いのかを具体的に検討するための議員さんたちの勉強会を開催し、国会内でそれを多数意見にすることで、党内意見を取りまとめて、党の見解とし、さらに野党のみなさんとも話し合って、議員の半数以上の賛同を得ることで、ガソリン税引き下げの法案を国会で通過させなければなりません。
そのために何が必要かといえば、議員間での信用です。
「あの人が言っているのだから間違いない」
「君の言う事なら信頼できるから、協力しよう」
と言ってくれる議員の仲間ができなければ、実は何もできないし、ガソリン代は高値のままで何も変わらないのです。
議員が威勢のよいことや、耳障りの良い発言をすれば、国民は喜びます。
いまの時代なら、ネットでバズって大儲けできるかもしれません。
けれど、無責任に過激発言を行えば、議員間での信頼を失います。
信頼を失えば、国会内で協力してくれる議員は誰もいなくなります。
すると、多数派形成ができませんから、国会内では何の発言権もなくなり、何の政策も実現できなくなってしまうのです。
プロ野球と同じです。
選手が、球場の外でファンのためにリップサービスをしすぎたために、選手間での信頼を失えば、チームワークが乱れます。
チームワークのないチームなら、試合には必ず破れます。
要するに、議会制民主主義のもとで何かを実現しようと思うなら、必ず「合意の形成」が必要なのです。
そしてこのことは、実は、もともと日本にあった考え方です。
日本では議論のことを、もともとは和談と言いました。
全員が納得するまでとことん話し合う。
ただし、議題によってはどうしても一部に反対者が出ます。
そうした反対者であっても、決議後は協力してくれれば良いのですが、中には全会一致で決議したのに、あとから「俺は反対だった」と逃げを打つ人もいたりします。
そういう人は、悪いけれど無責任であり、信用に値しません。
では、そういう逃げる人をどうするかというと、それが「村八分」です。
婚儀と葬式以外は、一切お付き合いをしない。
仲間はずれにするしかないのです。
現代の国会は、両院合わせて713人です。
あくまで仮にの話ですが、その中には、村八分となっている政党があったりもするという話があります(笑)
村八分になるとどうなるかというと、国会の外で、好き勝手なポスターを貼ったり、メディアに出演してできもしないことを滔々と述べたりします。
観ている国民は、自分たちの意見に近いことを言ってくれるから、拍手喝采するかもしれません。
けれど、村八分政党では、国会内で何の意見も通すことができないし、日本を変えることができないのです。
その意味で、少数政党なら、議題ごとに協力してくれる議員がいたら、どんどんとそのネットワークを広げていく必要があります。
多数議員の賛同がなければ、国会で何も決めることができないからです。
その中には、日頃は仲の悪い野党政党もあるかもしれません。
けれど、個別の案件では、協力関係を築けるところは協力する。
向こうも仲間が欲しいし、こちらも欲しいからです。
そうやって政党横断的な勉強会が形成されれば、政策実現は一歩前進です。
勉強会参加議員を増やし、多数派となって法案を国会に提出する。
国会が法案を採決で認めれば、それが国の方針になるのです。
ところが、民間ベースではこれがわからない人が、結構居ます。
挙句の果てが、ガソリン税を下げないのは、財務省が悪いなどと、善悪論で激昂する人も居たりします。
けれど財務省は行政のお役所です。
法律で決められたことしかできない。
そして二重課税になっていても、ガソリン税がある以上、それを徴求するしかないのです。
逆に、それをしなければ財務省は怠慢ということになってしまいます。
「行政は、決められたことしかできないところ」
であり、
「行政に何をさせるかを決めるのは国会」です。
この仕組みがわかれば、省庁を責めることがいかに見当違いであり、ただの政治家のパフォーマンスに過ぎないことが理解できようかと思います。
そして議員が国会で何かを決めようとするなら、そのときには絶対に議員間で多数派となるための「合意の形成」が不可欠であること。
ですから政党や議員の応援者は、ただ「あれをしろ!これをしろ!」と過激な要求や文句を云うだけでなく、その議員が多数派工作ができるように、しっかりと支えていかなければなりません。
それをしないで、逆に議員や候補者に過激発言ばかりを求めれば、議員は支持者の云うことを聞いて、議会でも、その外でも過激発言を繰り返さなければならなくなり、他の議員から警戒され、村八分となり、結果、何の政策も実現できなくなるのです。
政治に関わるということは、「合意の形成」に関わるということです。
そして合意の形成を行う方法は3つしかありません。
1 カネや美人で買収する
2 暴力で脅す
3 自ら徳の高い人となって仲間を増やす
このうち、1と2が論外であることは論を待ちません。
そうであるなら、常に3を行い続ける必要があるのです。
「徳」という字は、「悳」の変形で、真っ直ぐな心で進むことを意味します。
政治家は、ある意味、民衆のリーダーです。
リーダーは、常に笑顔で、くじけず、真っ直ぐな道を進む。
そして、同じく真っ直ぐな心をもった他の議員さんたちと共同し、共闘して多数派を形成する。
それができてはじめて、世の中が動くのだということを、私たち選挙民もしっかりと自覚する必要があると思います。