南の島に雪が降る

どんなにつらくても、どんなに苦しくても、泣きたくなるようなことでも、明るく笑ってそれに耐え、明日を信じて前を向いて進む。
その底抜けの明るさが、かつての日本人の一般に共通した心です。
では、かつての日本人は、どうしてそのような心を持つことができたのでしょうか。 画像出所=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E4%BB%8B (画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。 画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)

上の写真は、映画俳優の故・加東大介(かとうだいすけ)さんです。
加東大介さんは60年代の邦画界を代表する名俳優で、なかでも黒澤明監督の名作「七人の侍」での七郎次役では、侍たちの中で唯一、槍(やり)を振るって村の西の入り口をひとりで守り抜いた凄腕の役を見事に演じています。
加東大介さんは、明治44(1911)年生まれの「戦中派」で、兄は沢村国太郎、姉は沢村貞子です。ともに大俳優、大女優。
甥が長門裕之さん、津川雅彦さんです。

その加東大介さんが出演した映画の中で唯一、加東大介さんご自身の自叙伝を映画化した作品が、昭和36(1961)年公開の『南の島に雪が降る』です。

監督は久松静児さんで、出演者が加東大介、伴淳三郎、有島一郎、西村晃、渥美清、桂小金治、志村喬、三橋達也、森繁久彌、小林桂樹、三木のり平、フランキー堺など。
まさに豪華そのものの顔ぶれです。

実はこの映画、リメイク版も作られています。
それが平成7(1995)年の「南の島に雪が降る」で、こちらは監督がチャンネル桜の水島総さんです。
こちらも出演者は、高橋和也、根津甚八、菅原文太、西村和彦、烏丸せつこ、風間杜夫、佐野史郎さんたちで、やはり豪華な顔ぶれです。

さて、その昭和36年に公開された方の『南の島に雪が降る』です。
この映画、実は役者陣が当時の人気「喜劇俳優」が勢揃いしています。
物語自体は、漫画家の小林よしのりさんも『戦争論』の中で紹介していますので、ご存知の方も多いかと思います。

かいつまんであらすじを申し上げると、以下のようなものです。

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加東大介さん(本名、加藤徳之助さん)は、昭和18年10月8日、大阪道頓堀中座の楽屋で、軍隊に招集されます。
向かった先が、西部ニューギニアのマノクワリです。

ニューギニア戦線は、東部で激戦が展開されたところですが、加東さんたちが赴任した西部側は、それほどひどい被害は受けず、加東さんたちが到着した頃には、すでに戦域はフィリピンに移っていました。
このため大規模な戦闘がほとんどないという、やや恵まれた環境にありましたが、そうはいっても、いつ敵が襲ってくるかわからないし、補給も途絶えがち。
飢えとマラリアに苦しめられながら、前線に仲間たちを送り出すという日々でした。

そんな状況の中で、西部ニューギニアの司令部は、すこしでも兵隊さんたちを勇気づけようと、俳優である加東さんに「劇団」作りを命じます。
加東さんは、島中から劇団員を募集し、こうして誕生した劇団が「マノクワリ演劇分隊」です。

加藤さんたち「マノクワリ演劇分隊」は、熱帯のジャングルのド真ん中に日本式の舞台を作り、三味線弾き、ムーラン・ルージュの脚本家、スペイン舞踊の教師、舞台美術・衣装担当の友禅職人など、個性的なメンバーと一緒に公演を重ねていきました。

といっても、衣装はありあわせの布に絵を描いたものですし、カツラはロープ(縄)を巻いただけのものです。
こまったのが女優さんで、なにせ男ばかりの演劇分隊ですから、女性がいません。
そこで男性の兵隊さんが女装するのですが、女性が付ける「おしろい」がありません。
そこで傷口用の軟膏を顔に塗りたくって「おしろい」の代わりにしたりしました。

こうして加東さん率いるマノクワリ演劇分隊は、日本への帰還の日まで、兵隊さんたちの慰安のために、ほぼ連日、休演なしで演劇を続けました。
厳しい軍隊生活、いつ死ぬともわからない運命、マラリアに苦しめられ、飢えに苦しめられる毎日の中で、演劇分隊は大成功。
島のはるかな地から、わざわざ演劇を見にやってくる兵隊さんたちもいたほどです。

そして見終わると、次の演目を楽しみにし、
「次はこのなかで誰が来れるだろうね」
「まあ、お前はモタんだろうな」
「いやあ、お前が先さ」
などとニコニコ笑い合いながら帰っていきました。

途中、加東さんは内地送還のチャンスを得るのですが、加東さんは、「これだけの観客を見捨てていけるか」と、なんと自分から日本に帰れるチャンスを捨てて、演劇を続けます。

あるときのこと、長谷川伸原作の名作「瞼(まぶた)の母」を公演しました。
物語は雪国が舞台です。
しかし、そこは南の島。
雪なんてありません。
そこで紙を使って雪を降らせました。

この雪は観客に大好評で、紙でできた雪が舞う都度、客席から毎回、どよめきと歓喜の声があがったそうです。
加東さんたちは、サービスのため、観客たちに雪景色を充分堪能してもらってから舞台に登場するようにしました。

ところがある日、同じ演目の公演で、いつもと同じように雪を降らせたのだけれど、いくら待っても客席がシーンとしているのです。
不審に思って加東さんたちが舞台の袖から客席をのぞいてみると、数百名いた兵隊が皆、涙を流していました。

聞けば彼らは東北の部隊の兵隊さんたちでした。
舞台の公演終了後、その部隊の部隊長さんがわざわざ挨拶にみえて、深々と感謝をされていかれました。

翌日、その舞台は戦地に向かい、全員帰らぬ人となりました。

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この物語は、加東さんご自身が体験された実話で、たまたま「週刊朝日」の夢声対談コーナーで、この話を加東さんが語ったところ、徳川夢声さんから、これは是非執筆するようと強く勧められ、昭和36(1961)年に文藝春秋で『南海の芝居に雪が降る』という題で出稿したのが始まりだったのだそうです。
この小説は、その年の第20回文藝春秋読者賞を受賞し、さらに出版されてベストセラー小説になりました。
そして同年には『南の島に雪が降る』という題でNHKがドラマ化し、さらに東宝が同名で映画化しました。
その映画で加東さんご自身が主演を務めました。

映画は大ヒットしました。
なかでも映画版が感動的だったのは、物語そのもののストーリーもさりながら、加東さんのたっての希望で、俳優陣に喜劇俳優もしくは、喜劇のできる俳優をズラリとそろえたことです。
真面目に戦争を語る前段に始まって、中盤は爆笑シーンのオンパレードです。
そしてラストで、グッと泣かせる。
実に小憎い演出です。

舞台を見に来てくれた兵隊さんたちは、ジャングルの中を、遠く、道さえないところを歩いて来てくれていた。
次の舞台を楽しみにしてくれていた兵隊さんたちの多くは、翌月の演目には来ることはなかった。
みんな死んでしまったからです。

客席で二度と見れないであろう雪景色を見て、声を殺して泣いていたのは、東北の国武部隊の300人です。
彼らの涙を見て、加東さんたち役者さんも、もらい泣きして涙をいっぱい流してしまうのです。
それで、なかばやけくそ気味に舞台に躍り出て、泣きながら立ち回りを演じました。

シリアスに描こうとすれば、どこまでもシリアスに描けたであろうその物語を、加東大介さんは、むしろ明るく楽しくほがらかに映画にしています。
そこに日本人らしさというか、日本人の心を見るような気がします。

つらいときは誰だってつらいのです。
つらいからといって、自分のつらさを表に出していれば、周りのみんなを余計につらくさせてしまう。
だから、つらいときほど明るくすごすことを心がける。
つらいから、悲しいからと、哀号と叫んで大声をあげて泣きわめくのは、どこかの国の人です。

日本人はつらくたって泣かない。
泣かないぞって誓って、悲しみをぐっとこらえて、いつも笑顔でいるのに、こらえきれずに涙が頬を伝う。
その気持を、ちゃんと受け止めることができるやさしさをもった人たちが周囲にいるから、その涙に共感が走るのです。それが日本人です。

しかし前頭葉が未発達で思いやりや人の心を持たず、ただ自分の欲望だけを満たそうとする低い民度の社会では、そういう日本的な心の深みはわかりません。

6世紀に皇位に就かれた舒明天皇(第34代天皇)は、
「うまし国ぞ、大和の国は」
という有名な御製歌をのこしました。

近年ではあたかも「うまし国」が、「美味し国」と、食事がおいしいとか、風景が美しいと描いただけのものであるかのように言われますが、万葉集の原文をみると、そこは
「怜◯し国」(◯のところは忄+可の字です。フォントがないので◯で表記しました)と書かれています。
「怜」は、神々の前でかしずく心を意味する漢字です。
「忄可」は「心に可(か)なう」で、心根が良いことを意味する漢字です。

つまり舒明天皇は、
「心根の良い人々が神々とともに暮らす国が大和の国だ」
という意味を、この「うまし国ぞ大和の国は」の語に含ませておいでになられるわけです。
単に美しい国、景色が良い国だと述べられておいでになるのではないのです。

さらにこの「忄可」という字は、訓読みが「おもしろい」です。
「おもしろい」は、近年では、瞬間芸のお笑いのようなものばかりが「おもしろい」ものであるかのように強調されますが、もともと日本語では、腹をかかえて大爆笑するようなものは「をかし(=おかしい)」と言って、「おもしろし」とは区別されていました。

では「おもしろし」とはどのようなものかというと、実は多くの日本人は古代から続く大和言葉の原義をいまでもしっかり使っていて、良い映画をみた後に「今日の映画、おもしろかったね〜」などと用います。
これは爆笑したということではなく、感動したということを意味します。
つまり「おもしろし」は、そこに感動があるものを言います。
そしてこれを漢字にしたものが、「忄可」です。

日本人はご皇室から、一般の末端の臣民にいたるまで、誰もがお互いの思いやりの心を大切にしようと育んできた国だと言われます。
他の多くの国々は、人と人とが争ってきた、もっというなら戦争によって歴史が築かれてきました。
けれど日本には、人々にとって戦争よりももっと怖いものがありました。
それが天然の災害です。

災害はいつやってくるかわからない。
だから日頃から、人と人とは互いに協力しあって、災害に備えていく。
つらいことは、必ずやってくるのです。
だからこそ、平時にはすこしでも明るく楽しく、思いやりの心をもってすごす。
災害がやってきても、決してくじけず、みんなで協力しあって復興を行なう。
こうして生まれたものが、日本的精神です。

どんなにつらくても、どんなに苦しくても、泣きたくなるようなことでも、明るく笑ってそれに耐え、明日を信じて前を向いて進む。
その底抜けの明るさが、かつての日本人の一般に共通した心です。
では、かつての日本人は、どうしてそのような心を持つことができたのでしょうか。

このことを考えるにあたって、ひとつの例を申し上げます。
ねずブロの読者の方であれば、かつての武士たちが、なぜ武士道を保つことができたのかの理由を、すでにご承知のことと思います。

簡単に復習しますと、
武士といえば、「仁義礼智忠信孝悌など儒教の精神等を四書五経を通じて学んでいたから武士道を保つことができた」というのが従来の説明です。
けれど、四書五経が武士道精神を築き上げたのだというのなら、チャイナやコリアこそ儒教の本場です。
その本場で、どうして日本の武士道のような精神性が育たなかったのでしょうか。
日本の武士だけが、極めて高い精神文化を築くことができたのでしょうか。

「武士道とは死ぬことと見付けたり」という有名な言葉で知られる『葉隠』がその根底にあったのではないかという説も間違いです。
『葉隠』は、佐賀の鍋島藩士であった山本常朝が口述したものを同藩士の田代陣基(つらもと)が筆録したものですが、当時は禁書にされていたくらいで、武士道一般の思考とはかけ離れたものでした。
また新渡戸稲造博士の『武士道』は、明治に入ってから英文で書かれた本であって、武士の時代に武士道を築いたものとは異なります。

では、何が武士道を形成したのかといえば、その答えが『お能』にあります。
武士は幼い頃から能楽に親しみ、能楽を通じて日本的精神を学んでいたのです。
儒学等は、その基礎の上に、その基礎をさらに言語によって補強するものとして学んでいました。

つまり考える価値観の根幹となる日本的精神を、先にしっかりと身に付けていたからこそ、外国の書である四書五経を学んでも、あるいは蘭学を学んでも、それらをすべて武士道精神に活かすことができたのです。
そしてその精神性を、かつての陸海軍はしっかりと日本の武士道精神として受け継がれて行きました。
これが日本が、先の大戦においても、きわめて強い国として、最後まで持ち場を離れず戦い抜くことができた最大の理由です。

つまり・・・何事も、基礎・根幹があるのです。

お能と似たもので、狂言や歌舞伎がありますが、狂言も歌舞伎も、もともとはお能の演目を、もっとわかりやすくとか、もっと面白く楽しくとか、もっと派手に演出してなどと、工夫して庶民向けの芝居小屋で演じられたものです。
つまりその原点には、やはりお能があります。

そして今回の冒頭のお話にある加東大介は、その芝居小屋の出です。
もともと父も芝居小屋の出ですから、加東大介は武士ではありません。
けれど、芝居を通じて、幼い頃から武士道に接していたわけです。
つまり彼の価値観の根幹には、やはり武士道精神、もっといえば日本的精神性がしっかりと根づいていた。
だから、彼は、最後の最後まで、芝居を通じて戦い抜くことができたのです。

価値観の根幹となる日本的精神・・・これを詰めていうと「国民精神」となります。
そしてその「国民精神」を英語で言うと、「アイデンティティ(Identity)」になります。

戦後の日本人が失ったもの。
それこそが、価値観の根幹となる日本的精神です。

これを取り戻していくこと。
道は険しく遠いかもしれないけれど、いまや世界がそれを待っています。

  加東大介主演『南の島に雪が降る』
https://www.dailymotion.com/video/x266jk4

※この記事は2011年9月のねずブロ記事のリニューアルです。

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