明治時代の終わり頃のある年の3月のことです。
乃木希典大将が、東京の九段坂上にある陸軍士官倶楽部の偕行社(かいこうしゃ)から、徒歩で富士見町に向かわれていました。

昔は陸軍記念日(3月10日)といえば、靖国神社で、角力(すもう)や能楽といった催しが行われました。
そしてその日、靖国のすぐ近くにある偕行社で陸軍将校たちの立食パーティーが催されていました。
乃木大将は、このパーティに参加されたあと、夜の8時近くになって散開し、おひとりで徒歩で富士見町方面に向かって歩かれていたのです。

この時代、乃木大将といえば、超が付く有名人です。
そのような有名人が、市内をおひとりで徒歩で歩いていても、まったく安全安心で警備員も必要がない。
明治の終わり頃もそうでしたし、つい近年の日本も、基本、その構造は変わっていません。
ひとたび講演会ともなれば入場整理券が必要なほどの人気著名人であっても、特別、サインがほしいとか、知り合いだとか、近づきたいとかでもなければ、空港の待合や駅や電車内で見かけても、日本人は「ああ、いるな」と思うだけで、声をかけることもしません。
公(おほやけ)と、私(プライベート)の違いがあるということを、誰もが心の芯のところでちゃんと理解している。それが日本では、ごく普通の光景です。
でも、海外ですと、そうはいきませんよね。

さて、乃木将軍がそのままおひとり、徒歩で富士見町の近くまでこられたときのことです。
右手の暗い横町から、ポッと光った辻占(つじうらない)と書いた提灯を持った、歳の頃なら10歳か11歳くらいのみすぼらしい少年が、
「淡路島、通(かよ)う千鳥(ちどり)の恋の辻占ぃ~~」
と、いっぱいに声を張り上げてやって来ました。

「今夜も親孝行の辻占売(つじうらうり)が来たよ、
 買ってやりましょうよ」
と、お座敷へ行くのか帰るのか芸者の一群が集団で少年から占いの紙片を買っています。
そうかと思うと、
「私にも一つおくれ」
「ちょっとこっちにも」と、みてる間に占いの紙が売れる売れる。

少年は、
「姐さん有難うよ、
 買って下さるのは有難うございますが、
 毎晩私の往くのを待っていて
 買って下さるお客さまがあります。
 せっかく待って居て下さるのに、
 売り切って、
 ひとつも持って行かなくては済みません。
 五ツ六ツ残して置きますから、
 もうこれでありません。
 ありがとうございました」
などと挨拶しています。

芸者さんたちは、
「ほんとに正直な子だよこの子は。
 また買って上げるからね~」
「ハイ皆さん有難う」
と立去るうしろ姿を見送って、芸者さんたちはおしゃべりをしながら行き過ぎます。

少年が、
「ありがたい。
 これでおっかさんに薬を買ってあげられる」
とひとりごとを言いながら、行こうとすると、空の人力車をひいていた車夫のおじさんが、
「オイ武坊(たけぼう)
 馬鹿に売れたぁ」
と、声をかけます。

「ヤア、おじさんかい。
 今夜もまた会ったね。
 お客さんあるかい。
 僕、うれしいよ、
 今夜も全部売れちゃった」と少年。

「売れるのが当り前よ。
 お前の親孝行が評判になって
 いらない人まで買ってくれるんだ。
 親孝行の徳は宏大だねぇ。
 お天道様(てんとうさま)だって、
 ちゃぁんと見ていてくださるんだ。
 俺なんざア、
 今夜という今夜はすっかりあぶれちまってよ、
 これから濁酒(どぶろく)を一杯飲む銭も取れねえや」

「おじさん。
 何だか今夜は冷たい風が吹いて来てるから、
 これから降り出すかもしれないよ。
 さっきさ、
 余分に十銭もらったお銭(あし)があるから、
 おじさん、これで一杯飲(や)って、
 今夜は早くお帰りよ」

「冗談言っちゃアいけねえ、
 親孝行の武坊(たけぼう)が
 一所懸命売って歩いた銭だ。
 何んで貰えるもんか。
 志(こゝろざし)は有難てえけど、
 これはよそうや。断るよ」

「だっておじさんには、
 始終、うちのおっかさんが
 お世話になっているんだから」

「そうかい?
 すまねえなあ。
 なーに、もう少し待ってりゃあ、
 富士見町帰りがあるから、
 稼いだら返すぜ」

「はい、じゃ、これ。
 でもおじさん、
 いい加減にしてちゃんとお帰りよ」
と車夫と少年が左右に別れます。

車夫のおじさん、
「ありがたい、ありがたい。
 これで一杯飲んで威勢がデルってもんよ。
 それにしても感心な子だなぁ。
 病身のおふくろさんを抱えて、
 とにかくやっててるんだものなぁ。
 大の男でも俺なんざあ意気地がないなぁ。。。。
 エー旦那、神田まで帰り車でございますが。。。
 エー御新造さま、
 麹町(こうじまち)へお帰り車でござんすが。。。」

こうして車夫のおじさんが、しきりに客を呼んでいるところに、たまたま通りがかったのが、乃木将軍です。
「オイ、車夫、くるまや」
「ヘエ旦那、有難うございます、
 何処までお供をいたしやすか?」
「五番町まで遣やってくれ」
「ヘエ五番町までですか」

実は、車夫のおじさん、少し驚いたのです。
お客さんは、見るからに立派な軍人です。
ところが五番町はすぐそこです。
どうしたんだろう?と内心思いながら、人力車の轅棒を下ろして、将軍を乗せます。

人力車が走り出すと、軍人さんが車夫に声をかけます。
「オイ、車屋、
 今の辻占売りは感心な子供だが、
 どこの者だ」
「ヘエ、旦那は御存じですか、
 さっきまでのことを。
 いや面目もございません。
 あれは手前と一緒の棟割(むねわり)長屋で
 四谷仲町からガードをくぐったところで、
 質屋の裏でございます」

「おっかさんが病気のようだの」

「ヘイ、永のわずらいで。
 ナニね、亭主と云うのが、
 日露戦争の時松樹山で戦死して、
 あとに残されたのが今の武松という子に、
 今病気で寝ているおふくろでございます。
 身体の達者なうちは針仕事などをして、
 子供を養って居りましたが、
 心配をしたのと無理に身体を使ったので、
 リウマチに罹って足腰も立たないという始末。
 感心じゃぁありませんか、
 今の子供が朝は新聞配達、
 夜は辻占売り、
 それでどうやらおっかぁの薬代にしたり、
 その日その日をすごして居ります。
 それに可哀相なのは学校で、
 ほかの生徒達にゃぁ、
 あいつは辻占売りだ新聞配達だと
 悪口を言われているので、
 わっしなどはこの間、
 悪口を言った奴を二三人はりたおしたくらいです。
 学校の先生方は武坊の事をほめて、
 模範生徒だなんて言ってくれるんですが、
 やっぱり体がが続きませんや。
 一日行くと二日位は休んで居りますが、
 おとっさんさえ生きて居れば、
 あんな苦労はさせずと済むのでございましょうが」
と車をひきながらの話。

「ウーム、そうか」
車上で聞く将軍。

やがて着いた五番町の立花寛藏という人の門前で、将軍は車屋に多分の賃銭を与えられた上、尚も辻占売の住所姓名を詳しく聞いて、
「感心な子じゃ、
 同じ長屋に住むならば、
 精々面倒を見てやってくれ」
「ヘエ、有難う存じます」
と将軍は立花氏の屋敷にお入りになりました。

さて、ここは四谷鮫ヶ橋。
質屋の路地の突当りに、屋根は傾き、軒(のき)はゆがんだ、見るも貧しい破ぶれ長屋。
四畳半の片隅には、せんべい布団にくるまって、病(やまい)に苦しむ母親。
武松は、この夜更まで、翌晩に売りに出る辻占の紙を巻くのに専念しています。
そこに、
「オイ、武坊、寝たかえ?」
と、さっきの車屋さんがやってきました。

「あぁ、小父さんか。仕事あった?」
「うむ。まだ起きてたか。
 なぁに戸を開けなくともいいぜ。
 さっき借りた金を返そうと思って
 ちょっと声をを掛けたんだ」

武松は立上って戸を開けます。

「いま、閉めたばかりなんだよ。
 おや?おじさんまた酔ってるね」
「あははは。
 馬鹿に良い仕事をして、
 腹掛けの丼が重くなったので、
 つい何だ、五合ほどやらかした。
 だが武坊、さっきの十銭は返そうと思ってな、
 これこの通りちゃんと使わずにある」

「十銭はどうでもいいけど、
 余りお酒を沢山飲むと、
 小父さんからだを悪くするよ。
 あら、おじさんが余り大きな声をしたので、
 おっかさんが目を覚ました。
 おっかさん、熊さんですよ」

「おやおや、只今お帰りですか、
 さぞお疲れでしょう。
 いつも武(たけ)がお世話になりまして」

「いやいや済まねえ、すまねえ。
 わっしがあまり大声を出したので
 目を覚まさしちゃった。
 病人は寝て居る間が極楽だってえのに、
 起して済まねえな。
 武坊にはわっしの方が世話になっているんだよ。
 今日も武坊に借金してね。
 今返しに来たんだ。
 大人が子供に金を借りるとは
 世の中が逆様になった。あははは。
 どうだね? からだは。
 なに、だいぶ快いって、
 結構けっこう。
 早く快(よ)くなって、
 武坊に楽をさせてやんなせえよ。
 かわいそうだぜ。朝早くから夜遅くまで。
 それでも孝行な息子だと評判されて、
 辻占も好く売れて、いいあんばいだ」
などと、酒の機嫌か口がるな話です。

そこに折しも表に響く足音。
ヌーッとはいって来た、ひとりの男。
年の頃なら四十二三、横びんの禿げた色の浅黒い、眼のギョロッとした嫌な感じを起させる奴です。
それを見ると親子の顔の色はサッと変りました。

「オイどうしてくれるんだ」
とお定まりの文句は言わずと知れた借金取りです。
親子がハラハラするのもとんちゃくなく、大声で怒鳴りたてます。

母「誠に申訳ございませんが、
 御覧の通りの始末でございます、
 もう少々お待ちを願います」

男「もう少し、もう少しと、
 一体いつ返してくれるんだ。
 そうのんべんだらりと待っちゃいられねえんだよ。
 今日という今日は是が非でも貰って行くぜ」

母「でもございましょうが、今日といっては」

男「じゃア何かある物を貰って行こうか」
と母親の掛けている夜具を剥いで行こうとします。

武「おじさん、待ってよ。
 それを持って行っちゃ、おっかさんが寒いよ。
 お願いだから勘弁しておくれ」
男「なら金を返せ」
武「明日返すよ」
男「てめえの明日は聞き飽きたんだよ。
 さあ、これを貰って行くんだ」
と、またも夜具に手を掛けます。
母子は泣いて止めようとする。

おりから、車屋にに教えられた質屋の路地。
ここかしこと探しながら来られた乃木将軍。
見れば一人の男が病人の掛けて居る夜具をひっぱがして小脇に抱え、辻占売の少年の取すがるのを足蹴にして立ちいでようとする様子。
将軍、つかつかっとそれへおいでになると、ものも言わず金貸の肩口をグイッとひっつかみます。

男「ヤイ何をする。ぜんたいおめえは、何だ!」
乃木将軍「なんでもよい。車屋、これはどうしたのじゃ」

一目見た車屋の熊吉。
熊「やっ、これはさっきの旦那でございますか。
 よくおいで下さいました。
 実はここのおふくろが医者に診て貰った時に、
 苦しいのでその人から十円、金を借りたんで。
 それが利息に利息がかさんで、
 十七円と幾らかになってるんでさあ。
 取りに来たって払える訳がありませんや。
 幾ら訳を言っても聞きいれないで、
 御覧の通りの有様でございます」

始めて将軍が手を放すと、金貸は図に乗って、
男「さア面白い、
 借りた金を腕ずくで踏み倒すんなら倒して見ろ。
 地獄の鬼が貸したら、
 文久銭でも取らずに置かねえんだ。
 こうなりゃ、意地ずくだ。
 腕力でも取って見せるんだ」
といきなり将軍へ組み付いて来ます。

乱暴な奴だと思った将軍、
乃木将軍「無礼者っ」と大喝一声、そこにぱっと投げ付けます。
起上がるかと思うと、男はそのまま大の字になって、
男「さぁ殺せ、畜生 殺しやぁがれ」とわめきちらします。

これにはさすがの将軍も困ったけれど、ふと目についたのは、薬でも煎じるためか、鉄瓶の湯が沸きかえっています。
それを片手に提げると、「殺せっ殺せっ」とののしる金貸しの頭の上に持って来て、あけようとするから、さすがの強情な男も驚いて、パッと跳ね起きます。

男「ワーッ、貴様、
 と、と、とんでもねえことをするな」

乃木大将「あはははは。馬鹿者っ!
 殺せ殺せというなら
 沸湯(にえゆ)ぐらいが怖(おそ)ろしいことはあるまい。
 さあ出せ顔を、
 茹(ゆ)でてやる」

男「冗談いうな、
 どじょうじゃあるまいし、
 茹でられてたまるものか」

乃木大将「そんなら静かにせい。
 貴様も騒いだとて金が取れる訳でもあるまい。
 静かに話をしても分るだろう。
 いったい当家へ貸した金はいくら程あるのだ、
 今、このの車屋が言うには十七円幾らとかあるそうじゃが。
 なに、十七円と五十二銭。。。
 おかみさん、借りた額に違いないか? 
 よしよし、
 ところでその金は、
 わしが立て替えてやろう。
 わしからの金ではいかんかな」

とジロリと睨(ね)め付けられ、年に似合わぬ大力(だいりき)、
よくよく見れば、どうやらただの軍人ではないらしいのに
内心ぎょっとして、急に言葉も変り、

男「いえ、貸しました金を取りさえすれば
 それでよいのでございます。
 乱暴なことをするように
 思召すかも知れませんが、
 私共の商売はこの位にしませぬと、
 つい貸し倒れが出来ますので」

乃木「それでは十七円五十二銭で宜いのじゃね。
 しかとよいか?
 あとでまた何とか云うと許さぬぞ」
と、ふところから十円札二枚を出し、釣銭を受取って、

乃木「証文とか云うものがあろう、それを出せ」
男「ヘエ」
と財布から証文を出し、将軍の手に渡すや否や、コソコソと出て行きます。

後姿を見送って将軍は、苦笑しながら、親子にその証文をお渡しになりますると、母子は左右から頭を畳に摺り付けて嬉し泣き。

母「御親切様に何と御礼を申して宜しいことやら」
乃木「いやいや礼を云われるに及ばぬ。
 貴女の病気をお見舞をし、
 松樹山に名誉の戦死をなされたという
 貴女の夫の位牌に御線香を上げ、
 またせがれさんの苦労を
 なぐさめようために参ったのじゃ。
 私は乃木希典じゃ」

聞いて母子はびっくり、車屋も諸共そこへ両手をついて改めて御挨拶をします。

乃木「いやいや、
 そう挨拶をされると、
 わしが困る。
 今のような者に責められるたびに、
 夫が居れば、父が居ったならばと
 嘆かれるじゃろう。
 その父なり夫なりは、
 松樹山で乃木の部下に属して戦死をした。
 殺したのは乃木だと恨まれるじゃろうが、
 これも御国のためだとあきらめて貰いたい。
 これは軽少じゃが御仏前に上げて下さい」

と紙に包んだ二十円の金。
別に五円を「よく孝行しなさいよ」と言って武松に下さいました。

母子は、ただ涙のほかはなく、将軍は静かに仏壇に向われ、生ける人に物言う如く松樹山の功績を賞されて回向をされました。

~~~~~~~~~~

松樹山というのは、日露戦争における旅順要塞戦における二百三高地の戦いのことをいいます。
乃木大将が、このときの戦いで亡くなられた1万5千の部下たちのために、全国の神社に「忠魂碑・希典」と書いた巨大な石碑を寄贈されたことは有名なことです。
その石碑の裏側には、その地域で戦士した人たちのお名前が、丁寧に彫られています。

またこの物語にありますように、乃木大将は、亡くなった部下のための慰霊を、欠かさずに行われた方でもあります。
なぜでしょう。
それは部下への限りない愛があられたからです。

男女で、愛の形は違うといわれます。
女性の愛は、全知全霊であり、慈愛そのものです。
男性の愛は、責任と同義です。

乃木大将は、将軍です。
ですから戦いに勝利するために全力を尽くすことが責任です。
けれど、そのための軍は、日本ではある意味家族であり、将軍は父でもあったのです。
ひとりひとりが責任をまっとうしていく。
それが日本の、日本人の形であると思うのですが、いかがでしょうか。

ブログも
お見逃しなく

登録メールアドレス宛に
ブログ更新の
お知らせをお送りさせて
いただきます

スパムはしません!詳細については、プライバシーポリシーをご覧ください。