時間がない。お金がない。人手が足りない。何かを始めようとするとき、「できない理由」はいくらでも見つかります。けれど、同じ現実を前にしても、「では、いまできることは何だろう」と問いを変えるだけで、見える景色が変わります。できないことを否定せず、いまある可能性を見つける。一人でできなければ、誰かと結ばれればいい。大切なことは、何ができないかではなく、どんな未来に向かって一歩を踏み出すか。浜松の「やらまいか」の精神にも通じる、未来をつくる「姿勢」について考えます。

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できない理由を数えると足が止まる。
「いまできることは何だろう」と問う姿勢が次の一歩をつくる。
何か新しいことを始めようとするとき、あるいは困難な問題に直面したとき、私たちの頭には、たくさんの「できない理由」が浮かんできます。
時間がない。お金がない。人手が足りない。経験がない。年齢的に無理。周囲の理解が得られない。
どれも、もっともな理由です。
実際、時間がなければできないこともあります。
資金がなければ進められない事業もあります。
年齢や体力によって、できることが変わるのも事実です。
ですから、「できない理由」を考えること自体が悪いわけではありません。
むしろ、現実を正確に把握することは、何かを実現するために欠かせないことです。
けれど、ここにひとつ、見落としやすいことがあります。
それは、「できない理由」を見つけることと、
「どうすればできるか」を考えることは、まったく別の営みだということです。
1 できない理由は、いくらでも見つかる
たとえば、町内で子供たちのための小さな催しを開こうという話が持ち上がったとします。
ところが、話し合いを始めると、いろいろな問題が出てくる。
「予算がありません」
「準備する人がいません」
「会場が確保できません」
「事故が起きたらどうするんですか」
「そもそも、いまどき子供たちが集まるのでしょうか」
どれも大切な指摘です。
とくに安全面の問題などは、簡単に片付けてよいものではありません。
ところが、こうした指摘が積み重なるうちに、話し合いの目的が、いつの間にか変わってしまうことがあります。
最初は「子供たちに喜んでもらえる催しを開こう」という話だったのに、気がつけば「なぜ開催できないのか」を説明する会議になっている。
そして最後は、「やっぱり無理ですね」という結論で終わってしまう。
こういうことは、案外、身近なところで起きているのではないでしょうか。
もちろん、本当に実施が難しい場合もあります。
けれど、そこで、誰かがひとこと、
「では、いまできることは何でしょうね」と問いかけたら、どうなるでしょうか。
大きな催しは無理でも、小さな集まりならできるかもしれない。
予算がなければ、持ち寄りでできることがあるかもしれない。
会場がなければ、公園や公共施設を利用できるかもしれない。
人手が足りなければ、まずは協力してくれる人を探すことから始められるかもしれない。
すると、不思議なことが起こります。
さっきまで「できない理由」だったものが、今度は「解決すべき課題」に変わっていくのです。
現実は、何ひとつ変わっていません。
予算がないことも、人手が足りないことも、そのままです。
変わったのは、たったひとつ。
現実に向き合う姿勢です。
2 姿勢とは、現実から目をそらさないこと
ここでいう「姿勢」とは、単に前向きであるとか、明るく考えるとか、そういうことではありません。
まして、苦しいときにも笑顔を絶やさず、無理をしてでも頑張り続けることではありません。
むしろ逆です。
できないことは、できないと認める。
足りないものは、足りないと認める。
苦しいときは、苦しいと認める。
そのうえで、
「では、いまできることは何だろう」
と考える。
これが、私たちのいう「姿勢」です。
たとえば、病気になって、それまでできていたことができなくなったとします。
以前のように働けない。以前のように出かけられない。以前のように人と会えない。
できなくなったことを数えれば、いくらでも出てきます。
けれど、「では、いまできることは何だろう」と問うことはできます。
今日は体を休めることかもしれません。
誰かに助けを求めることかもしれません。
無理のない範囲で、好きな本を一ページ読むことかもしれません。
何か大きな成果を出すことだけが、前進ではありません。
休むことが、次の一歩になることもあるのです。
大切なことは、できなくなったことに目を奪われて、いまできることまで見失わないことにあります。
人は、できないことが増えたからといって、可能性のすべてを失うわけではありません。
3 問いが変わると見える世界が変わる
ここで、少しおもしろいことを考えてみたいと思います。
「なぜできないのか」という問いと、
「では、いまできることは何だろう」という問い。
この二つの問いは、同じ現実に向けられています。
ところが、その問いから生まれてくる答えは、ずいぶん違います。
「なぜできないのか」と問えば、できない理由が見つかります。
「いまできることは何か」と問えば、できることを探し始めます。
人は、問いを持つと、その問いに応じたものを見つけようとするものです。
つまり、問いというものは、単に答えを求めるためだけにあるのではありません。
何を見るか、どこに目を向けるかを決める働きも持っているのです。
これは、歴史を学ぶときにも同じことがいえます。
ある歴史上の人物について、「なぜ失敗したのか」と問えば、失敗の原因が見えてきます。
そうではなく「その人物は、与えられた状況のなかで何を実現しようとしたのか」と問えば、また違った景色が見えてきます。
もちろん、どちらの問いも大切です。
失敗の原因を知ることも必要ですし、当時の制約を知ることも必要なことでしょう。
ただ、失敗の理由だけで歴史を見てしまうと、そこで人々が何を願い、何を守ろうとし、何を未来に遺そうとしたのかが、見えなくなってしまうことがあります。
「過去を裁くための問い」と、「過去から学ぶための問い」
この二つは、似ているようで、実は向いている方向が違います。
そしてこのことは、現代を生きる私たちにも、そのまま当てはまることです。
4 「できること」は、一人で見つけなくてもよい
もうひとつ、大切なことがあります。
それは、いまできることを、必ずしも一人で見つける必要はないということです。
一人ではできないことも、二人ならできるかもしれません。
二人では難しくても、五人ならできるかもしれません。
知恵が足りなければ、知恵のある人に教わればよい。
力が足りなければ、力を貸してくれる人を探せばよい。
ここに、Relation(関係性)という視点が生まれます。
「自分にはできない」というのは、自分という一人のEntityだけを基準にした見方です。
けれど、「では、誰とならできるだろう」と問いを変えてみると、それまで一人の能力の限界だと思っていたものが、人と人との「あいだ」にある課題として見えてきます。
そして、人と人との「あいだ」が変われば、できることも変わっていきます。
人は、一人ですべてを成し遂げる必要などありません。
できないことがあるからこそ、人と人は結ばれることができます。
一人ひとりが違う能力を持ち、違う経験を持ち、違う得意分野を持っているのです。
だからこそ、結ばれることで、一人では生み出せなかった新しい可能性が生まれます。
「できない」は、その人の能力の終点ではなく、誰かと結ばれる出発点になることもあるのです。
このように考えると、「いまできることは何だろう」という問いは、単なる自己努力の問いではなくなります。
人との関係をひらく問いでもあるからです。
5 次の一歩が、未来をつくる
何かを実現しようとするとき、最初からすべての条件が整っていることなど、めったにありません。
時間もお金も知恵も協力者も、足りないことだらけです。
それが普通です。
もし、すべての条件が整うまで何もしないとしたら、おそらく、いつまでたっても何も始めることはできないでしょう。
けれど、いまある条件のなかで、できることをひとつ見つけてみる。
そして、そのひとつを実際にやってみる。
すると、そこに新しい経験が生まれます。
新しい経験が生まれれば、それまで見えなかった課題も見えてきます。
協力してくれる人が現れるかもしれません。
思いもしなかった方法が見つかるかもしれません。
もちろん、うまくいかないこともあります。
それでも、何かを試してみたからこそ、次に何をすればよいかが見えてくることがあります。
ここに、出口設計(Exit Design)の考え方が重なります。
出口設計は、単に目の前の問題への対策だけではありません。
その先に、どのような未来をつくりたいのかを考え、そこへ向かう道筋を組み立てていくことです。
ここで必要なことは、未来のすべてを最初から見通すことではありません。
目指す未来を見据えながら、いまできる一歩を見つけることです。
未来は、今日の延長線上にあります。
けれど、その延長線は、最初から一本に決まっているわけではありません。
いま、どちらを向くか。
いま、何を選ぶか。
いま、誰と手を結ぶか。
そうした小さな選択の積み重ねが、未来への道筋をつくります。
だから、姿勢が大事なのです。
生きていれば、どうにもならないことがたくさんあります。
人間関係が思い通りにならないこともあれば、努力しても報われないこともあります。
どう頑張っても、自分の力では変えられない現実もあります。
そんなときに、できない理由を数えたくなるのは、ごく自然なことです。
もちろん、できないことを、無理にできると言い張る必要はありません。
ただ、そこで話を終わらせてしまうのは、少しもったいない。
できない理由をあげても良いのです。
そのうえで、もうひとつだけ、問いを置くのです。
「では、いまできることは何だろう」
答えは、すぐには見つからないかもしれません。
それでも、この問いを持つことで、それまで見えていなかったものが、少しずつ見えてくることがあります。
助けを求めること。誰かに声をかけること。小さなことから始めること。ときには、いったん休むこと。
それだって立派な一歩です。
大切なことは、どれほど大きな一歩を踏み出したかではありません。
いまのその小さな一歩が、自分や周囲の人々を、どのような未来へ運んでいくのかということです。
ボクは遠州・浜松で育ちました。
家康さんのお膝もとです。
その浜松には、「やらまいか」という方言があります。
まずは、やってみよう、という意味です。
まずは小さな一歩を踏み出す。
やってダメなら、すぐに軌道修正をする。
日々是新(ひびこれあらた)です。
できない理由は「現実」を教えてくれます。
けれど、いまできることを問う姿勢は、その現実のなかに「可能性」を見つけてくれます。
できない理由を数えると、足が止まります。
「では、いまできることは何だろう」と問い直すことで、次の一歩が生まれます。
今日という一日のなかにも、まだ見つけていない一歩が、きっとある。
その一歩が、昨日とは少し違う明日につながります。
この世でしか体験できないことがあります。
だから、「いま、できることはなんだろう」と、希望を持って前に向かって進む。
つらいことがあっても、
きついなあと思うことがあっても。
——今日も良い一日を♪
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