人は、誰と出会うかによって変わります。
自分を認めてくれる人との出会いもあれば、批判されたり、嫌われたりする経験もあります。けれど、そうした出会いの一つひとつが、自分の中に眠っていた可能性を開くきっかけになることがあります。
人間関係は、単に仲良くすることではありません。大切なのは、相手との「あいだ」に何を育て、そこからどんな未来をつくっていくか。EntityからRelationへ。人は未完成だからこそ、誰かと出会い、新しい自分へと成長できるのです。

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人は一人で完成しているのではない。誰と出会い、どんな「あいだ」を育てるかによって、自分の中の可能性も変わっていく。
人は一人で完成するものではない
若い頃に読んだ本に、「人は己の肥しと思え」という言葉がありました。
なにやら衝撃的な言葉ですが、まだ本を読んだ後の抜書集を始める前に読んだ本ですから、おそらく中学生くらいのときに読んだのだと思います。
たぶん、桜木健古の本だったような気が(笑)。
そこに書かれていたことは、単に相手に好かれているとか、嫌われているとか、ましてや人を道具のように考えましょうとかいう、ありきたりな人生論ではありません。
相手との「あいだ」に、自分が「何を築いていこうとするのかが大事」ということであったように記憶しています。
そのように書いてあったのか、そのように自分が受け取っただけなのか。
そのあたりは記憶が曖昧ですが(笑)。
ただ、振り返ってみると、自分にとって、その言葉がひとつの指針となってきたような気がします。
人には、それぞれ個性があります。
得意なこともあれば、苦手なこともある。
明るい人もいれば、物静かな人もいる。
行動が得意な人もいれば、じっくり考えることが得意な人もいる。
私たちは、そうした違いを見て、「あの人はこういう人だ」「自分はこういう人間だ」と考えがちです。
けれど、ほんとうにそうなのでしょうか。
たとえば、人前で話すことが苦手だった人が、ある人との出会いをきっかけに、人に何かを伝える喜びを知ることがあります。
何をやってもうまくいかないと思っていた人が、誰かに「あなたの、その考え方はおもしろいね」と言われたことで、自分でも気づかなかった才能を発見することがあります。
反対に、いつも否定され、叱られてばかりいる環境では、本来持っていた力さえ発揮できなくなることがあります。
同じ人であっても、出会う相手や置かれた環境によって、まるで違う姿が現れます。
これは、いったいどういうことなのでしょうか。
一人では生まれなかったもの
たとえば、音楽を考えてみましょう。
ピアノにはピアノの音色があります。 ヴァイオリンにはヴァイオリンの音色があります。 フルートにはフルートの音色があります。
それぞれが、一つの楽器として完成しています。
けれど、それらの楽器が出会い、一緒に演奏すると、
ピアノだけでは生まれなかった響きが生まれます。
ヴァイオリンだけでは表現できなかった世界が広がります。
フルートもまた、ほかの楽器との重なりの中で、新しい表情を見せるようになります。
ここで大切なことは、それぞれの楽器が、自分の音色を捨てたわけではないということです。
ピアノはピアノのまま。 ヴァイオリンはヴァイオリンのまま。 フルートはフルートのまま。
それぞれが自分らしさを持ち寄ることによって、一人では決して生まれなかった音楽が生まれるのです。
このことは、人と人との関係にも、そのまま当てはまるように思います。
EntityからRelationへ
人を、一つの独立した存在として見ることを、ここではEntityという言葉で考えてみます。
Entityの観測点では、人はそれぞれ独立した存在です。
能力が高いか低いか。 役に立つか立たないか。 優れているか劣っているか。
どうしても、そうした比較や評価に目が向きやすくなります。
一人ひとりの能力や個性を見ることは、もちろん、大切なことです。
けれど、そこにRelationという観測点を加えると、世界の見え方が少し変わります。
Relationとは、単に仲良くすることではありません。
人と人との「あいだ」に、何が生まれているのかを見ることです。
同じ二人が出会っても、相手を否定し合えば、可能性は小さくなってしまうかもしれません。
けれど、違いを認め、相手の良さを引き出し合うことができれば、そこには一人では想像もできなかった可能性が生まれます。
人の可能性は、その人の内側に、あらかじめ決まった量が存在しているだけではない。
誰と出会い、どのような関係を育てるかによって、可能性そのものが、新しく開かれていくのです。
ここにRelationのおもしろさがあります。
「あなたがいたから、できた」
人生を振り返ると、誰にでも、そんな経験があるのではないでしょうか。
あの先生と出会わなかったら、勉強のおもしろさを知らなかった。
あの友人がいなかったら、勇気を出して一歩を踏み出すことはなかった。
あの人が信じてくれなかったら、途中で諦めていたかもしれない。
あるいは、何気なく交わした一言が、その後の人生を大きく変えることもあります。
おもしろいのは、そのとき相手が、必ずしも何かを教えてくれたわけではないことです。
ただ話を聞いてくれた。 一緒に笑ってくれた。 「やってみたら?」と言ってくれた。
それだけのことが、人の中に眠っていた可能性を開くことがあります。
では、その可能性は、もともと自分の中にあったのでしょうか。
それとも、相手が与えてくれたのでしょうか。
もしかすると、そのどちらでもないのかもしれません。
それが、自分と相手との「あいだ」に生まれた、新しい可能性だったのです。
自立とは、孤立することではない
ここで、もう一つ大切なことがあります。
それは、誰かとの関係によって可能性が広がるからといって、それは、相手への依存ではない、ということです。
人は、それぞれ自分の人生を生きています。
自分で考え、自分で選び、その選択に責任を持っています。
ここが自立の基本です。
自立は、誰の助けも借りず、一人で何でもできるようになることではありません。
一人で立つことと、一人きりで生きることは、違います。
自分の足で立っているからこそ、他者と対等に結ぶことができる。
そして、互いに自立した人同士が結ばれることで、それぞれの可能性がさらに広がっていくのです。
人と結ばれることは、自分を失うことではありません。
むしろ、自分が自分らしく生きるための、新しい可能性を見つけることです。
「あいだ」は育てるもの
もっとも、人と出会いさえすれば、必ず良いことが起きるわけではありません。
人間関係には、すれ違いもあれば、誤解もあります。
親切のつもりでしたことが、相手にとっては迷惑になることもあります。
良かれと思って言った言葉が、相手を傷つけてしまうこともあります。
関係は、出会った瞬間に完成するものではありません。
互いの話を聞く、違いを知り、相手の立場から考える。
ときには距離を置くことも大事です。
そして、また新しい関わり方を探してみるのです。
そうした小さな積み重ねによって、人と人との「あいだ」が少しずつ育っていきます。
育ち方は、かならずしも良好な関係ばかりではないかもしれません。
相手にバカにされることも、軽くみられることだってあるかもしれません。
それでいいのです。
すべての人と親しくなる必要はありません。
無理に結ぼうとすれば、かえって互いを傷つけることだってあります。
人はどうしても、相手を自分の思い通りに変えようとしてしまいます。
けれど大切なことは、互いの存在から、どのような未来をつくれるかにあります。
そこに、Relationから出口設計へとつながる道があります。
未来は「あいだ」から生まれる
人は、誰もが未完成です。
だから、未完成であることは、欠点ではありません。
まだ変わることができる。 まだ成長することができる。 まだ知らない自分と出会うことができる。
未完成の正体は、余白です。
その余白に、可能性が残されているのです。
人の可能性は、もちろん自分の努力によって開かれます。
けれど、そんな努力の上に、誰かと出会い、その人の話に耳を傾け、一緒に考えるとき、
その「あいだ」に、それまで見えていなかった道が現れることがあります。
自分が変わることもあれば、相手が変わることもあります。
ときには、どちらも変わらないまま、二人の「あいだ」に、まったく新しい何かが生まれることさえあります。
だから、人はおもしろい。
嫌われていたっていい。
もちろん、嫌われることは、決して気持ちの良いことではありません。
けれど、その経験を通じて、自分自身を見つめ直し、成長し、自立する機会を得られたのなら、それもまた、「あいだ」が育ててくれた可能性のひとつです。
相手が自分を好きか嫌いか。それだけで関係の価値が決まるわけではないのです。
今日、出会う誰かとの何気ない会話が、明日の自分の可能性を変えるかもしれません。
そして、自分の何気ない一言が、誰かの未来を開くきっかけになるかもしれません。
人は一人で完成しているのではない。
誰と出会い、どんな「あいだ」を育てるかによって、自分の中の可能性も変わっていくのです。
今日も、誰かとの「あいだ」に、新しい可能性が生まれる一日でありますように。
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