うまくいかないとき、不安なとき、私たちは「祈らなきゃ」と思います。
けれど、その祈りは本当に祈りなのでしょうか。
古事記の言葉と4コマ漫画を通して、「祈りが生まれる心の状態」について見つめてみます。

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今回の4コマは、「祈りとは何か」をテーマにしています。
私たちは、何かうまくいかないとき、不安なとき、つい「祈らなきゃ」と思います。
けれどその祈りは、多くの場合、「こうなってほしい」「どうにかしてほしい」という“願い”になっています。
一コマ目、二コマ目に描かれているのは、まさにその状態です。
情報や不安に囲まれ、心が落ち着かず、外に答えを求め続けている姿です。
古事記は、こうした状態を「狭蝿那須滿、萬妖悉発」と表しています。
まるで無数の蝿が飛び交うように、さまざまな思いや出来事が入り乱れ、心が騒がしくなっている状態です。
こうしたとき、いくら祈ろうとしても、祈りは深まっていきません。
なぜなら、心そのものが整っていないからです。
三コマ目では、主人公が一度立ち止まり、スマホを閉じ、ただ息をつきます。
特別なことはしていません。けれど、それだけで少しずつ整いが始まります。
四コマ目では、風景が変わり、人との関係の中で、やわらかな空気が流れています。
このとき、はじめて祈りが自然にあらわれてきます。
祈りは、何かを無理に生み出すものではありません。
整った心の中に、自然と湧き上がってくるものです。
もちろん、「豊かになりたい」「病気を治したい」「合格したい」といった願いは切実です。
けれど、だからこそ、願いを叶えるためには、まず自分自身を整えることが大切なのではないでしょうか。
古事記が示すもうひとつの世界は、「豊葦原千秋長五百秋水穂国」です。
人が自然体で生き、互いに支え合い、豊かさが続いていく状態です。
祈りは、そうした整いの中にあるもの。
そしてその入口は、特別なことではなく、ほんの小さな「立ち止まり」から始まります。
今日という一日の中で、ほんの少しでも心が整う瞬間を持てたなら、
そのとき、すでに祈りは生まれているのかもしれません。
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