安倍仲麿は、遠く唐の地で故郷の月を思い、歌を詠みました。しかし、帰国の船は遭難し、ついに日本へ帰ることは叶いませんでした。それでも、仲麿の歌は日本へ帰り、1300年近くたったいまも人々の心に届いています。人は帰れなくても、思いは帰ることができる。百人一首7番の歌から、空海の生涯にも通じる「継承」の意味を考えます。

今日のひとこと・人は帰れなくても、思いは帰ることができる。言葉に託した心は、時を越えて、まだ見ぬ誰かの未来を照らす。

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人は帰れなくても、思いは帰ることができる。言葉に託した心は、時を越えて、まだ見ぬ誰かの未来を照らす。

1 1300年前の月を、いまも見ている

百人一首の七番歌は、安倍仲麿(あべのなかまろ)の歌です。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも

(あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも)

大空をはるかに仰ぎ見ると、そこには美しい月が昇っている。
ああ、あの月は、故郷の奈良、春日の三笠山に昇っていた月と、同じ月なのだなあ。

一般に、この歌は、遠く異国に暮らす人が、故郷を懐かしんで詠んだ「望郷の歌」として知られています。
もちろん、それはその通りです。
けれど、少し観測点を動かしてみたいと思います。

この歌を詠んだ安倍仲麿は、結局、日本に帰ることができませんでした。
ところが、不思議なことに、仲麿の歌だけは、日本に帰ってきたのです。
そして、その歌はいまも百人一首に収められ、日本中の人々に親しまれています。

歌を詠んだ人は、1300年近くも前に亡くなっています。
それなのに、その人が見上げた月を、いまの私たちも、同じように心に思い浮かべることができます。

これは、考えてみれば、たいへんなことではないでしょうか。

2 帰れなかった遣唐留学生

安倍仲麿は、奈良時代の人です。
若くして遣唐留学生に選ばれ、養老元年(717年)に唐へ渡りました。

当時の唐には、東アジア各地から学問や文化を求める人々が集まっていました。
そこへ日本から海を越えて留学するということは、ただ外国の知識を学ぶというだけではありません。
異国で学んだ知識や技術を、いつの日か故郷へ持ち帰り、日本の未来に役立てる。
そこには、そうした国家的な期待もあったことでしょう。

仲麿は唐で学問を修め、唐では朝衡(ちょうこう)と名乗り、唐の朝廷に仕える高官となりました。
有名な詩人の李白や王維とも親交を結び、異国の地で高い評価を得ています。
けれど、どれほど出世しても、仲麿の心には、故郷の日本がありました。

唐に渡ってから三十年以上が過ぎ、仲麿にようやく帰国の機会が訪れたとき、帰国に先立って、明州という港町で送別の宴が開かれました。
『古今和歌集』には、その宴で夜空に美しい月が昇り、仲麿がこの歌を詠んだと語り伝えられたことが記されています。

「天の原、ふりさけ見れば」
仲麿は、はるかな夜空を仰ぎ見ました。
そこにあったのは、昔、奈良の春日で見た月と同じ月でした。

唐で過ごした三十年以上の歳月。
学問に励んだ日々。
人との出会い。
積み重ねた仕事。
そして、そのあいだ、ずっと帰ることのできなかった故郷。
そうしたさまざまな思いが、夜空の月に重なったことでしょう。

ところが、仲麿を乗せた帰国の船は、暴風に遭って漂流してしまうのです。
結局、仲麿は日本の土を踏むことができず、再び唐に戻って、宝亀元年(770年)、その地で生涯を終えました。
なんとも切ない話です。

3 人は帰れなくても、歌は帰ってきた

けれど、ここからが今日のお話です。

仲麿自身は日本に帰ることができませんでした。
しかし、仲麿の歌は、日本に伝わりました。

それは人から人へと語り継がれ、やがて『古今和歌集』に収められ、さらに藤原定家が選んだ小倉百人一首の七番歌として、後世に受け継がれていきました。

つまり、
仲麿は帰れなかった。けれど、仲麿の思いは帰ってきた、のです。

ここに、和歌のもつ、もうひとつの大きな意味があるように思います。

人の命には、終わりがあります。
どれほど優れた人物でも、いつまでも生き続けることはできません。
どれほど大きな仕事を成し遂げても、その人自身は、いつかこの世を去っていきます。
けれど、その人の思いは、必ずしもそこで終わるわけではありません。

言葉にする。
歌にする。
書き残す。
あるいは語り伝える。
そうすることで、人の心は、その人自身の命を超えて、次の時代へと受け渡されていきます。

仲麿が送別の宴で歌を詠んだとき、自分の歌が千年以上も後の日本で読まれることなど、想像していなかったかもしれません。
それでも、歌は残りました。

しかも、残ったのは、単なる文字ではありません。
そこには、仲麿という一人の日本人が、遠く異国で故郷を思い、月を見上げた、その心が残っています。

いま百人一首の七番歌を読む人は、仲麿と同じ月を見ることができます。
もちろん、1300年前の月と、いまの月とでは、見上げる人々の暮らしは違います。
けれど、月を見上げて故郷を思う心は、時代が違っても理解することができます。

これが、和歌の持つ力です。

和歌は、昔の言葉を暗記するためだけのものではありません。
昔を生きた人と、いまを生きる人との「あいだ」に、新しい関係を生み出すものでもあるのです。

つまり、和歌は、時間を超えて結ばれるRelationといえるものなのかもしれません。

4 空海もまた、海を越えた

ここで、もう一人の人物を思い浮かべてみたいと思います。
空海です。

安倍仲麿が唐の地で亡くなってから三十四年後。
延暦二十三年(804年)、空海もまた遣唐使船に乗り、海を越えて唐へ渡りました。
空海は長安で密教の師である恵果阿闍梨(けいかあじゃり)と出会い、その教えを受け継ぎました。
そして大同元年(806年)、数多くの経典や曼荼羅、法具などを携えて日本へ帰国しました。

仲麿と空海では、時代も立場も、その生涯も異なります。
一方は日本に帰ることができず、一方は日本へ帰り、唐で学んだ教えを広めました。

けれど、この二人を並べてみると、ある共通点が浮かび上がってきます。

それは、海を越えて得たものを、自分一人で終わらせなかったということです。
空海は、唐で学んだ教えを、日本の未来へと受け渡しました。
そのために経典を持ち帰り、人を育て、学びを広める場をつくりました。

仲麿は、帰国して学問を伝えることこそ叶いませんでしたが、その歌は、時を越えて日本の人々の心に届きました。

二人が残したものは違います。
けれど、どちらにも、次の人へと何かが受け渡されていく姿を見ることができます。

そして、ここが大切なところです。
継承とは、必ずしも、自分で完成させることではない。

自分の手では、最後までたどり着けないこともあります。
自分の生きているあいだには、結果が出ないこともあります。
それでも、自分が受け取ったものを、次の誰かに手渡すことはできます。

その誰かが、また次の誰かへ手渡していく。
そうして、最初の一人が想像もしなかった未来が、少しずつ形になっていくのです。

5 未来の誰かが、受け取ってくれる

人は、つい、自分が生きているあいだに何かを成し遂げようとします。
もちろん、それは大切なことです。

けれど、人間の一生には限りがあります。
大きな仕事であればあるほど、一人の人生だけでは完成しないものです。

その典型が、子育てです。
親が子にできることは、すべての問題を解決してあげることではありません。
自分の目が届かなくなったあとも、子が自分の足で歩いていけるように、そのための何かを手渡していくことです。

教育も、文化も、社会づくりも同じです。
いま目の前にいる人だけでなく、まだ生まれていない人のことまで考える。
十年後、百年後の人たちが、よりよく生きていけるように、いま自分にできることをする。

それが「継承」ということなのだと思います。

ここで、安倍仲麿の歌を、もう一度読んでみましょう。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも

仲麿が見上げたのは、唐の空に昇った月です。
けれど、その心が見ていたのは、遠い故郷の日本でした。
そして、仲麿の命が終わったあとも、その歌は残り、いくつもの時代をくぐり抜けて、今日まで伝わってきました。
それを思うと、この歌は、ただ故郷を懐かしんだ歌というだけではなくなります。

自分の生命が終わったあとも、自分の思いが誰かに届くことがある。
その誰かが、さらに次の人に、その思いを伝えてくれることがある。
そうした、継承の可能性を感じさせる歌として、読むこともできるのです。

そして、もう一つ。

仲麿の歌は、ただ保存されてきたのではありません。
昔の人が読み、江戸時代の人が読み、明治の人が読み、そして現代の人が読んでいます。
読む人が変われば、そこに見える景色も変わります。
望郷の歌として読む人もいるでしょう。
離れて暮らす家族を思い浮かべる人もいるでしょう。
一度も会ったことのない先人の心に触れ、何かを受け取る人もいるでしょう。

それでいいのだと思います。

継承とは、昔のものを、ただ同じ形で保存することではありません。

受け取った人が、いまを生きる自分の心で受け止め、
そこからまた、次の未来をつくっていくこと。

そうすることで、昔の人の思いは、単なる過去の記録ではなく、いまを生きる力になっていくのだと思います。

6 三笠の山に出でし月

私たちは、いつかこの世を去っていきます。
それは誰にも変えることができません。
けれど、自分の生きた時間に、どのような意味を持たせるかは、選ぶことができます。

誰かを大切にした思い。
苦労しながら学んだこと。
失敗から得た知恵。
未来の人たちに、こうあってほしいと願ったこと。
そうしたものを、次の人に手渡していくことはできます。

そして、受け取った人が、それをまた次の人へと手渡していく。
その「あいだ」に、文化が生まれ、文明が育っていくのではないでしょうか。

安倍仲麿は、日本に帰ることができませんでした。
けれど、仲麿が詠んだ歌は、日本に帰ってきました。
しかも、その歌は、1300年近くたったいまも、私たちの心に届いています。

こうして考えてみると、「継承」とは、ずいぶんと壮大なものです。

自分の人生で何を完成させるか。
それも大切です。
けれど、もう一つの大切な問いは、

自分がいなくなったあと、誰に、何を、手渡していくのか。

その問いを持つだけで、今日という一日の意味も、少し違ってくるように思います。

1300年前の唐の夜空に昇った月。
その月を見上げた一人の日本人の思いが、いまも私たちの心を照らしています。

人は帰れなくても、思いは帰ることができる。
言葉に託した心は、時を越えて、まだ見ぬ誰かの未来を照らす。

今日も、そんな一日でありたいものです。

——今日も良い一日を♪

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