自分は正しい。相手が間違っている。そう思った瞬間、人と人との間に見えない壁が生まれます。けれど、相手には、自分とは違う景色が見えているのかもしれません。大切なのは、善悪の判断を捨てることではなく、その先にどんな未来をつくるか。壁を壊さず、窓をつくり、扉を開き、橋を架ける。対立を結びへと変える、小さな問いについて考えます。

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自分だけが正しいと思えば、世界は敵と味方に分かれていく。「相手には何が見えている?」という問いが、その境界に小さな扉をつくる。
1 正しいことを言っているのに、なぜ争いになるのだろう
人は誰でも、自分なりの正しさを持っています。
約束は守るべきだと思うのもそうですし、人には親切にするべきだ、嘘をついてはいけない、弱い人をいじめてはいけないも、そうです。
どれも大切なことです。
ところが人と人との争いは、必ずしも悪いことをしようとする人によって起こされるわけではありません。
むしろ、お互いが「自分は正しい」と思っているときにこそ、争いとなり、さらに争いが激化します。
一方が「これは絶対に正しい」と言えば、もう一方も「いや、こちらこそ正しい」と主張する。
すると、いつの間にか、問題そのものの解決よりも、どちらが正しいかを決めることが目的になってしまいます。
そして、自分の正しさを認めてくれる人は味方。
認めてくれない人は敵と判断するようになる。
子供の喧嘩なら、最後はどちらかが泣かされて、オシマイです。
けれど、これが国と国との間で起きると、大勢の人の命が奪われることになります。
ここでひとつ、考えてみたいことがあります。
そもそも相手には、何が見えているのでしょうか。
2 同じ木を見ていても、見えているものは違う
たとえば、ある町に、大きな桜の木があったとします。
春には美しい花が咲き、夏には涼しい木陰をつくります。
長年、町の人々に親しまれてきた木です。
ところが、ある日、その木を伐採する計画が持ち上がる。
すると、町の人々の意見が真っ二つに分かれる。
「こんなに美しい木を伐るなんて、とんでもない!」
「いや、枝が落ちて子供が怪我をしたらどうするんだ!」
木を残したい人たちは、伐採を進める人たちを「自然を大切にしない人たち」だと思います。
一方、伐採を求める人たちは、反対する人たちを「子供の安全を考えない人たち」だと思います。
どちらも、自分たちが正しいと思っています。
けれど、ここで少し観測点を変えてみます。
木を残したい人には、その桜の下で遊んだ子供時代の思い出があるのかもしれません。
毎年、花が咲くのを楽しみにしているお年寄りがいるのかもしれません。
一方、木を伐りたい人には、以前、落ちてきた枝で怖い思いをした経験があるのかもしれません。
小さな子供を持つ親として、事故を未然に防ぎたいという切実な思いがあるのかもしれません。
つまり、同じ一本の木を見ていても、それぞれに見えているものが違います。
一方には、思い出や美しい風景が見えている。
もう一方には、事故の危険や子供たちの安全が見えている。
そこで、誰かがこう尋ねたらどうでしょう。
「ところで、皆さんは、この木の何を大切にしたいのでしょうか」
もしかすると、そこから話が変わるかもしれません。
木を残したい人も、伐りたい人も、本当に願っていることは、町の人々が安心して、幸せに暮らせることなのかもしれないからです。
そうであれば、専門家に樹木の状態を調べてもらう、危険な枝だけを剪定する、歩道を整備するなど、別の選択肢も見えてきます。
もちろん、調査の結果、伐採が必要になることもあるでしょう。
それでも、相手を敵と決めつけて「争う」のと、
互いの大切にしているものを知ったうえで「結論を出す」のとでは、その後の町の暮らしが違ってきます。
同じものを見ていることと、同じものが見えていることは、必ずしも同じではないのです。
3 善悪の判断をなくすことではない
ここで誤解してはならないことがあります。
相手の立場を理解するというのは、善悪の判断をやめるということではありません。
人を傷つける行為は許されないことです。
嘘や暴力、犯罪などについては、必要な責任を明らかにしなければなりません。
事情があれば、何をしても許されるということでは、決して、決して、ないのです。
ここで大事なことは、
「行為の善悪を判断すること」と、
「相手の人間そのものを悪と決めつけること」とはまったく別の問題だということです。
「その行為は間違っている」と言うことはできます。
けれど、「だから、その人のすべてが悪い」と決めつけてしまえば、そこから先の可能性が閉ざされます。
間違いを正すことは必要です。
被害を受けた人を守ることも必要です。
そのうえで、なぜそのようなことが起きたのかを知ることができれば、同じ問題が繰り返されることを防ぐ手がかりになるかもしれません。
善悪の判断は、社会を守るために必要なものです。
ここをおろそかにすると、事実上、悪い行いが見過ごされることになり、悪がはびこって、多くの人が犠牲になります。
かといって、判断を下すことだけが、問題の解決ではありません。
大切なことは、その判断のあとに、どのような未来をつくるかにあります。
4 正しさの向こう側にあるもの
人は、自分が見ている世界を、世界のすべてだと思いがちです。
けれど、人が見ているものは、その人の経験や立場、置かれた状況によって異なります。
たとえば、同じ雨の日でも、
農家の人には、作物を育てる恵みの雨に見えるかもしれません。
遠足を楽しみにしていた子供には、残念な雨に見えるかもしれません。
水不足に悩む地域の人には、待ち望んでいた雨かもしれません。
雨そのものが変わったわけではありません。
変わっているのは、雨と人との関係です。
これは、人と人との関係にも当てはまります。
自分にとって困った人が、別の誰かにとっては、かけがえのない恩人であることもあります。
自分には理解できない行動にも、その人なりの理由があるのかもしれません。
もちろん、理由があることと、その行動が正しいことは同じではありません。
それでも、理由を知ることによって、問題の見え方が変わることはあります。
ここに、Relationという観測点があります。
相手を「正しい人」「間違っている人」という固定された存在(Entity)として見るのではなく、その人が何と結ばれ、何を大切にし、何を恐れているのかを見てみる。
すると、それまで気づかなかったものが見えてくることがあります。
自分の正しさを捨てる必要はありません。
ただ、自分の正しさの外側にも、まだ見えていない景色があることを知る。
それだけで、世界が少し広くなります。
5 境界に、小さな扉をつくる
自分が正しく、相手が間違っている。
そう考えた瞬間、二人の間には見えない壁が生まれます。
壁のこちら側には自分がいて、向こう側には相手がいる形になります。
壁が高くなるほど、向こう側の景色は見えなくなっていきます。
そこで、
「相手には何が見えているのだろう?」と問いかけてみます。
壁を壊すことではありません。
相手の言いなりになるのでもありません。
壁に、小さな窓をつくるだけです。
窓があれば、向こう側を見ることができます。
相手もまた、こちら側の景色を見ることができるかもしれません。
そして、互いの違いを知ったところから、新しい選択肢が生まれます。
それが、結びの窓です。
その景色を知ったうえで、新しい未来へ歩み出すために置くのが扉です。
扉を開けば、そこから新しい未来が始まるかもしれません。
これが結びの扉です。
壁はなくなっていません。
なくす必要もありません。
ただ、窓と扉がある。
扉を開けたら、橋を架ける。
結びは、すべての人が同じ意見になることではありません。
違いを持ったままでも、互いを大切にし、より良い未来をつくろうとすることです。
だから結びです。
同化ではありません。
だからときには、距離を置くことも大切です。
無理に仲良くしようとして、誰かが傷つき続けるようでは、良い未来とはいえないからです。
大切なことは、最後にどうしたいのか。
互いの関係を整えることができるのか。壊さずに済む道はあるのか。
そして、みんなが笑顔で暮らせる未来をつくれないか。
そこまで考えて初めて、善悪の判断は、未来をつくる力になっていくのだと思います。
6 今日からできる、小さな問い
誰かの言葉に腹が立ったとき。
誰かの行動が理解できなかったとき。
「なんで、そんなことをするんだ!」と思ったとき。
ほんの少しだけ、立ち止まってみます。
そして、心の中で、こう問いかけてみます。
「この人には、いったい何が見えているのだろう?」
見ようとしたからといって、必ずしも見えるものではありません。
一生懸命理解に努めたからといって、必ずしも理解できるものでもありません。
まして、問いだけで、すぐに問題が解決するわけでもありません。
相手の考えが正しいとわかるとも限らない。
ただし、同じものを見ていることと、同じものが見えていることは、必ずしも同じではありません。
相手を理解することと、相手の行為を容認することとは、まったく異なることです。
だけど、その問いがなければ、見えなかったものがあります。
昨日まで敵だと思っていた人の中に、思いがけない優しさを見つけることもあるでしょう。
自分とは違う意見の中に、思いもよらなかった知恵を見つけることもあるでしょう。
そして、自分自身が、これまで見落としていた何かに気づくこともあるはずです。
だから、善悪を考えることは、誰が正しいかを決めて終わることではないように思います。
正しいことを大切にしながら、その先に、みんなが幸せに生きていける未来をつくることです。
正しさは、人を裁くためだけにあるのではありません。
人を守り、より良い未来へ進むためにこそあるものです。
今日、誰かと意見が違ったなら、それは新しい景色に出会う機会なのかもしれません。
自分の正しさを大切にしながら、相手の見ている景色にも、少しだけ目を向けてみる。
そこには、まだ見ぬ未来へと続く、小さな扉があるかもしれません。
今日も、そんな小さな扉をひとつ、開いてみませんか。
今日も良い一日を♪

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