7月7日は盧溝橋事件があった日
しな事変は日本の軍部が暴走してチャイナ侵略を開始したきっかけとなった事件だと、嘘がばらまかれています。とんでもないことです。むしろ嵌められたのは日本です。
大伴家持と紫陽花(あじさい)の花
ひとりひとりの人間には、小さなことしかできないかもしれないけれど、みんなが力を合わせることによって、大きな働きをすることができる。みんなで大輪の紫陽花を咲かせる。
それが日本人です。
奇跡の将軍・樋口季一郎陸軍中将に学ぶ
樋口季一郎陸軍中将のことを、「旧軍の関係者であるから評価すべきではない」という人がいました。
筆者はそうは思いません。
旧軍の関係者であろうがなかろうが、立派な行為は、しっかりと学ぶべきものです。
日本語と世界の言語の歴史を論理的に紐解いてみる
初期の言語は無声化音(子音)がなく、母音だけであったと考えられます。それが長い歳月と地域差の中で、子音が生まれ、次第にそれぞれの地域や民族に合った形となることで世界の言語がバラバラになっていったとするならば、元々の言語はどこにあったのかという疑問が起こります。そしてもしかすると、古代の知恵をそのまま残す日本語の中に、人類の始祖からの言語の形態が温存されているのかもしれないのです。
国の平穏を願った有馬皇子(ありまのみこ)
曳馬を浜松と改名したのが家康です。当時、岡崎に城を構えていた家康は、妻の瀬名姫が、いろいろな事情があって、どうしても城に入ってもらえない。時は戦国の世です。いつまでも岡崎城近くのお寺の築山脇の仮小屋で妻子に寝泊まりされていては、あまりに危険です。そこで家康は、自分が曳馬城に引っ越し、その代わりに築山御前に岡崎城に入ってもらうようにしました。そしてこのとき家康は、曳馬城を浜松城と改名しました。理由は、「磐代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結び真幸(まさき)くあらばまた還(かへり)り見む」という有間皇子の歌によります。歌に、離れてしまった築山御前との縁を、また結びたいという情(こころ)を込めたのです。
しっかりと生きる国民となる
日本人が目覚めるということは、日本人が怒ることではありません。現状の問題の多さと深さに慄然とするでしょうけれど、それらはひとつひとつ解決していかなければならないことでもあります。そしてその解決のためには、民衆こそが大御宝とされる日本の国柄を常識とすることと、日本人の民度の向上が不可欠なのです。そして民度の高い国民とは、ただ怒っている国民ではありません。しっかりと生きる国民です。
日本はなくなるのか!?
日月神示にも書かれています。ミロクの世がやってくる、と。神示は、ただ危機が迫ると述べているだけではないのです。その次までをも、ちゃんと明かしてくれているのです。ならば私たちは、堂々と、そのミロクの世に向けて進むだけだと思うのです。