古事記に、神武天皇が兄師木(えしき)、弟師木(おとしき)を討(う)ったときの歌があります。
次の歌です。

楯並(たてなめ)て 伊那佐(いなさ)の山の
木(こ)の間(ま)よも い行(ゆ)き守(まも)らひ
戦(たたか)へば 我はや飢(ゑ)ぬ
島(しま)つ鳥(とり) 宇養(うかひ)が伴(とも)
いま助(す)けに来(こ)ね

《原文》
多多那米弖 伊那佐能夜麻能 たてなめて いなさのやまの
許能麻用母 伊由岐麻毛良比 このまよも いゆきまもらひ
多多加閇婆 和礼波夜恵奴  たたかへば われはやゑぬ
志麻都登理 宇上加比賀登母 しまつとり う かひがとも
伊麻須気尓許泥       いますけにこね

《現代語訳》
盾を並べて伊那佐の山の
樹木の間にまで行って見守り戦って
はやくもお腹が空いてきた
島にいる鵜飼(うかい)の友よ
すぐに助けに来てくださいな

実はここに、我が国建国の原点となるたいせつな事柄と、日本人の健康と御長寿の謎が隠されています。

「島にいる鵜飼(うかい)の友よ、すぐに助けに来てくださいな」
というのですが、何の助けが必要かといえば、その理由は「戦ってお腹が空いてきた」からです。
つまり「助け」というのは、「食料を持ってきてくださいな」という意味だとわかります。

では「島にいる鵜飼(うかい)の友」とはどういう人達かといえば、ひとことでいえば、瀬戸内の人々ということになります。
なぜなら神武天皇は、この戦いに先んじて、まる17年も、博多から広島、岡山と、船を使って移動し、そこにとどまっていたからです。
広島や岡山は、瀬戸内に面しています。

なぜそこに長期滞在していたのかにも理由があります。
農業指導をしていたからです。
このことは、神武天皇に同行された兄の五瀬命(いつせのみこと)の名で明らかになります。
五は五穀です。五穀とは米・麦・あわ・きび・豆。転じて、穀物の総称です。
瀬は、膝より下の浅瀬のことです。つまり田んぼを意味します。
つまり五瀬命は、田んぼと畑の神様であり、今風に言うなら農業指導者です。

その農業指導を誰に行っていたのかと云うと、「島で鵜飼をしている人々」です。
これは漁業をして新鮮な魚介類を食べていた人々を表します。

つまり神武天皇の一行は、新鮮な魚介類を食べて暮らしていた人々に、農業の指導をしてきたわけです。

魏志倭人伝によれば、倭国の人々の寿命は八〜九〇年ないし百年です。
魏志倭人伝は三世紀の書物ですが、その頃の日本人の寿命が、現代と変わらないことが書かれています。
同じ時代の、というより、ほんの18世紀ごろまでの世界では、長生きしても50年。
チャイナでは40歳まで生きることができれば大幸運で、だからその年齢になると「老師」と呼ばれました。
あの国では、35歳くらいまでに、疫病と飢餓によって、村ごと全滅してしまうことがよくあったのです。
とにかく衛生環境が劣悪だったし、収奪もひどかった。
だから、そうした歴史から、世界で唯一、食の禁忌のない国となり、人の肉が普通に売られ、食べられるようにもなったわけです。
日本人など、日清戦争の際には、大陸に渡った日本の兵隊さんの戦死者13,800人中、11,894名が疫病での病死です。

西欧でも、飲料水の安全性が低く、やはり平均寿命は24〜25歳です。
目一杯長生きする人でも、50歳まで生きることができる人は稀だったのです。
白雪姫に魔法使いのお婆さんが登場しますが、そのお婆さん、実年齢はだいたい40歳前後です。

これに対し、日本人の寿命は80歳をゆうに超えていたのです。
このことは地球全体からしたら、まさに日本は「不老不死の国」に見えたことでしょう。
しかも日本は、世界最大の黄金の産出国だったのです。
こうなると、世界から見たら日本は天国にしか見えない。

だから13世紀頃までの世界地図では、東が「上」に描かれ、その頂点に日本が丸く描かれました。
丸は太陽のシンボルです。
そして神の国を意味しました。
その神の国がある方向が「オリエント」です。
そして神の国に至る道が「オリエンテーション」です。

そうした健康と長寿が、どうして日本で可能だったのかといえば、その答えは簡単です。
新鮮な魚介類と、安全な作物、きれいな水によって人間が支えられて来たからです。

人間の体は「食べたもの」と「空気」からしか出来ていません。
ろくでもないものに味付けだけして食べていれば、体がだんだんおかしくなるのはあたりまえだし、良いものを食べていても空気が悪ければ、人の体は蝕まれます。

逆に「健康に良いもの」を食べ、緑豊かなおいしい空気のある土地を保っていれば、人は健康で長生きが可能です。

新鮮な魚介類をいただくのなら、海や川がきれいでなければなりません。
縄文時代の暮らしを考えてみてください。
貝塚というのは、縄文時代の村のゴミ捨て場です。
ゴミ捨て場があるということは、ゴミを「海洋投棄」していなかったということです。
つまり、海で暮らしながら、同時に海を大切にしてきたのです。

陸での稲作や畑作も同じです。
水田には水をひきますが、その水は、場所によっては遠くの川の水をひいてきます。
その川は、青天井です。
最近では日本に外国人がたくさん入ってきたことと、日本人が外国人化していることから、川や土手にコンビニの弁当の残りカスやら、小便の入ったペットボトルなどが不法投棄されていますが、このようなことが起きるようになったのは、洋風化が素晴らしい、セーヌ側が世界で一番美しいなどと、嘘八百の宣伝がなされるようになった明治以降の話です。
江戸時代まで、川にものを捨てる、土手にものを捨てる、大小便をするなどということは、子供でも考え付きもしなかったほど、川が大切にされたのです。

また畑の土はよく耕されて柔らかなものでした。
よく出来た肥えた土というのは、実は健康な人の腸内環境と同じです。
だから土さえも食べることができるほどです。
腸内環境と同じ土から作物ができる。
その作物を調理して食べる。
食べた作物は、畑と同じ環境で分解消化される。
排泄したものは、発酵して畑の栄養素とする。

そうやって誰もが豊かに食べていくことができる環境があるから、いざとなったら互いに助け合うことができる。
それが日本の原風景です。

日本政治は、日本人の健康と長寿をしっかりと支える。
そういうものであってもらいたいと思います。

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再び健康と長寿” に対して1件のコメントがあります。

  1. 紀明 渡辺 より:

    こう言う歴史の解説が素晴らしいですね。
    やはり小名木さんに教科書を作って欲しいです。

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