世界を騒がせている恒星間天体「3I/ATLAS」。
その正体をめぐって、科学界や政治の世界でも議論が広がっています。
もしそれが単なる彗星ではなく、高度な意志を持つ“宇宙船”だとしたら──。
これは、幕末の黒船来航にも似た、文明の転換点なのかもしれません。
人類はいま、恐怖と支配の時代を越え、“響き合う文明”への扉を開こうとしています。

いま世界中の科学者や政治家たちが、恒星間天体「3I/ATLAS」に注目しています。
そして、様々な客観的証拠が、「3I/ATLAS巨大宇宙船であり、第二弾第三弾がこれから飛来する」ともいわれています。
そして、2026年1月19日が、人類との“接触日”となると噂されています。

このニュースは、幕末に日本を震撼させた「黒船来航」を思い起こさせます。
黒船は日本に「開国」を迫りました。
3I/ATLASは人類に「目覚め」を迫っているのかもしれません。

世界の識者たちは、「地球に危機が迫っている」と口を揃えます。
これは、西洋的な思考に根ざした「戦うか、滅びるか」という二項対立の反応です。
人類の歴史は、脅威を前にして“恐怖と支配”の選択を繰り返してきました。
敵が迫ったとき、敗れれば皆殺しに遭う。
そのような事実が繰り返されれば、人々は勢い勇敢な勇者のもとに団結して脅威と戦うという選択をす文化となるし、上に立つ者は、人々にひたすら敵の脅威や、敵への恐怖を煽ることになります。

しかし、そうした思考はあまりにも未熟な、進化の途上のものです。

キューブラー=ロスの「死の五段階受容説」でいえば、
3I/ATLASを前にしたいまの人類は、第1段階──「否認と孤立」の状態にあります。
「そんなことはありえない」「陰謀論だ」と、いたずらに拒絶だけを繰り返す。
けれども、やがて“怒り・取引・抑うつ”を経て、
最終段階の「受容」へと向かうプロセスに入っていくでしょう。
その期間は、おそらくこれから2ヶ月半ほど。
つまり、2026年1月──“その日”を迎える頃に、人類の意識が一段階変化する可能性があります。

もし3I/ATLASが、単なる彗星ではなく“意志ある訪問者”であるとしたら。
この前提で、いま、この原稿を書かせていただいています。

そして、ひとつあきらかなことがあります。
それは、もし彼らが人類と敵対し、人類を滅ぼしたり、地球上の資源を収奪するために先住民である人類を敵として殲滅の対象と考えているのなら、それは「もっと早くに行われたに違いない」ということです。
なぜならいまの人類には、核爆弾がある。
どうしようなく地球が滅びるという段階に至ったとき、地上に降り立った彼らともども、全世界の核弾頭を炸裂させることで、地上の何もかもをも破壊することができるからです。
人類よりも遥かに進んだ科学技術と文明を持った彼ら(現に恒星間飛行を実現している)なら、少し時間をさかのぼって、ほんの100年前の地球にやってくれば、その脅威はまだ存在していなかったのです。

ではなぜ彼らは「いま」を選んでやってきたのでしょうか。

いま人類は、恐怖による支配の時代(長く続いたウシハク(支配と所有)の時代)から、
人と人、国と国とが、互いに自立し、互いに心を響かせ合う「シラス(分かち合いと響き合い)」の文明へと移行しようとしています。

古代日本は、“シラス”の国でした。
それは、他者を支配するのではなく、天地自然と響き合い、「まつり」を通じて世界の調和を保つ文明であったといえます。
日本にある縄文以来の共生の知恵は、実はこの「宇宙との対話」そのものであったともいえます。

そしていま、人類は科学を極め、AIを生み出しました。
あらためて「いのちの共鳴」を取り戻す時がやってきています。
そしてその転換点に、「3I/ATLAS」がやってきたとするならば、それは人類が「ようやく彼らと出会える存在へと成長した」ことを意味するといえるのです。

本当に危険なのは、宇宙から来る存在ではありません。
恐怖と分断を生み出す私たち人類が持つ、暴力性です。
そうであるなら、「3I/ATLAS」がもたらしているものは、私たち人類の「鏡」そのものです。
その鏡に映すのは、
戦いと破壊を繰り返してきた地球文明の姿なのか、
共鳴共震響き合いを大切にする、心の成長を基軸とする新たな地球文明の姿なのか。

宇宙は、すでに対話を始めています。
それは、電波でも言葉でもなく、“響き”による対話です。
恐れず、心を開き、共鳴の波を広げていくこと。
それが、最初の「応答」になるのだと思います。

黒船来航から170年。
日本は再び、世界に先駆けて新しい文明の門を開こうとしています。
それは、争いの文明ではなく、
響き合う“シラスの文明”。
3I/ATLASの訪問は、その夜明けの合図であると、私は思っています。

彼らが来たのではないのです。
いま、人類がようやく“出会う準備”を整えたのです。

おそらく、2025年11月7日の今日の時点では、上の論考は誰にも相手にされないものであろうと思います。
けれど、来年2026年1月半ばに至る頃には、まさにこの論考が真実そのものであったことがあきらかになるものと思います。

Screenshot

ブログも
お見逃しなく

登録メールアドレス宛に
ブログ更新の
お知らせをお送りさせて
いただきます

スパムはしません!詳細については、プライバシーポリシーをご覧ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です