日本では、特定の宗教を信じていなくても、ごく自然にクリスマスが迎えられています。それは、単なる流行やイベントではなく、日本人の心のあり方そのものが、この日を受け取ってきたからなのかもしれません。

12月になると、日本の街は自然とやさしい光に包まれます。
イルミネーション、ケーキ、プレゼント。
それらはもはや、日本の冬の風景の一部になっています。

けれど、ふと考えると不思議です。
日本はキリスト教国ではありません。
教会に通う人が特別多いわけでもありません。
それでも、なぜ私たちはこれほど自然にクリスマスを迎えるのでしょうか。

それは、日本人がキリスト教の教義を受け入れたからではありません。
どうやら、もっと深いところで、日本人の心のあり方と、クリスマスの物語が重なり合っているように思えるのです。

実は、クリスマスが最初に日本に伝わったのは、16世紀半ば、室町時代のことでした。
しかしその後、江戸時代には完全に姿を消し、250年以上、日本の一般社会から消えていた時代があります。
つまり日本には、「クリスマスが伝統行事として連続して受け継がれた歴史」はありません。

それにもかかわらず、現代の日本では、クリスマスがごく自然な行事として根づいています。
この不思議な現象は、日本人がある特有のやり方でクリスマスを受け取ってきたことを示しています。
それは「信仰として」ではなく、「心の向きとして」受け取る、というやり方です。

なぜ日本人は、教会や教義ではなく、やさしさや気配を大切にする形で、クリスマスを自分たちのものにしてきたのでしょうか。
その背景には、日本文明が持ち続けてきた
「教典化しない文化」
「成文化しない文明」の特質があります。

この続きでは、
・クリスマスが日本で本格的に広がった時代背景
・デパートと家庭が果たした意外な役割
そして、
「弱い場所に光が灯る」という物語が、なぜ日本人の心にすっと入ったのかについて、歴史と文明の視点から、丁寧に掘り下げています。

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