「最後の決は我が任務」──この言葉は、日本の軍歌「歩兵の歌」に刻まれた一節です。歩兵とは、軍隊の中でいちばん下に置かれる存在かもしれません。しかし、その歩兵こそが、最前線で現実を引き受け、最後の判断を行う者だと、この歌はうたいます。
この一節には、武士道が大切にしてきた精神、そして日本社会の深いところに流れてきた「自立」の感覚が、はっきりと表れています。
この構図は、軍隊の話にとどまりません。私たちの仕事、組織の在り方、さらにはAIと共に生きる現代にも、そのまま重なっていきます。「最後の決は、誰が引き受けるのか」。その問いを手がかりに、日本人の原点を見つめ直してみたいと思います。

「歩兵の本領」という歌があります。「歩兵の歌」とも呼ばれる軍歌です。
この歌は、陸軍中央幼年学校(後の陸軍予科士官学校)第10期生であった加藤明勝が、在校中に作詞したものとされています。1911年(明治44年)に原詩が発表され、その後、曲が付けられて軍歌となりました。

この歌の中には、次のような歌詞があります。

一、
万朶(ばんだ)の桜か 襟の色
花は吉野に嵐吹く
大和男子(やまとおのこ)と生まれなば
散兵線の花と散れ

二、
尺余の銃(しゃくよのつつ)は武器ならず
寸余の剣(すんよのつるぎ)何かせん
知らずや 此処(ここ)に二千年
鍛え鍛えし大和魂(やまとだま)

(中略)

五、
敵地に一歩 我れ踏めば
軍の主兵は此処に在り
最後の決は我が任務
騎兵砲兵 協同せよ

今回、私がとくに取り上げたいのは、この中にある
「最後の決は我が任務」
という一節です。

実はこの言葉の中に、日本文化の根幹、そして武士道が大切にしてきた「根っこ」が、はっきりと表れています。

最下層にして、決を担う者

歩兵というのは、軍隊の階層で言えば、いわば最下層に位置する存在です。
(少し過激な言い方かもしれませんが、ご容赦ください。)

ところが、その最下層で、最前線に立ち、命を的にして戦っている歩兵こそが、
「最後の決」を行う者である
と、この歌はうたっています。

もしそうであるならば、その瞬間、どうなるでしょうか。

軍の上層部も、上官も、将校も、参謀本部も、
すべては、その「最後の決」を行う歩兵のために存在していた、
という構図が浮かび上がります。

歩兵は、軍隊の中では一番下の存在かもしれません。
しかし、最後の決を行うのは、将校でもなければ、大砲でも、飛行機でもありません。
最前線に立ち、現実と向き合っている歩兵なのです。

そして、日本の歩兵に「最後の決は我が任務」という心得がある限り、
日本の歩兵は、軍の最下層ではありません。

軍の上層部や上官とも、人として対等な存在となります。
なぜなら、たったひとりの歩兵の「決」を軸に考えれば、
軍のすべての組織も、すべての任務も、
そのたったひとりの歩兵のために存在していたことになるからです。

世界の軍隊との違い

ここに、世界の軍隊と日本軍との大きな違いがあります。

世界には、強制的に連行され、
気がついたら村の青年が兵隊にされ、
後ろから銃を突きつけられて、無理やり戦わされてきた歴史があります。

あるいは、強さを商売にする傭兵という存在もあります。

それに対して日本では、国内の徴兵検査において甲種合格を得た、
いわば当時のエリートが、軍人となりました。
そしてその多くは、自ら志願し、
「他の兄弟たちを護るために」と、
父母が涙をこらえて「しっかり頼む」と送り出した人々でした。

その期待と覚悟を一身に背負った者が、歩兵となったのです。

だからこそ、日本の歩兵は
「最後の決は我が任務」
と心得てきました。

日本古来の知恵

実は、この構図は、軍隊に限った話ではありません。
私たちの身近な職場や仕事の現場にも、そのまま当てはまります。

たとえば、工場で働く労働者です。
どれほど立派な経営理念が掲げられていようと、
どれほど精緻な設計図が引かれていようと、
最後に製品として世の中に送り出すのは、
現場で手を動かしている一人ひとりの労働者です。

営業の仕事も同じです。
会社の看板を背負い、取引先と向き合い、
最後に契約をまとめるのは、
末端に立つ一人の営業マン自身です。

その瞬間、
工場労働者も、営業マンも、
自分一人で「会社」を背負っています。

つまり、組織に属して働く人であれば誰もが、
無意識のうちに
「最後の決は我が任務」
を引き受けて仕事をしているのです。

ここには、日本古来の
「民衆こそが『おほみたから』である」
という考え方が、確かに息づいています。

国を支えるのは制度でも肩書きでもなく、
現場に立ち、現実を引き受ける一人ひとりの人間である。
この感覚は、日本社会の深いところに、ずっと流れ続けてきました。

AI時代に重なる構図

実はこの構図は、現代におけるAIと人間の関係にも、そのまま重なります。

AIには、膨大な情報を集める力があります。
解析し、整理し、言語化する能力も、驚くほど高いものがあります。

しかし、

・AIによって支配される、という考え方の中に、自立の思考はありません。
・AIの持つ情報力、解析力、言語化能力を用いるのは人間です。

そして、
最後の決は、利用者である人間にある。

この一点を意識している限り、
AIは人を支配する存在にはなり得ません。

むしろAIは、
どこまでも人に寄り添う味方であり、
補助者であり、支え手となります。

「最後の決は我が任務」

この日本の歩兵が持っていた心得こそが、
AIと共に生きる現代においても、
人が人であり続けるための、大切な原点なのではないでしょうか。

Screenshot

ブログも
お見逃しなく

登録メールアドレス宛に
ブログ更新の
お知らせをお送りさせて
いただきます

スパムはしません!詳細については、プライバシーポリシーをご覧ください。