燕(つばめ)の子安貝(こやすがい)は、実在しないと分かっていても、誰もが「あるはずだ」と信じてしまう幻の価値です。中納言石上麻呂(いそのかみのまろ)は、力でも金でもなく、知恵と観察と策略によって、それを手に入れようとしました。しかし、合理を積み重ねれば積み重ねるほど、彼は現実から遠ざかってしまいます。そして、最後に手にしていたのは宝ではなく、ただの糞でした。この章が描くのは、「騙された文明」ではありません。自ら信じ切った虚構によって、崩れていく文明の姿です。

「竹取物語」
第1章 生い立ち
第2章 よばひと五人の求婚者
第3章 仏の御石の鉢
第4章 蓬莱の玉の枝
第5章 火鼠(ひねずみ)の裘(かわごろも)
第6章 龍の首の玉
第7章 (つばめ)の子安貝
第8章 帝の懸想(けそう)
第9章 かぐや姫の昇天

「竹取物語」文明の設計図を読む 第七回 燕の子安貝(現代語訳)

中納言・石上麻呂(いそのかみのまろ)は、家に仕えている男たちに向かって、
「もし燕(つばめ)が巣を作っているのを見つけたら、知らせよ」と命じました。
男たちはそれを聞いて、
「何のためでしょうか」と尋ねました。
すると中納言は、
「燕が持っているという子安貝を取るためだ」と答えました。

男たちは言いました。
「燕を何羽も殺して腹を調べても、そんなものは入っていません。ただ、子を産む時にだけ取り出すものらしく、人が近くにいれば、すぐにどこかへ消えてしまうのです。」
また別の者が言いました。
「大炊寮(宮中の炊事を司る役所)の飯炊き小屋の棟の穴という穴には、燕が巣を作っています。そこに気の利いた男たちを置いて、梁の上にあぐらを組ませ、じっと見張らせれば、どこかの燕が子を産むのではないでしょうか。そうすれば取れるかもしれません。」

中納言はこれを聞いて大いに喜び、
「それは面白い考えだ。今まで思いつかなかった。実に興のある話だ」と言って、腕の立つ男二十人ほどを選び、穴の近くに登らせて見張らせました。

殿からは何度も使いが来て、「子安貝は取れたか」と尋ねさせますが、「人が大勢登っているのを燕が恐れて、巣に近寄りません」という返事ばかりでした。

中納言がこれを聞いて、
「どうしたものか」と悩んでいると、大炊寮の役人で、蔵津麿(くらつまろ)という老人が言いました。
「もし本気で子安貝を取ろうとなさるなら、策をお話ししましょう。」

蔵津麿が御前に参ると、中納言は額を合わせるほど身を寄せて聞きました。
蔵津麿は言いました。
「この燕の子安貝は、正面からでは取れません。二十人もの人が穴に登っていれば、燕は恐れて近づきません。ですから、穴を壊し、人をすべて退かせ、賢い男一人だけを荒籠(あらこ:簡素な籠)に乗せ、綱で吊り下げるのです。そして燕が子を産む瞬間に、綱を引き上げて、さっと子安貝を取るのがよいでしょう。」

中納言は、「それは実によい考えだ」と言い、穴を壊して、人をすべて帰らせました。
さらに中納言は蔵津麿に尋ねました。
「燕は、どのような時に子を産むのか。いつ人を吊り上げればよいのか。」
蔵津麿は答えました。
「燕は子を産む時、尾を高く上げて七度くるくると回ってから産み落とします。その七度回る瞬間に引き上げればよいでしょう。」

中納言はこれを大変喜び、誰にも知らせず、ひそかに大炊寮に通い、男たちに昼夜を分かたず見張らせました。
蔵津麿の知恵をたいそう喜び、「ここに仕えている者の中にも、これほど願いを叶えてくれる者はいない」と言って、衣を脱いで褒美として与え、「今夜もまた来なさい」と言って帰しました。

日が暮れてから再び寮に行って見ると、確かに燕が巣を作っています。
蔵津麿の言った通り、燕が尾を上げて回り始めたので、荒籠に人を乗せて引き上げさせ、巣に手を入れて探らせました。
ところが、「何もありません」と言います。

中納言は腹を立てて、「探し方が悪いからだ」と言い、「誰が信用できようか。私が自分で登って探す」と言って、自ら籠に乗り、引き上げられて巣を覗きました。
燕が尾を上げて激しく回るのに合わせて手を差し入れると、何かが手に触れました。
中納言は、「何かを握ったぞ。早く下ろせ。翁、やり遂げたぞ」と叫びました。

人々が慌てて綱を引いたところ、綱が切れ、そのまま釜の上に落ちてしまいました。
人々は驚いて駆け寄り、抱き起こしますが、中納言は気を失っています。

口に水を含ませると、ようやく息を吹き返しました。
再び釜の上から引き下ろし、「ご気分はいかがですか」と尋ねると、かすれた声で、「少しは意識があるが、腰が動かない。しかし子安貝をしっかり握っていると思うと、嬉しい。灯りを持って来い。その貝を見たい」と言いました。
髪を持ち上げ、手を開いてみると、そこにあったのは、燕が巣に溜めていた古い糞でした。

これを見て、「ああ、なんと愚かなことをしたのだ」と言いました。
ここから、「思い違いをしたこと」を「かひなし(甲斐なし)」と言うようになったのです。

子安貝ではないと分かったことで、気分もさらに悪くなり、腰は折れ、箱に入れて運ぶこともできませんでした。
中納言は、愚かな失敗を人に知られまいとしましたが、それがかえって病となり、次第に弱っていきました。
貝を取れなかったことよりも、人に笑われることが恥ずかしく、日を追うごとに苦しみ、ついには病死してしまいました。

このことを聞いたかぐや姫は、見舞いとして次の歌を送りました。

 年を経て 浪立ちよらぬ すみのえの まつかひなしと 聞くはまことか
(意味)年月が経っても波の立たない住之江の松のように、「甲斐なし」と聞くのは、本当のことですか。

これを聞いた中納言は、かろうじて頭を上げ、人に紙を持たせ、苦しい中で次の歌を書きました。

 かひはかく ありけるものを わびはてゝ 死ぬる命を すくひやはせぬ
(意味)貝はこのようなものだったのに、すっかり苦しみ果てて死ぬこの命を、救うことはできなかった。

そう書き終えると、そのまま息を引き取りました。
これを聞いて、かぐや姫は少しだけ哀れに思いました。それ以来、ほんのわずかでも嬉しいことがあった時には、「かひあり(甲斐がある)」と言うようになったのです。

【第七章 解説】燕の子安貝――虚構を信じきった文明が、自壊する瞬間

1 燕の子安貝とは何か

燕(つばめ)の子安貝(こやすがい)とは、燕が産んだとされる伝説の貝のことです。
想像の中で、安産の象徴である「子安貝」と繁殖力の高いツバメを結びつけたもので、実際には存在しません。
けれどこの物語において重要なのは、それが「実在するかどうか」ではありません。

燕の子安貝は、見た者も手に取った者もいないけれど、伝聞と噂だけが膨らんでいるものです。
これは、誰も確かめたことがない「語られ続けた価値」といえます。
つまりここで問われているのは、
「その価値は、実在するのか?」ではなく、
「人は、実在しないものを、どこまで信じ切れるのか?」という点です。

2 中納言石上麻呂の文明観

中納言石上麻呂は、前章までの人物とは決定的に違い、偽造はしません。買い取りもしません。力で奪おうともしていません。
彼が選んだのは、情報・観察・策略・知恵です。
つまり彼は、「知恵を尽くせば、世界の裏側にある真実に到達できる」という文明観に立っています。
これは、現代における技術文明や情報文明、さらには学術・研究至上主義にも通じる発想です。

しかし、決定的なズレがあります。
燕の子安貝は、存在するかどうかすら、分からないものです。
つまり、「取りに行く対象」ではありません。
にも関わらず、「ある」という前提で設計を組んだ瞬間に、すでに破綻しているのです。

3 「策を重ねるほど、現実から離れる」構造

この章の恐ろしさは、策がどんどん高度化していく点にあります。
 • 辺りの人を減らす
 • 燕の習性を分析する
 • 出産の瞬間を数で特定する
 • 秘密裏に実行する
これらは一見すると、極めて合理的で、知的です。
しかし、どれだけ工夫しても、「そこに子安貝が存在する証拠」は、一度も示されていません。

にもかかわらず、中納言は途中で引き返しません。
なぜかというと、ここで彼はすでに「子安貝を取る人」ではなく、
「子安貝を取れると信じた自分」を守る段階に入っているからです。

4 自ら登った瞬間、文明は崩壊する

象徴的なのは、中納言が最後に言うこの一言です。

「我、登りて探らん」

これは、単なる行動ではありません。
理性と判断を放棄し、物語の中へ飛び込んだ瞬間です。

結果は、綱が切れ、釜に落ち、腰骨を折り、命を縮めています。

ここで起きているのは「事故」ではなく、
 • 実在しない価値を信じ切った文明が、
 • 現実と衝突して、肉体ごと破壊された

という構図です。

5 手にしていたのは「糞」だったという残酷さ

もっとも冷酷で、日本的なのが、この結末です。
中納言が必死に握りしめていたものは、宝でも貝でも奇跡でもなく、
「燕の古い糞でした」

これは単なる笑い話ではありません。
崇高だと信じていた価値が、
現実の光の下では、ただの汚物だったという、辛辣な文明批評です。

けれどこの段階で、日本文化は「断罪」しません。
笑い、言葉にし、
「かひなし(甲斐なし)」
「かひあり(甲斐あり)」
という日常語に変換して、物語を終わらせています。

6 「死」よりも「恥」が致命傷になる文明

中納言が耐えられなかったこと。それは、怪我でも病でもありません。
 • 人に笑われること
 • 語られること
 • 物語になること
です。彼は、貝が取れなかったことよりも、人の口に上ることを恐れ、それが心を蝕み、命を奪われています。

ここに、日本文化特有の、
「死よりも、在り方を失うことの方が重い」という感覚が、
明確に表されています。

7 かぐや姫は、やはり何もしていない

この章でも、かぐや姫は一切、何もしていません。
彼女はただ、「それを取ってきてください」と言っただけです。

壊れたのは、男の欲望であり、男の論理であり、男の確信です。
つまり、男の文明そのものです。

8 第七章が描く核心

この章が突きつけている核心は、非常に鋭いものです。
 • 存在しない価値を
 • 知恵と努力で現実化できると信じたとき
 • 人は、もっとも深く壊れる

ということです。

だから竹取物語は、こう告げているのです。
「それは、騙されたのではない。自分で信じきったのだ」。

第六章が「力の文明」の破綻なら、
第七章は「知の文明」「合理の文明」の自壊です。

次はいよいよ、
最後にして最も残酷な「蓬莱の玉の枝」へ向かう直前の総決算になります。

【原文】
中納言石上麻呂(いそがみのまろ)は、家につかはるゝ男どもの許に、「燕(つばくらめ)の巣くひたらば告げよ。」との給ふを、うけたまはりて、「何の料にかあらん。」と申す。答へての給ふやう、「燕のもたる子安貝とらん料なり」との給ふ。男ども答へて申す、「燕を数多殺して見るにだにも、腹になきものなり。たゞし子産む時なんいかでかいだすらん、はら\/と人だに見れば失せぬ」と申す。又人のまをすやう、「大炊寮(おほゐづかさ)の飯炊ぐ屋の棟のつくの穴毎に燕は巣くひ侍り。それにまめならん男どもをゐてまかりて、あぐらをゆひて上げて窺はせんに、そこらの燕子うまざらんやは。さてこそとらしめ給はめ」と申す。中納言喜び給ひて、「をかしき事にもあるかな。もともえ知らざりけり。興あること申したり」との給ひて、まめなる男ども二十人ばかり遣して、あなゝひに上げすゑられたり。殿より使ひまなく給はせて、「子安貝とりたるか」と問はせ給ふ。「燕も人の数多のぼり居たるにおぢて、巣にのぼりこず」かゝるよしの御返事を申しければ、聞き給ひて、「いかゞすべき」と思しめし煩ふに、かの寮の官人(くわんじん)くらつ麿と申す翁申すやう、「子安貝とらんと思しめさば、たばかり申さん」とて、御前に参りたれば、中納言額を合せてむかひ給へり。くらつ麿が申すやう、「この燕の子安貝は、悪しくたばかりてとらせ給ふなり。さてはえとらせ給はじ。あなゝひにおどろ\/しく、二十人の人ののぼりて侍れば、あれて寄りまうで来ずなん。せさせ給ふべきやうは、このあななひを毀ちて、人皆退きて、まめならん人一人を荒籠(あらこ)に載せすゑて、綱をかまへて、鳥の子産まん間に綱を釣りあげさせて、ふと子安貝をとらせ給はんなんよかるべき」と申す。中納言の給ふやう、「いとよきことなり」とて、あなゝひを毀ちて、人皆帰りまうできぬ。中納言くらつ麿にの給はく、「燕はいかなる時にか子を産むと知りて、人をばあぐべき。」とのたまふ。くらつ麿申すやう、「燕は子うまんとする時は、尾をさゝげて七度廻りてなん産み落すめる。さて七度廻らんをりひき上げて、そのをり子安貝はとらせ給へ」と申す。中納言喜び給ひて、萬の人にも知らせ給はで、みそかに寮にいまして、男どもの中に交りて、夜を昼になしてとらしめ給ふ。くらつ麿かく申すを、いといたく喜び給ひての給ふ、「こゝに使はるゝ人にもなきに、願をかなふることの嬉しさ」と宣ひて、御衣(おんぞ)ぬぎてかづけ給ひつ。更に「夜さりこの寮にまうでこ」とのたまひて遣しつ。日暮れぬれば、かの寮におはして見給ふに、誠に燕巣作れり。くらつ麿申すやうに、尾をさゝげて廻るに、荒籠に人を載せて釣りあげさせて、燕の巣に手をさし入れさせて探るに、「物もなし」と申すに、中納言「悪しく探ればなきなり」と腹だちて、「誰ばかりおぼえんに。」とて、「我のぼりて探らん」とのたまひて、籠にのりてつられ登りて窺ひ給へるに、燕尾をさゝげていたく廻るに合せて、手を捧げて探り給ふに、手にひらめるものさはる時に、「われ物握りたり。今はおろしてよ。翁しえたり」との給ひて、集りて「疾くおろさん」とて、綱をひきすぐして、綱絶ゆる、即やしまの鼎の上にのけざまに落ち給へり。人々あさましがりて、寄りて抱へ奉れり。御目はしらめにてふし給へり。人々御(み)口に水を掬ひ入れ奉る。辛うじて息いで給へるに、また鼎の上より、手とり足とりしてさげおろし奉る。辛うじて「御(み)心地はいかゞおぼさるゝ。」と問へば、息の下にて、「ものは少し覚ゆれど腰なん動かれぬ。されど子安貝をふと握りもたれば嬉しく覚ゆるなり。まづ脂燭さしてこ。この貝顔(かひがほ)みん」と、御ぐしもたげて御手をひろげ給へるに、燕のまりおける古糞を握り給へるなりけり。それを見給ひて、「あなかひなのわざや」との給ひけるよりぞ、思ふに違ふことをば、かひなしとはいひける。「かひにもあらず」と見給ひけるに、御こゝちも違ひて、唐櫃の蓋に入れられ給ふべくもあらず、御腰は折れにけり。中納言はいはけたるわざして、病むことを人に聞かせじとし給ひけれど、それを病にていと弱くなり給ひにけり。 貝をえとらずなりにけるよりも、人の聞き笑はんことを、日にそへて思ひ給ひければ、たゞに病み死ぬるよりも、人ぎき恥(はづか)しく覚え給ふなりけり。これをかぐや姫聞きてとぶらひにやる歌、

 年を経て 浪立ちよらぬ すみのえの まつかひなしと 聞くはまことか

とあるをよみて聞かす。いと弱き心地に頭もたげて、人に紙もたせて、苦しき心地に辛うじてかき給ふ。

 かひはかく ありけるものを わびはてゝ 死ぬる命を すくひやはせぬ

と書きはてゝ絶え入り給ひぬ。これを聞きて、かぐや姫少し哀(あはれ)とおぼしけり。それよりなん少し嬉しきことをば、かひありとはいひける。

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