「行きはよいよい、帰りは怖い」。子どもの頃から耳にしてきたこの歌に、どこか不思議さを感じたことはないでしょうか。私たちは、どう入るか、どう勝つか、どう突破するかは教えられてきました。けれど、「どう去るか」を教わることはほとんどありません。通りゃんせの歌に込められた意味を手がかりに、現代社会に欠けている「出口設計(EXIT Design)」という視点から、人と社会が壊れないための在り方を考えます。

童謡「とおりゃんせ」の三芳野神社 埼玉県川越市
私たちは、「帰り方」を教わらないまま生きているのかもしれません。
横断歩道の歩行者用信号が青になると、あの音楽が流れます。
「通りゃんせ」です。
♪ 通りゃんせ、通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちっと通してくだしゃんせ
御用のない者 通しゃせぬ
そして最後に、こう歌われます。
♪ 行きはよいよい、帰りは怖い
怖いながらも 通りゃんせ 通りゃんせ
さて、この歌詞、不思議だと思いませんか。
「行きはよいよい」はわかるとしても、
どうして「帰りは怖い」のでしょう?
このことについて、古来、いくつかの解釈があります。
代表的なものを3つあげると、以下になります。
(1) 参拝説
七五三などで子どもが天神様にお参りする際の歌だという説です。
神様の御領域に入るときは守られているけれど、そこから出るときには何が起こるかわからない。
だから「帰りは怖い」。
けれどこの説ですと、「御用のない者 通しゃせぬ」の説明がつきません。
(2) 関所説
関所の歌だという説で、通るときには許しを得て通れるけれど、戻るときにはその保証はない。
だから「帰りは怖い」。
しかし関所は通行手形(いまでいうパスポート)を持っていれば、まったく怖いところではありません。
ちなみに江戸時代は、現代で言うところの「日本国内」に260の「国」がありました。
当時の「国」を「藩」と呼ぶようになったのは、明治の廃藩置県以降のことで、江戸時代には全国諸国は、それぞれ独立した行政単位である「国」であったのです。だから旅券としての通行手形が必要だったのですね。
(3) 参道説
神社の参拝の道が参道です。
天神様へ向かう道ですから、もちろんそれは「参道」です。
参道とは神へ向かう道のことです。
同時にそれは、「産道」とも読めたりします。
昔の日本では、
人の本体は霊(ひ)、体はその乗り物と考えられていました。
そうなるとこの(3)の場合、
この世に生まれてきた者には、使命(御用)がある。
だから、あの世からこの世へと生まれてくるときには、「御用のない者 通しゃせぬ」となります。
つまり、「行き」は、この世に生まれてくること。
昔の出産は、母体にも子供にもかなりのリスクがあったし、
使命や役割を持って生まれてくるのだから、
「行き(生き)はよいよい」となります。
そうなると「帰り」は、この世を去ることという意味になります。
死んで向こうの世界に帰ることは、誰だって怖いものです。
だから「帰りはこわい」。
そして、どんなに怖くても、人は生まれて死ななければならないから、
しっかりと御用を勤め上げて、参道(産道)を、
「怖いながらも 通りゃんせ」。
おもしろいもので、この構造は現代社会にも、そのまま当てはまります。
社会の中にあって、生まれは何かに「入る」ことであります。
受験、就職、コミュへの参加、問題解決など、
入口は、けっして容易ではありません。
ですから、入口対策は、受験予備校、就職支援、問題解決の技法など、さまざまなものが提唱されています。
ところが不思議なことに、入口をくぐったあとの、出口の設計は、ほとんど語られません。
卒業までに何を為すか、仕事を通じて何を得るか、コミュを抜けるときにはどうするか。
あるいは問題解決にしても、おうおうにして、問題の解決を急ぐほど、あるいは解決したけれど、人間関係にこじれが生じることがよくあります。
また近年では、SNS等での炎上があります。
炎上し、不評が広がれば、簡単には元に戻れません。
会社や人間関係も、一度こじれれば、きれいに離れることは難しい。
契約や制度も、実は、入るときより出るときの方がはるかに複雑なのです。
その意味で、現代社会もまた、
「行きはよいよい、帰りは怖い」といえます。
実はここに問題があります。
現代社会の私たちは「入ること」ばかりを教えられてきました。
どう入るか、どう勝つか、どう突破するか・・・。
しかし、「どう去るか」は、誰も教えてくれません。
昔の人は、この「どう去るか」のことを、「落としどころ」と呼んで大事にしてきました。
「落としどころ」という用語は、現代用語では「ひとつの解決案」として用いられますが、もともとの意味は「問題解決後の関係性の調和」を意味した言葉です。
つまり「落としどころ」というのは、事前に、問題解決後の出口を設計(EXIT Design)しておくことで、それは、人や関係や社会が壊れてしまわないように、あらかじめ「帰り道」を設計しておくという姿勢だったのです。
この「出口設計(EXIT Design)」を持つ持たないで、
問題解決後の関係性は、180度違うものになります。
出口が設計されていない世界では、人は常に結末に怯え続けなければならないからです。
まさに、「帰りはこわい」のです。
たとえば現代社会では、犯罪者は逮捕され、裁判を受けて、法に基づく処罰を受けます。
けれど被告人が懲役◯年の刑に処せられても、そのことで被告人の家族も、被害者の家族も救われることはありません。
現代は「隣は何をする人ぞ」という時代ですから、それでも良いのかもしれませんが、
これが江戸の昔ですと、そうはいきません。
下手人の家族も、被害者の家族も、同じ村でこれからも幾世代にわたって暮らしていくのです。
村の暮らしは、田植えや稲刈り、水田に水を引く利水、村祭り、茅葺屋根の葺き替え、冬の雪おろしなど、村中が総出で協力しあっていかなければならないものでした。
それが、加害者側、被害者側の対立構造が生まれ、
互いに、
「あの家は何百年前に我が家にひどいことをしやがった」
「あっちの家は、何百年も昔のことをいつまでもぐずぐず言う家だ」
といがみ合えば、それは村落内の共同体を破壊し、その破壊は、村の米の出来高や、災害などの非常時の対応を遅らせ、挙句は逃散など、とりかえしのつかない事態を及ぼすことになるのです。
ですから、民事であれ刑事であれ、村落内で揉め事が起これば、お奉行や代官は、単に眼の前の問題を解決するだけでなく、その後の村内の関係性の再構築にまで心を配らなければならなかったのです。
江戸の昔には、刑罰として遠島や百叩き、死罪などがありましたが、それら刑罰は、現代の刑事裁判のように、法に照らして判決したわけではありません。
加害者被害者両家の関係性を維持するために、
しばらく下手人を村から引き離しておく必要があるときに遠島。
処罰することで、両家の関係性を維持できるときには、死罪や百叩きが用いられたのです。
それらは、いわば、
完全に断ち切るのではなく、距離を取る。
排除するのではなく、関係を保つ。
終わらせるのではなく、戻る道を残しておく。
という発想であり、このことが、社会の中に自然に組み込まれていたのです。
つまり江戸の社会は、
「問題を解決する社会」ではなく、
「関係を壊さない社会」だったのです。
一方、現代は、断罪し、切り捨て、戻る道を閉ざします。
一度レッテルを貼られれば、それが固定されます。
そのような社会は、入り口でいくら歓迎されても、出口が常に息苦しいものになります。
なぜなら、誰もが本能的に、出口を「怖い」と思ってしまうからです。
「帰りは怖い」のです。
だからこの歌は、ただの童歌ではありません。
人が生まれ、そして死ぬことの意味を、
たった一行で言い切っている歌なのです。
通りゃんせの歌は、そのことを静かに伝えています。
♪ 行きはよいよい。帰りは怖い。
だからこそ私たちは、「帰り」を恐れながら生きるのではなく、
帰れる社会を、自ら設計しなければならないのです。
それが、「EXIT Design」という考え方です。


