迷ったとき、人は何を基準に選んでいるのでしょうか。正しさや損得を追いかけるほど、かえって道が見えなくなることがあります。本当に大切なのは、「どう在りたいのか」という姿勢です。本稿では、日々の選択と明治維新の一場面を重ねながら、その本質を見つめていきます。

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日々の中で、迷うことは誰にでもあります。
どれが正しいのか、どれが得なのか、どれを選べば失敗しないのか。そんなふうに考え始めると、かえってわからなくなってしまうことも少なくありません。

けれど、迷いが生まれたときこそ、実はとても大切な瞬間です。
なぜならそのとき、人は取り繕う余裕を失い、その人本来の姿勢が自然と表れてくるからです。

多くの場合、私たちは「うまくやること」を先に考えてしまいます。
しかし、本当に大切なのは、その前に「自分はどう在りたいのか」に立ち返ることです。

どんな選択が得かではなく、どんな在り方でその道を歩みたいのか。
そこが定まると、不思議と選ぶ道も自然に整っていきます。

遠回りに見える道であっても、自分の在り方に沿った選択であれば、その道は決して無駄にはなりません。むしろ、関係性や出来事が穏やかにまとまり、結果として最も良い形へとつながっていくことが多いものです。

迷いは、悪いものではありません。
それは、「在り方に立ち返るための入り口」でもあります。

もし迷いを感じたときは、無理に答えを探そうとするのではなく、ほんの少し立ち止まってみてください。
その静かな問いかけの中に、次の一歩がすでに用意されています。

そしてこうした「迷いの中で現れる姿勢」は、個人だけの話ではありません。
国のかたちが変わるときにも、まったく同じことが起こります。

明治新政府ができたとき、徳川政権から明治新政府政権となったことを隣国である李氏朝鮮に知らせに行く使者を立てる必要が生まれました。
当時の明治新政府は、とにかく超貧乏。そこで西洋の流儀に倣って、数名の外交員を挨拶のための使節として送りました。

ところが、江戸幕府誕生以来、徳川将軍が交替する度に朝鮮から日本に送られていた祝賀の使者(朝鮮通信使)は、出発時点でおよそ3千人の供を揃え、日本に上陸して九州から江戸までの随行員も600名を越える仰々しい団体使節団でした。
人数は敬意の象徴でもあります。朝鮮側がそれだけ日本に対しての気遣いを見せていたのに(もっとも使節団の旅にかかる何百両もの費用は全額徳川幕府持ちでしたが)、明治新政府は数名の使者で済まそうとしたわけです。

李氏朝鮮は儒教国です。儒教国はメンツにこだわります。
李氏朝鮮からみたら、明治新政府に「軽んじられた」と見えるわけです。
李氏朝鮮王は、明治新政府の使節に会おうともせず、それどころか使節は担当官から罵倒されました。

ここで、日本という国の「姿勢」が問われることになります。

これを知った西郷隆盛は怒りました。
西洋の流儀はどうあれ、日韓には日韓の礼儀がある。
そこで著されたのが「征韓論」です。
「征韓論」は、朝鮮と戦争をする論ではありません。
「征」と言う字は、行くを表す「行人偏」に正しいと書きます。
すなわち、「韓国に対して正しきを行う」。
それなりの陣容を整えて、外交に当たるべきだという理論です。

ちょうど戊辰戦争のあと、生活に困窮する武士たちも多かった。
陣容を整えて使節を送ることは、一時的にせよ、武士たちに職を与えることにもなります。
西郷隆盛は、参議としてこれを堂々と主張。
板垣退助の手伝いも相俟って、明治新政府はあらためて大陣容による使節を送ることを決定します。
西郷隆盛は、このときおおいによろこんだと伝えられます。

ところがちょうどそのあと、欧州視察から帰ってきた岩倉具視が、「西洋では少人数で足りる」と、この決定をくつがえしてしまいます。
西郷はこれに抗議して、下野しました。
西郷を知る武士たちは、おカネがない明治新政府といいながら、巨額のお金を使いまくって欧州で豪遊してきた岩倉具視らが、自分たちの贅沢にはおカネを遣い、国の大事におカネをケチることをどうしても許せない。
武士たちは薩摩の城山で、西郷を担いで蜂起しました。
こうしてはじまったのが西南戦争です。

戦争という用語は、外国と行うときに使う用語です。
内戦なら、西南の役とか、西南の乱といった用語が普通です。
けれど、どうして西南「戦争」と呼ばれているのか。
その理由は、西郷らの決起という思わぬ抵抗に怒った岩倉らが、西郷たちを大日本帝国の一員ではなく、他国として切り離したことによります。
国のためにと戦い、決起した武士たちの、このときの悔しさは察して余りあります。

西郷側の武士たちは強く、ついに熊本まで進出。
この戦いで、両軍で撃ち合う弾丸が、空中で正面衝突して、双方の弾丸が溶け合って落下したものが、多数発見されています。どれだけ凄まじい戦いであったかということです。

いま、西郷隆盛たちは、靖国神社には祀られていません。
靖国神社は、国のために戦った者たちを祀る場所だからです。
西郷隆盛は、戊辰戦争の幕府側の死者と同じ、いわば外国人という扱いなのです。

西郷は、銃弾に倒れたと伝えられます。
事件から150年。
「不条理には命をもって戦う」
西郷が命がけで示した国の「在り方」は、いまあらためて日本人の魂を目覚めさせようとしています。

人の世は、迷いの連続です。
そんな迷いの中で問われるのは、何を選ぶかではなく、どう在るか。

――その問いから、すべては始まるのかもしれません。

そのときの姿勢こそが、人の道を、そして国のかたちをつくっていくのだと思います。

今日も良い一日を♪

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