人は、見られているときには、ある程度ちゃんとするものです。けれど、本当の意味での「姿勢」は、誰にも見られていないときに現れます。
昔の日本人は、「天知る、地知る、我知る」を大切にし、自分自身の生き方を整えようとしてきました。その積み重ねは、やがて個人だけでなく、集団や国家そのものの空気にもなっていきます。
今日は、「姿勢は、見られていないときに決まる」というお話です。

_
姿勢は、見られていないときに決まる
人は、誰かに見られているときには、ある程度ちゃんとします。
挨拶をし、言葉を選び、姿勢を正し、約束を守ろうとします。
けれど、本当の意味でその人の「姿勢」が現れるのは、誰にも見られていないときです。
たとえば、
誰もいない場所で、靴をそろえる。
使ったものを元に戻す。
人の悪口を、陰で言うか言わないか。
誰も評価してくれなくても、やるべきことを整える。
そういうところに、その人の「生き方」が出ます。
逆に言えば、人は「見せようとしている姿」よりも、
「無意識にしていること」の中に、本当の姿が現れるのかもしれません。
だから昔の日本人は、「人目」よりも、「天知る、地知る、我知る」を大切にしました。
誰かに監視されているから。
褒められるから。
得をするから。
そういうことではなく、
自分自身が、自分の生き方を知っている。
だから、自らを整えようとしてきたのです。
武士道の本質も、実はそこにあります。
ただ戦場で強ければ良いということではない。
むしろ、力まかせに突っ込むだけの者は、「猪武者(いのししむしゃ)」として軽蔑されました。
誰も見ていないところで、どれだけ自分を律することができるか。
そこに、人としての品格が宿ると考えられていたのです。
武家の娘も同じでした。
江戸の銭湯では、湯につかっている姿を見れば、武家の娘か町人の娘かがわかったといいます。
それは着物や持ち物ではありません。
日頃からの立ち居振る舞いが、そのまま身体に現れていたのです。
そして、おもしろいことに、
そうした日々の積み重ねは、やがて個人だけでなく、
集団や国家そのものの空気になっていきます。
言葉にしなくても、安心感が生まれる。
信頼が生まれる。
「この人は大丈夫だ」
「この団体は安心できる」
「この国は信頼できる」
そんな空気が、自然と育っていくのです。
姿勢とは、
人に見せるための技術ではなく、
生き方そのものなのかもしれません。
今日も良い一日を♪
_
■新刊 大好評予約受付中
これが私の集大成本です。
『思想の時代は終わった』
https://amzn.to/3P5D0lS

_



