人はつい、「もっと知らなければ」「新しい答えを得なければ」と考えてしまいます。けれど本当の気づきとは、外から与えられるものではなく、すでに自分の中にあったものに光が当たることなのかもしれません。世界的数学者・岡潔先生の言葉を手がかりに、「学び」と「日本人の魂」について考えてみました。

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人は、「何かを知らなければならない」「もっと新しい答えを手に入れなければならない」と思いがちです。

けれど、本当に大切な気づきというものは、外から与えられるものではなく、実はすでに自分の中にあるものに、ふと光が当たる瞬間なのかもしれません。

昔から大切だと感じていたこと。
どこかで違和感を覚えていたこと。
本当は、こう生きたいと思っていたこと。

それらは最初から心の奥にあったのに、忙しさや不安、周囲の価値観の中で、見えなくなっていただけなのだと思います。

そうであれば、気づきとは、「新しい何かを付け足すこと」ではなく、「思い出すこと」に近い。

そして不思議なことに、人は気づいた瞬間から、少しずつ整い始めます。

無理に変わろうとしなくてもいい。
誰かになろうとしなくてもいい。

ただ、自分の中にすでにあった光に、もう一度気づいていけばいい。

学びも本来、そのためにあるものなのかもしれません。

日本が生んだ世界的数学者、岡潔先生は、晩年の随筆『春宵十話』の中で、こんなことを書かれています。

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日本はいま、子供や青年たちに
「自分」ということを早く教えようとしすぎている。

こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、
幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。

自分がでしゃばってくると、
本当にわかるということと、
わからないということがごちゃごちゃになってくる。

そして、自分に不利なことや未知なことを、
すぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。

これは自己保身のためなのだが、
本人はそうとは気づかない。

こういう少年少女をつくったらこの国はおしまいだ。

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さらに岡先生は、こうも書かれています。

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善悪の区別もつかなくなってきた。

日本で善といえば、見返りも報酬もないもので、
少しも打算を伴わないことである。

何事もなかったかのように何かをすること、
それがおこなえればそれが善なのだ。

人を大事にしないと、
人とのつながりに疑心暗鬼になっていく。

人と人のつながりなど、
最初につながりがあると思ったら、
そのままどこまでも進むべきなのだ。
どこかで疑ったらおしまいなのである。

 ***

そして戦後の日本について、岡先生はこんな言葉も遺されています。

 ***

太平洋戦争が始まったとき、
私は日本は滅びると思った

ところが戦争がすんでみると、
負けたけれども国は滅びなかった。

そのかわり、死なばもろともと思っていた日本人が
我先にと競争をするようになった。

私にはこれがどうしても見ていられない。

国の歴史の緒が切れると、
そこに貫かれていた輝く玉たちもばらばらになる。
それがなんとしても惜しいのだ。

 ***

学びとは、
何かを詰め込むことではなく、
自分の中に眠っていたものを、呼び覚ましていくこと。

気づきとは、
すでに持っているものに光を当てること。

意外と日本人の魂には、深いものがあります。

そしてその深いものが、
いま再び、静かに出てこようとしているのかもしれません。

こうして文章を書いていると、ときどき不思議に思うことがあります。

人は、「教わった」と思っているときでも、
本当は、自分の中にあったものを、思い出しているだけなのかもしれない。

読むということも、新しい何かを得ているようでいて、
実は、自分のなかに眠っていたものが、
呼び覚まされているということなのかもしれません。

今日も、良い一日を♪

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