出口が見えない――そんな経験は誰にでもあります。けれど、『古事記』の海幸山幸の神話は、目の前の問題ばかりを見つめるのではなく、少し先の未来へ視線を向けることの大切さを教えてくれます。「最後にどんな笑顔を残したいか」。その問いこそが、今日選ぶべき一歩を照らす道しるべになるのかもしれません。今回は、『古事記』の神話を通して、「出口設計」という視点から人生の歩み方を考えてみます。

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出口が見えないときほど、最後にどんな笑顔を残したいかを考える。
人は生きていれば、必ず先が見えない不安にかられるときがあります。
仕事が思うように進まない、人間関係に悩む、病気や失敗に直面するといった出来事があると、もうほんとうに「どうしたらいいのだろう」と、目の前ばかりを見てしまいがちになります。
『古事記』で有名な海幸山幸の物語でも同じです。
海幸彦の釣針を失くしてしまった山幸彦は、どんなに謝罪しても、どんなに賠償しようとしても、すべて兄の海幸彦に拒絶され、もうどうしていいかわからなくなり、まさに目の前の情況に、もはや海辺でさめざめと泣くくらいしかできない状態にまで至っていました。
皆様よくご存知のお話です。
思い出して下さい。
このとき山幸彦に、出口はありません。
まさに八方塞がりの状況でした。
そこに塩土の翁がやってきます。
塩土の翁は、神様です。
つまり、凹んでいる山幸彦の前に、神様がやってこられたのです。
で、「これ、山幸殿、どうなされたのじゃ?」と聞いてくれたわけです。
こうなれば誰だって、
「ヾ(≧∇≦*)/やったー
神様が助けてくだるぅ〜♡♪」
ってなります。
山幸彦もそうでした。
だから、事情を懸命に神様に話しました。
では、それをお聞きになられた塩土神は、どうされたのでしょう?
これまた皆様御存知の通りです。
「そうか、わかった。
では、ワシがザルを作ってやるからの、
お主は、それに乗って、海の向こうへ行くのじゃ!」
このあとの展開は、はしょりますが、もしかすると『古事記』はここで、
「いま見えている景色の中だけを見ていては、出口は見つからない」と教えてくれているのかもしれません。
実際、山幸彦は、このあと海の神様のところへと流れ着き、そこで稀代の美女の豊玉毘売様と出会って結婚し、さらに海の神様から、潮満珠と、塩干珠をもらって、国元に帰り、兄を散々に懲らしめています。
この神話が、いつの時代の物語なのかはわかりません。
二千年前の出来事かもしれないし、数千年前の物語かもしれない。もしかしたら数万年前の出来事かもしれません。
けれど、この物語がそうして何千年もの間語り継がれてきたのは、どうしようもなくなったときほど、いま目の前ではなく、少し先の未来へ視線を向けることの大切さを伝えているからではないでしょうか。
その少し先の未来にあるものは何か。
それは、自分自身に向ける問いです。
「最後に、どんな笑顔を残したいだろう。」
家族が笑っていてほしい。
仲間と喜び合いたい。
「あのとき頑張ってよかった」と、自分自身が微笑んでいたい。
こうして見えてくる「未来の笑顔」こそ、
もしかしたら塩土の神が私たちに授けてくださる「導き」なのかもしれません。
そして「未来の笑顔」を思い描いたとき、
不思議なことに、人には、いま選ぶべき一歩が少しずつ見えてくるのです。
出口設計(Exit Design)とは、未来を予言することではありません。
最後に残したい姿を思い描き、その未来にふさわしい今日を選ぶことです。
出口が見えないから立ち止まるのではなく、最後の笑顔を思い描くから、一歩を踏み出せる。
未来は、目の前の不安によって決まるのではありません。
心に描いた最後の笑顔が、
今日という一日を選び、
その積み重ねが未来を形づくっていくのだと思います。
——今日も良い一日を♪
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