百人一首は、千年前の「正解」を覚えるためのものではありません。その歌を詠んだ人は、何を見て、何を感じ、どのような世界の中に立っていたのか。ほんの少し自分の観測点を動かして、その景色に立ってみると、三十一文字の向こうにまったく違う世界が見えてきます。
隔週で始める百人一首特集。第一回は、天智天皇の「秋の田の」です。

今日のひとこと・百人一首は「答え」ではない。天智天皇の歌から、千年前の観測点に立ってみる。

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百人一首は「答え」ではない。天智天皇の歌から、千年前の観測点に立ってみる。

今日から隔週で、百人一首を一首ずつ取り上げてみたいと思います。
このシリーズでやってみたいのは、「この歌の意味はこれです」と正解を覚えることではありません。

千年前の人は、何を見ていたのだろうか。
どんな景色の中に立っていたのだろうか。
そして、その景色をどのような心で受け止めていたのだろうか。
といった「問い」です。

そのために、ほんの少し、いま自分のいる場所から離れて、昔の人の「観測点」に立ってみたい。
そこから百人一首を読んでみたいと思います。

第一回は、もちろん一番歌・天智天皇です。

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
わが衣手は 露にぬれつつ

一般には、「秋の田のほとりにある仮小屋は、屋根を覆う苫の目が粗いので、私の袖が露に濡れてしまうよ」のように訳されます。
もちろん、それはそれで言葉の意味はわかります。
けれど、それだけで終わってしまうと、少しもったいない。
なぜ藤原定家は、数ある和歌の中からこの歌を選び、しかも百人一首の一番最初に置いたのか、と考えてみたいのです。

そこで今日は、この歌を「意味」ではなく、歌の中に広がる景色から眺めてみましょう。

秋の田に立ってみると、まず見えてくるのは、「秋の田」です。
稲刈りの季節です。
そこには、黄金色だった田んぼが、稲を刈り取られて坊主頭になり、積まれた藁(稲むら)が、いくつか残っています。
たくさんあった藁は、稲むらで乾いたものから順に、田んぼのそばにある小さな庵に運び込まれたのでしょう。
もう秋も終わり。
朝夕には、空気が冷え始めています。

「かりほ」という音には、「仮庵」と「刈り穂」が重なって聞こえます。
そして「苫」は、藁や茅などを編んで作ったものです。

ここで少し想像してみます。
稲は、お米だけをいただいて終わりではありません。
刈り取ったあとの藁も、縄になり、履物になり、敷物になり、さまざまな生活道具になります。

つまり、この歌の向こうには、
田を耕し、稲を育て、刈り取り、そして収穫したものを最後まで大切に使って暮らす人々の生活
が広がっています。

ところが、その景色の中においでになるのは、百人一首では天智天皇です。
歌には、
「わが衣手は 露にぬれつつ」
とあります。

ここがおもしろいところです。
遠くから農作業を眺めているだけなら、衣の袖は濡れません。
立派な御殿の中から、「民よ、しっかり働きなさい」と命じている姿でもありません。
この歌から浮かんでくるのは、むしろ田の近くにいて、冷たい露を自分の衣に受けている人物の姿です。

では、ここで「これは何をしていた場面なのだろう」と想像を広げてみます。
苫を編んでいたのかもしれない。
農作業を手伝っていたのかもしれない。
あるいは田を守る人々の苦労を、自ら体験していたのかもしれない。

史実として、どの場面だったのかを断定することはできません。
大切なことは、
この歌を天智天皇の歌として読んできた昔の人たちの目には、どのような姿が映ったのだろうか
という視点です。
そこに、上に立つ人も、民の暮らしから離れてはいない。
そんな姿を見た人もいたのではないでしょうか。

天智天皇は、御即位前には中大兄皇子と呼ばれ、大化改新の中心人物となりました。
そしてこの時代、日本は大きく国のかたちを整えていきました。

とりわけ「公地公民」という考え方は、古代における大革命といえます。
豪族たちが土地や民を私有するのではなく、国全体をひとつの公的な秩序の中に置かれたのです。
もちろん七世紀の制度を、そのまま現代の◯◯主義と同じものとして見ることはできません。

けれど、ここで観測点を動かしてみると、おもしろいものが見えてきます。
それは、「偉い人」とは何か、という問いです。

たくさんの人を従わせる人でしょうか。
自分だけ暖かい場所にいて、他の人に働かせる人でしょうか。

それとも、
みんなが寒いなら、自分も寒いところに立つ。
みんなが働いているなら、自分もそこにいる。

そういう人でしょうか。

「秋の田の」の歌を、そのような観測点から眺めると、
日本人が古くから大切にしてきたリーダーの姿勢のひとつが、
「上に立つ者から率先して働く」ということだったのではないでしょうか。

さらに視点を現代に戻してみます。
1400年近くも経過した現代でも、今上陛下は皇居内の水田で稲を育てておいでになります。
この皇居での稲作は昭和天皇がお始めになり、上皇陛下を経て、今上陛下へと受け継がれています。
春には種籾をお手まきになり、初夏にはお田植えをされ、秋にはお稲刈りをされます。
そしてその稲は、神嘗祭や新嘗祭にもお供えされています。

私は、2015年に刊行した『ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」』で、この歌を、天智天皇が自ら農作業に携わられた姿を詠んだ歌として読み解きました。
これは従来の解釈とは一線を画すものでした。

当時、私が挑戦したかったのは、その解釈そのもの以上に、ひとつの解釈だけを「正解」として固定し、それ以外を排除してしまう読み方でした。

ただ、ここでも大切なことは、歌の解釈に、新しい正解を作ることではありません。
それでは、せっかく観測点を動かしたのに、また別のひとつの観測面に固定されてしまいます。

歌には、たった三十一文字しかありません。
だからこそ、その三十一文字の向こうにある世界を想像する余白があります。

秋の冷たい空気。
刈り取られた田。
藁の匂い。
粗末な庵。
衣に付く露。
そして、そこにおいでになる天智天皇。
その場所まで、自分の観測点を動かしてみることができます。

すると、「この歌はどういう意味ですか?」という問いが、
**「この景色の中に立ったら、自分には何が見えるだろう?」**という問いに変わります。
私は、そこにこそ、和歌の文化のおもしろさがあると思うのです。

思うに、古典というのは、昔の人が残してくれた「答えの本」ではありません。
むしろ、
自分とは違う時代、違う境遇、違うRelationの中に生きた人の観測点へ、自分を連れていってくれる入口
ではないでしょうか。

現代の私たちは、現代の常識から天智天皇を見ます。
けれど百人一首を読むときくらい、その向きを逆にしてみてもいい。

こちらから千年前を見るのではなく、
千年前の人が立っていた場所から、いまの自分たちを見てみる。

上に立つとは、何だろう。
働くとは、何だろう。
人とともにあるとは、何だろう。
秋の田で露に濡れた一枚の袖から、
そんな問いが立ち上がってきます。

それが、千年以上も前の歌を、
いま私たちが読む意味なのかもしれません。

百人一首の第一番。
それは「昔の答え」を覚えるところからではなく、
千年前の観測点へ、自分の立つ場所を動かしてみるところから始まります。

——今日も良い一日を♪

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