私たちは、過去と未来の「あいだ」を生きています。先人たちから受け取った言葉や文化、伝統や知恵に、自分たちの時代の経験や工夫を重ね、次の世代へ手渡していく。そう考えると、歴史は過ぎ去った昔の出来事ではありません。いまを生きる私たちもまた、その続きをつくっている一人です。今回は「結び」という視点から、過去・現在・未来がつながっていることの意味を考えてみます。

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結びとは、過去から受け取ったものに今を重ね、未来へ手渡す営み。
私たちは、何もないところから突然生まれ、生きているわけではありません。
言葉も、文化も、暮らしの知恵も、家族のあり方も、社会の仕組みも。数え切れないほど多くのものを、私たちは過去の人々から受け取って生きています。
だからといって、「受け継ぐ」というと、なにやら昔のものをそのまま残せといわれているみたいで、すこし窮屈にも思えます。
そうではないのだと思います。
たとえば、一本の木があります。
その木は、昨日までに伸びた枝を捨てて、今日、新しい枝を伸ばすわけではありません。
根から受け取ったものを幹へ送り、幹から枝へ、枝から新しい葉へとつないで生きています。
けれど、新しい葉は、去年の葉と同じではありません。
つながっているけれど、新しい。
ここに「結び」の姿があるのだと思います。
過去を大切にするということは、過去の形をそのまま保存することではありません。
なぜ、これを大切にしてきたのか、この形の奥にどんな願いがあったのかなどと問いながら、
先人たちが残してくれたものの中から、大切なものを受け取る。
そして、そこに**私たちの「今」**を重ねることではないかと思います。
現代には現代の暮らしがあります。
現代の技術があります。
現代だからこそ見える世界もあります。
だから、昔とまったく同じである必要などないのです。
大切なことは、過去を捨てて新しくすることではありません。
過去をそのまま固定することでもありません。
過去から受け取ったものを、私たちが育て、未来を生きる人たちに手渡していくこと。
考えてみれば、私たち自身も「途中」にいる存在です。
歴史の完成点にいるわけではないし、
人類の営みに仮に終末があったとしても、人類の歴史に完成はありません。
私たちは、ずっと昔から続いてきた時間の流れの中で、
ほんのひとときのバトンを預かっているのです。
そうであれば、ただ「昔は良かった」と憧れるだけでなく、
その良かった過去を、次に、未来にどう渡そうかが課題になります。
伝統もそうです。
歴史もそうです。
家族もそうです。
地域もそうです。
そして、人から人へ伝わる思いや優しさも同じです。
おじいちゃんから父へ。
父から子へ。
先生から生徒へ。
先輩から後輩へ。
受け取った人が、そこに自分なりの経験や工夫や思いを少し加えて、次の人へ渡していく。
そうやって人々の営みが続いてきたのです。
もしかすると「結び」とは、二つのものをただ結びつけることではないのかもしれません。
過去から今へ。
今から未来へ。
そして未来の人たちも、私たちから受け取ったものに自分たちの「今」が重なり、さらにその先へと手渡されていくものです。
すると、結びは、一度結んだだけで終わるものではなく、結び続けるものだということになります。
つまり、歴史もまた、過ぎ去った過去ではないのです。
名も知らぬ遠い昔の誰かが生きた一日が、いまの私たちにつながっている。
そして、今日を生きる私たちの一日もまた、まだ見ぬ未来の誰かにつながっている。
すべてつながっている。
だから私たちは、過去から何を受け取ったのかだけでなく、
今日、そこに何を重ねて、未来へ手渡すのか。
その問いを持って生きていることになります。
過去と未来の「あいだ」にいる私たちは、
ただ歴史を受け取る人ではありません。
いま、この瞬間にも、
未来へ続く歴史を結んでいる人なのです。
つまり、
歴史は、過ぎ去った過去ではなく、
いまと結ばれ、未来とも結ばれているもの、なのです。
——今日も良い一日を♪
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