私たちは、毎日たくさんのものを見ています。けれど、そこに「なぜだろう?」という問いが生まれた瞬間、それまでただの風景だったものの向こうに、知らなかった世界が見えてくることがあります。問いとは、正しい答えを急いで手に入れるためだけのものではありません。自分の観測点を動かし、まだ見えていない世界へと窓を開くものです。知らないからこそ、おもしろい。わからないからこそ、まだ先へ行ける。今日は、「問い」が私たちの世界をどのように広げてくれるのかを考えてみたいと思います。

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問いを持つと、知らない世界が立ち上がる。
私たちは毎日、たくさんのものを見ています。
朝起きて空を見上げ、道を歩き、人と話し、ニュースを見る、本を読む。
けれど、おもしろいことに、
見えているものが、そのまま見えているとは限りません。
たとえば道端に、一輪の花が咲いていたとします。
何も考えずに通り過ぎれば、
そこにあるのは、ただの景色の一部です。
けれど、そこに花があることに気づき、さらに
「この花は、なぜここに咲いているのだろう?」
と問いを持った瞬間、世界が変わります。
誰かが植えたのだろうか。
種が風に運ばれてきたのだろうか。
毎年ここに咲くのだろうか。
こんな小さな場所で、どうやって冬を越したのだろう。
さっきまで「ただの風景」だったものの向こう側に、
季節や風、土、虫、その場所を通った人々の営みを感じることができるようになります。
花が変わったわけではありません。
問いを持ったことで、見える世界が変わったのです。
歴史も同じです。
「西暦○○年に、○○という出来事がありました」
というだけなら、歴史は、ただの知識です。
けれど、
「なぜ、この人はそんな決断をしたのだろう」
「そのとき、この人には何が見えていたのだろう」
「反対側にいた人からは、どう見えていたのだろう」
「その選択の先に、どんな未来を描いていたのだろう」
そんな問いを持つと、
年号と事件名だけだった歴史の中から、
人間が立ち上がってきます。
そこには喜びもあれば、迷いもある。
恐怖もあれば、希望もある。
人と人とのRelationがあり、
その「あいだ」から生まれた出来事があります。
すると歴史は、過去の出来事を暗記する学問ではなく、
いまを生きる私たち自身を映す世界へと変わっていきます。
古典も同じです。
「これはどういう意味ですか?」
だけなら、現代語訳という答えを得ることができます。
けれど、
「なぜ昔の人は、こんな言葉を残したのだろう」
「この言葉を受け取った人は、どう感じたのだろう」
「千年後の自分が、なぜこの言葉に心を動かされるのだろう」
と問い始めると、
古典の向こうに生きていた人々と、
現代を生きる自分との「あいだ」に、
新しい世界が立ち上がってきます。
だから私は、「問い」に不思議な力があると思っています。
問いは、知らないことを恥じる言葉ではありません。
むしろ、
「自分には、まだ見えていない世界がある」
と認める言葉です。
「わかった」と思った瞬間、世界はそこで閉じます。
「本当にそうだろうか?」
「別のところから見たら、どう見えるだろう?」
「では、どうしたらもっと良くなるだろう?」
と問いを持てば、閉じかけた世界に、窓が開きます。
そして、ここが大切なのですが、
問いには、必ずしもすぐに答えを出す必要はありません。
答えを急げば、私たちは自分の知っている範囲の中から、もっともらしい答えを選んでしまいます。
けれど問いを持ったまま、少し歩いてみるのです。
人の話を聞く。
違う観測点から眺める。
時間を置いて、何度も考えてみる。
するとある日、
「ああ、そういうことだったのか」
と、それまで見えていなかったものが、ふっと姿を現すことがあります。
それは、最初からそこにあったのかもしれません。
ただ、自分には見えていなかった。
だから、問いを持つということは、世界を広げることなのだと思います。
答えをたくさん知っている人だけが、豊かな世界を持っているのではありません。
「なぜだろう」
「本当だろうか」
「ほかの見方はないだろうか」
「この先、どうしたらみんなが笑顔になれるだろう」
そんな問いを持てる人の前に、
昨日まで見えなかった世界が、今日、新しく立ち上がってきます。
知らないことがあるから、おもしろいのです。
わからないことがあるから、まだ先へ行けるのです。
問いを持つと、知らない世界が立ち上がる。
もしかすると「気づき」というのは、問いにすぐ答えを与えることではなく、
問いを抱えて歩いた人の前に、世界のほうからそっと姿を現すものなのかもしれません。
——今日も良い一日を♪
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