自立とは、誰にも頼らず、何でも一人でできるようになることでしょうか。人は、自分の弱さを知るからこそ、誰かの力を受け取り、自分の力で誰かを支えることができます。『古事記』の冒頭に描かれる「むすび」、そしてイザナギとイザナミの物語を、自立とRelationという観点から読み直してみると、「自分で立つこと」と「ひとりで立つこと」の大きな違いが見えてきます。

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自立した人は、自分の弱さも知っている。
「自立」という言葉を聞くと、 誰にも頼らず、自分ひとりの力で生きていくことだと思われがちです。
ちょっと違います。
なぜなら、人は、ひとりでは生きていけないからです。
食べ物ひとつをとっても、農家の人が育て、誰かが運び、誰かがお店に並べてくれています。
家も、服も、電気も、水道も、道路も同じです。
私たちの暮らしは、数え切れないほど多くの人との関係によって成り立っています。
それでも多くの人は、ときに、
「人に迷惑をかけてはいけない」
「人に頼ってはいけない」
「自分のことは自分で何とかしなければならない」
などと思ってしまいます。
もちろん、自分でできることを自分でする姿勢は大切です。
けれど、
自分で立つことと、
ひとりで立つこと。
この両者は、似て異なります。
人には、それぞれ得意なこともあれば、苦手なこともあります。
力の強い人もいれば、知恵のある人もいる。
話すことが得意な人もいれば、人の話を聞くことが得意な人もいます。
だからこそ、人は支え合うことができます。
むしろ、自分の弱さを知らない人ほど、
「自分だけでできる」
「自分の考えが正しい」
「人の助けなど必要ない」
と思ってしまうのかもしれません。
反対に、自分の弱さを知っている人は、
「ここは自分にはできないから、助けてもらおう」
と、自然に言うことができます。
そして自分ができるところでは、
「ここは私がやるよ」と言うことができます。
そこに生まれるのが、人と人との**「あいだ」**です。
自立というのは、人との関係を断ち切ることではありません。
むしろ自分という存在を知り、自分のできることと、できないことを知り、
そのうえで、互いの力を持ち寄ることです。
そこから、ようやく、自立した者同士の支え合いが始まります。
一本の木だけなら、強い風に倒れてしまうことがあります。
けれど森では、木々の根が地中で広がり、互いに支え合いながら生きています。
一本一本の木は、それぞれ自分の根で立っています。
けれど、孤立はしていません。
人も同じです。
自立とは、誰にも頼らないことではなく、
自分の足で立ちながら、人と結ばれることです。
自分の弱さを知ることは、恥ずかしいことではありません。
弱さがあるからこそ、誰かの力を受け取ることができる。
そして自分もまた、誰かの弱さを支えることができる。
古事記の物語は、広大な時空間のはじまりのときに、最初に天之御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)が登場されることから始まります。
けれど、そのあとすぐに、
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
神産巣日神(かみむすびのかみ)
が登場されます。
神様が「個」ではないのです。
最初から、「むすび」なのです。
「むすび」は、ひとりでは成立しません。
誰かと誰かの間にあるものが、「むすび」です。
自分が中心であっても、その自分は、誰かとの「むすび」によって生かされているのだと、古事記はその冒頭から書いているのです。
そして大勢の神々が誕生されたあと、最後にイザナギとイザナミが誕生されます。
そしてこの二柱の神は、互いに支え合うことで国を生み、神々を生まれています。
この「むすび」を、現代的な言葉で捉え直したものが、私のいう Relation です。
Relationは、依存(Dependence)とは異なります。
なぜなら「自立」がなければ、Relationも存在し得ないからです。
妻のイザナミがお亡くなりになられたあと、夫のイザナギは妻に依存し、黄泉の国まで妻を迎えに行きます。
そして、いわば「あなたと一緒でなければ、国も神々も生めないではないか」という思いで、妻を連れ戻そうとされます。
けれど、イザナミはこれを拒否します。
これは、Relationという観点から読めば、ここには「依存するな。自分の足で立て」というメッセージと読み取ることができます。
結果、イザナギは、ひとり国に帰り、そこで禊ぎ祓いをされることで、
最高神であられる天照大御神
時を刻む月読命
男性神の象徴ともいえる須佐之男命をお生みになられます。
つまり『古事記』は、「むすび」の大切さを十二分に語りながら、
その一方で、自立を失った Relation は、Dependence(依存)へと変わってしまう、
と説いているようにも読めるのです。
支え合うことは大切です。
助けてもらうことも大切です。
しかし、「あなたがいなければ私は立てない」になった瞬間、Relationの性質そのものが変わります。
「自立 ↔ Relation」は対立概念ではありません。
むしろ互いを補完しあい、互いを成立させる関係です。
だからこそ、自分で立つことと、ひとりで立つこと、この両者は、似て異なるのです。
自立した人は、自分の弱さを知っている。
だから、人と支え合うことができます。
自立の先にあるものは、孤立でも、孤独なニヒリズムでもありません。
国も個人も、それぞれが自分の足で立ちながら、互いに支え合える社会。
そんな関係を育てていくことこそ、私たちが目指す未来なのだと思います。
——今日も良い一日を♪
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