「自立」とは、誰の力も借りず、一人ですべてを完結することでしょうか。私たちの暮らしは、家族や地域、社会、そして国家に至るまで、無数のつながりによって成り立っています。だからこそ大切なのは、つながりを断つことではなく、その中で自分の足で立ち、自ら選び、その役割と責任を引き受けること。自立と自由、責任、助け合い、そして国家のあり方まで、「つながりの中の自立」という視点から考えます。

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自立とは、自分だけで完結することではなく、つながりの中で自分の役割を引き受けること。
「自立した人」と聞くと、どのような人を思い浮かべるでしょうか。
誰にも頼らず、自分の力だけで生きている人。
自分で働き、自分で稼ぎ、自分のことは自分でする人。
たしかに、それも自立のひとつの姿です。
けれど私たちは、朝起きれば電気をつけ、水道の水で顔を洗い、朝食を食べ、電車や車で仕事へ向かいます。
そこには、電気を届けてくれる人がいます。
水道を維持してくれる人がいます。
食べ物を作る人、運ぶ人、売る人がいます。
道路を整備する人もいれば、社会の安全を守る人もいます。
いうまでもなく、私たちの暮らしは、数え切れないほど多くの人とのつながりによって成り立っています。
ですから、本当の意味で「誰にも頼らず生きている人」など、おそらく一人もいません。
では、自立とは何でしょうか。
それは、「誰にも頼らないこと」ではありません。
つながりの中で、自分の役割を引き受けることです。
家族を考えてみれば、わかりやすいかもしれません。
家族の誰かが食事を作る。
誰かがゴミを出す。
誰かが働いて収入を得る。
誰かが子どもの面倒を見る。
誰かが具合を悪くしたら、誰かが支える。
すべてを一人でする必要はありません。
それぞれができることを引き受け、できないところを補い合うことで、家族という暮らしが成り立っています。
会社も地域も同じです。
「これは自分の仕事ではない」
「誰かがやってくれるだろう」
みんながそう考えたら、その集団はうまく機能しません。
反対に、
「ここは自分がやろう」
「これは自分にできる」
「困っているなら、少し手を貸そう」
そうやって一人ひとりが自分の役割を引き受けることで、人と人とのあいだに信頼が生まれます。
ここで大切なことは、「役割を引き受ける」ということが、
誰かから命令された役割に黙って従うことではないということです。
自分で見て、自分で考え、自分で選ぶ。
そして、その選択ができる状態を自ら整えていく。
そこに自立があります。
これは、個人だけの問題ではありません。
国家も同じです。
いまの日本は、食料、資源・エネルギー、防衛など、国家の存立にかかわる重要な分野の多くを海外に依存しています。
もちろん、国家も他国との関係を断って生きることはできません。
貿易も国際協力も必要です。
しかし、
他国との関係がなければ何も決められないことと、 他国と関係を結びながら自らの意思で選択することでは、まったく違います。
自国の国益を守るために意思決定しようとしても、食料や資源、防衛などを過度に他国へ委ねていれば、その選択肢そのものが狭められてしまうからです。
国益を守るということは、国民の暮らしを守るということです。
そのためには、自分たちの未来を自分たちで選ぶことのできる基盤が必要です。
つまり、国家にも自立が必要なのです。
そして、ここで大切なことがあります。
自立があって、はじめて「つながり」は生きたものになる、ということです。
これは国も個人も同じです。
自立した者同士だからこそ、
「自分は、このつながりの中で何ができるだろう」
と問い、自ら一歩を踏み出すことができるのです。
そして、自らの役割を引き受けることができるのです。
役割を引き受けるということは、同時に、その結果に責任を持つということです。
自分で選ぶことができなければ、その選択に責任を持つこともできません。
だから、
自立と自由と責任は、切り離すことのできないものなのです。
「自立と助け合い」もまた、決して反対のものではありません。
自分にできることは自分で引き受ける。
できないことは素直に助けてもらう。
そして誰かが困っていれば、自分のできる範囲で手を差し伸べる。
これが、つながりの中で生きるということです。
そこには、「依存する人」と「助ける人」という固定された関係はありません。
今日は助ける側だった人が、明日は助けられる側になる。
このことは、子どもの頃に親に守られていた人が、やがて親を支える側になることと同じです。
人はつながりの中で役割を変えながら生きているのです。
国家同士の関係も同じです。
あるときには助け、あるときには助けられる。
互いに足りないものを補いながら、ともに繁栄していく。
しかし、それが成り立つためには、それぞれがまず自分の足で立っていなければなりません。
自立は「孤立」ではありません。
孤立は、つながりを断って一人になること。
自立は、つながりの中で自分の足で立つことだからです。
そこには、自分だけの自由ではなく、同時に責任があります。
自分の選択が、周囲の人にどのような影響を与えるのか。
自分が引き受けた役割が、その先で誰の笑顔につながっていくのか。
そこまで考えて、自分で選び、自分で行動する。
それが、自立した人の姿なのだと思います。
人も国家も、一人では生きられません。
だからこそ、自立するのです。
一見すると矛盾しているようですが、ここに大切な意味があります。
誰かにぶら下がることでもない。
誰かを切り離すことでもない。
互いにつながりながら、それぞれが自分の足で立つ。
そして、
「ここは私が引き受けます」と言える人が少しずつ増えていく。
その一人ひとりの自立が、家族を支え、地域を支え、社会を支え、やがて国家の自立にもつながっていきます。
自立とは、自分だけで完結することではありません。
自分という存在を、より大きなつながりの中に置き、その中で自分にできる役割を、自らの意思で引き受けることのできる自分をつくっていくことです。
自立した人とは、「誰の世話にもならない人」ではありません。
「自分もまた、誰かを支えるつながりの一員なのだ」と知り、その中で自分の役割を引き受けることのできる人です。
そして、その自立した一人ひとりが結ばれるところから、互いに支え合い、ともに未来をつくる社会が始まっていくのだと思います。
——今日も良い一日を♪
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