判決が出れば、事件は終わります。けれど、判決の翌日から人々はまた暮らしていきます。江戸時代の村落では、争った者同士も、その後また一緒に田植えをし、用水を使い、祭りを行わなければなりませんでした。大切なのは、問題をどう終わらせるかだけではなく、そのあと人々がどう歩き始めるか。近世の「内済」や代官の役割を手がかりに、「出口設計(Exit Design)」という観測点から、紛争解決のその先を考えます。

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判決の翌日から、人はまた暮らしていく
――「問題を終わらせる」から「未来を始める」出口設計へ
私たちは、何か問題が起きると、「どう解決するか」を考えます。
争いが起きたら、争いを止める。
事故が起きたら、原因を調べる。
会社で問題が起きたら、責任の所在を明らかにする。
人間関係がこじれたら、話し合って決着をつける。
もちろん、それらは大切なことです。
けれど、ひとつ考えてみたいことがあります。
それが、
問題が終わったら、それで本当に「解決」なのでしょうか。
ということです。
たとえば、二人の人が争っていたとします。
どちらが正しいのかを調べ、ルールに従って結論を出します。
「あなたが正しい」
「あなたが間違っている」
これで争いそのものには、ひとまず決着がつきます。
けれど、その二人が同じ職場で働いている人だったらどうでしょう?
同じ町内に暮らしている人だったら?
家族だったら?
判定が出た翌日からも、二人の人生は続きます。
「問題が終わること」と、
「その先を歩き始められること」は、同じではありません。
ここに、「出口設計(Exit Design)」という考え方の大切なポイントがあります。
講義などでよくお話させていただくことですが、
江戸時代の奉行や代官による裁きは、下手人を処罰すればそれで終わりというほど、単純なものではありません。
当時の社会では、争っている者同士が、裁きのあとも同じ村や町で暮らし続けることが珍しくなかったし、
現代のように、嫌になったら簡単に遠くへ引っ越せる時代ではありません。
村落で民事や刑事の事件が起こり、村落内に対立が起こったとき、
これをおさめるのは、最終的に代官の役割です。
代官は、基本、勘定奉行の配下です。
勘定奉行の最大の仕事は年貢の徴収です。
ですから、部下である代官にとっても、年貢の徴収が基本業務です。
一方、昔の村落では、田植えも稲刈りも、屋根の葺替えも、用水路の手当や取水も、冠婚葬祭も祭りも全部、村中総出です。
村落内で紛争が起こり、これらの行事の執行が困難になって、結果、年貢の徴収量が、激減したとなると、これは誰の責任でしょうか。
ここが問題です。
そう。村落の管理責任者である代官の責任とされたのです。
私の家は直参旗本の家系で、知行地を持つ武家でした。
そこに伝わってきた話では、こうした場合、村落の管理を任されていた代官の責任が問われたといいます。
多くの場合、更迭です。
さらに重大な責任を問われる事態ともなれば、武士である以上、その責任は身分や家にも及びかねません。
だから、単に「どっちが悪い」と紛争に判決を下すだけでは済まなかったのです。
紛争を解決し、村落内の和を保つ。
もっというなら、皆の笑顔を取り戻して、年貢の石高を維持することが、最大の任務であったのです。
だからこそ裁きをするときにも、
「どちらが正しいか」だけではなく、
「この裁きのあと、この人たちはどうやって一緒に暮らしていくのか」
という視点が大切にされました。
こうした近世の紛争解決を考えるうえで、興味深いのが「内済(ないさい)」と呼ばれる仕組みです。
「内済」とは、争いをすべて公的な裁きによって白黒つけるのではなく、当事者間の話し合いや仲介によって和解を図るものです。
近世の訴訟では、この内済によって紛争を収めることも広く行われていました。
もちろん、「内済」という制度そのものが、今日ここでいう「出口設計」と同じだということではありません。
けれど、ここで観測点を少し動かしてみると、興味深いことが見えてきます。
近世の村では、争いが終わったあとも、同じ人々が同じ土地で暮らします。
田植えをし、稲を刈り、用水を使い、屋根を葺き替え、冠婚葬祭や祭りをともに行っていかなければなりません。
つまり、紛争を「終わらせる」だけでは足りないのです。
紛争が終わったあとも、共同体がもう一度動き始められなければならない。
ここに、明治以降に導入された近代的な裁判制度とは、少し異なる「出口」の捉え方を見ることができます。
近代的な裁判制度では、あらかじめ法を定め、裁判官が法に照らして判決を下します。
これは、法によって紛争を解決するための、きわめて論理的な仕組みです。
けれど、判決によって法的に事件が終わっても、人々の暮らしが終わるわけではありません。
判決の翌日から、人々はまた暮らしていくのです。
果たして、本当の意味での「出口」は、判決にのみ、あるものなのでしょうか。
もちろん、これは近代的な裁判制度を否定する話ではありません。
そこにもうひとつ、
「その決着のあと、人々はどう生きるのか」という観測点を加えてみよう、ということです。
戦争で考えると、もっとわかりやすいかもしれません。
敵を倒せば戦争は終わる。
そう考えるなら、軍事的勝利が「出口」になります。
けれど実際には、戦争が終わった翌日から、人々はまた生きていかなければなりません。
町を復興しなければならないし、食べ物をつくらなければならない。
子供を育てなければならない。
商売もしなければならない。
そして昨日まで敵だった人々とも、あるいは戦勝者として乗り込んできた進駐軍とも、再び関係を築いていかなければなりません。
そう考えると、「どうやって戦争を終わらせるか」だけでは足りません。
その先に、
「どうすれば、人々がもう一度歩き始められるのか」
という問いが必要になります。
これが出口設計(Exit Design)です。
国家や戦争のような大きな話だけではありません。
家庭でも、会社でも、友人関係でも同じです。
ケンカをした。
どっちが悪かったか決める。
謝罪する。
「これで終わり」
たしかに、それで事件としては終わるかもしれません。
けれど大切なのは、そのあとです。
明日の朝、また「おはよう」と言えるのか。
一緒に食事ができるのか。
同じ仕事を続けられるのか。
困ったときに、また助けを求めることができるのか。
出口設計が見ているのは、実はそこなのです。
「出口」という言葉から、私たちはつい「終わり」を想像します。
けれど、よく考えてみれば、建物の出口も同じです。
出口の扉を開けたら、そこで世界が終わるわけではありません(笑)。
外には道があり、その道をまた歩いていくのです。
そう考えると、出口とは本来、
終点ではなく、次の道への入口なのかもしれません。
だから出口設計で大切なのは、
「どう終わらせるか」だけではありません。
「そのあと、どんな未来につなぐのか」です。
そして、もうひとつ大切なのが、今日のひとことにある、
「みんなが」という言葉です。
自分だけが勝って先へ進める。
相手は傷ついたまま取り残される。
それでは問題は終わったように見えても、別の問題の種が残ります。
敗者の恨み。
納得できなかった不満。
傷ついた人の悲しみ。
それらは消えたわけではありません。
見えなくなっただけです。
そして、ときには何年も、何十年も経ってから、別の形で現れてきます。
だから出口を考えるときには、
「誰が勝つか」だけではなく、
「このあと、みんながどう歩いていけるだろう」
と考えてみることが大事なのです。
すると、問題を見る景色が少し変わります。
問題が起きたとき、私たちはどうしても過去を見て、誰が悪かったのか、何が間違っていたのか、どうしてこんなことになったのかを考えようとします。
もちろん、それらの検証は必要なことです。
けれど出口設計(Exit Design)では、そこから観測点を少し動かします。
過去から現在を見るだけではなく、
未来から、いまを見るのです。
「この問題が終わったあと、どんな景色になっていたらいいだろう」
そう問い直すのです。
すると、
誰を責めるかではなく、何を直せばよいのか。
誰を排除するかではなく、どんなRelationをつくり直せばよいのか。
何を壊すかではなく、何を次へ残すのか。
などと、問いそのものが変わってきます。
そして、問いが変われば、選ぶ行動も変わります。
出口設計とは、単なる問題解決の技術ではありません。
未来を観測点にして、現在の選択を考えることです。
そして、
問題が終わったあと、その先をみんながもう一度歩き始められるようにすることです。
争いにも、仕事にも、家庭にも、社会にも。
私たちが本当に必要としている場所は、そんな場所ではないでしょうか。
今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
出口設計とは、問題を終わらせることではなく、
その先をみんなが歩き始められるようにすること。
——今日も良い一日を♪
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