「できない」には、ちゃんと理由があります。お金がない、時間がない、経験がない。一人では無理かもしれない。だから、その現実を否定する必要はありません。大切なのは、その次です。「では、どうしよう?」。この問いが生まれた瞬間、目の前の障害ではなく、その向こうにある未来へと観測点が動き始めます。16年をかけて手掘りされた中山隧道の物語から、未来へ身体を向ける「姿勢」について考えます。

今日のひとこと・姿勢は、できない理由を探すときより、「では、どうしよう」と考えたときに未来へ向き始める。

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姿勢は、できない理由を探すときより、「では、どうしよう」と考えたときに未来へ向き始める。

何かをしようとすれば、必ず問題が出てきます。
資金、時間、人材、経験、環境・・・
年齢もあるかもしれません。
「いまさら始めても遅いのでは?」といった心配もあります。

不思議なことに、「できない理由」というものは、探し始めると、いくらでも見つかります。
しかも、見つかった理由の多くは嘘ではありません。
本当にお金がない、本当に時間がない、現実の体力に難しさがある、制度上できないという場合もあります。
ですから、「できない理由なんか考えるな!」というなら、無理があります。

だから、大切なことは、その次なのです。
それが、
「では、どうしようか?」です。

この一言が出た瞬間、私たちの姿勢が変わります。

たとえば、大きな岩が道をふさいでいたとします。
「こんな大きな岩、動かせるわけがない」
これは、現実を正しく見ています。

ところが、「では、どうしよう」
と問いを変えると、
横を通れないだろうか。
別の道はないだろうか。
誰かに手伝ってもらえないだろうか。
道具を使えないだろうか。
そもそも、この道を通る必要があるのだろうか。
など、いくつもの可能性が見え始めます。

岩は、まだそこにあります。
何ひとつ状況は変わっていません。
変わったのは、こちらの姿勢です。
「できない理由」を見ているとき、私たちの視線は、いま目の前にある障害へ向いています。

ところが、「では、どうしよう」と考えた瞬間、視線が障害の向こう側へ移ります。
つまり、観測点が未来へ動くのです。

ここで、もうひとつ大切なことがあります。
「では、どうしよう」と考えるためには、
その先に、どんな未来をつくりたいのかが必要だということです。

目的地がなければ、道を探すことはできません。
だから出口設計では、「何が問題なのか」だけではなく、
「最後に、どうなっていたいのか」を考えるのです。

最後にみんなが笑顔になっている?
誰かを切り捨てずに済んでいる?
次の世代に、より良いものを渡せている?

そんな出口が見えてくれば、
無理だ、できない、仕方がないで思考を止めるのではなく、
「では、そこへ行くには、どうしたらいい?」
という問いを持つことができます。

そして、その問いから工夫が生まれます。
やればできる、のです。

私たちは、ときどき、はじめから「できる人」と「できない人」がいるように考えてしまいます。
けれど実際には、最初から何でもできる人なんて、まずいません。

知らなければ調べ、できなければ習い、一人で無理なら誰かと結ぶ。
失敗したら、やり方を変える。
その繰り返しのなかで、人は少しずつ前へ進むのだと思います。

「できない」で終わるか、「では、どうしよう」と問い続けるか。
その違いは、能力の差だけではありません。
むしろ、いまの自分に能力が足りないからこそ、学ぶ、工夫する、人と結ぶ、という道が生まれます。

新潟県長岡市山古志地区に、昭和24年に完成した『中山隧道』と呼ばれる手掘りのトンネルがあります。
このトンネルは、村人たちが、ツルハシなどを手に、自分たちの手で掘り進めたトンネルです。
完成まで16年。
全長は約900メートル。ほぼ1キロにも及びます。

このあたりは豪雪地帯で、冬場には毎年4mを超える積雪があります。
集落には病院も商店もない。
急病人を峠越えで病院へ運ぶこともあり、命に関わる問題だったのです。
だから、「なんとかしようじゃないか」と思い立った。

だけど、最初から集落全体が賛成したわけではなかったのです。
約60世帯のうち、賛成した約40世帯だけで工事を始めたとされています。
その後、戦争による中断などもありました。
そして、戦後になって集落全体が協力して完成へ向かったのです。

「できるから始めた」のではない。
「なんとかしよう」と始めたから、できる形が少しずつ生まれていったのです。

つまり、大切なことは、
「できる能力を持っているか」より、
「では、どうしよう」と考える姿勢を持てるか。

ここには、Relationもあります。

一人ではできない。
だから、「誰とならできるだろう」という問いが生まれる。
すると、それまで「自分には足りない」と思っていたものが、誰かとの「あいだ」に生まれることがあります。

未来は、一人の能力だけでつくるものではありません。
人と人、知恵と知恵、経験と経験。
それらが結ばれることで、一人では見つけられなかった道が生まれるのです。

生きていれば、どうにもならないことだってあります。
過去は変えられないし、起きてしまった出来事を、なかったことにもできません。
失った時間が、そのまま戻ってくるわけでもない。
失敗を取り返すことだってできません。

だから、そうした起きたことを抱えたまま、
「では、ここからどうしよう」
と問うのです。

できないことも認め、失敗も認め、悔しさも認め、
そのうえで、
「じゃあ、どうしようか」と、未来を向くのです。
それが「姿勢」です。

姿勢が変わったからといって、目の前の岩が消えるわけではありません。
けれど、岩しか見えていなかった世界に、道が見え始めます。

未来とは、最初からどこかに用意されているものではなく、
「では、どうしよう」という問いから、少しずつひらかれていくものだからです。

——今日も良い一日を♪

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