人と人は、同じにならなければ仲良くできないのでしょうか。夫婦も、親子も、友人も、それぞれ違う人間です。考え方も感じ方も違って当然です。大切なのは、その違いをなくすことではなく、違うまま互いに響き合い、その「あいだ」から新しいものを生み育てていくこと。日本が古くから大切にしてきた「結び(むすひ)」には、そんな知恵が込められているのかもしれません。
今回は、「Entity」から「Relation」へと観測点を動かしながら、違いを分断ではなく、新しい未来を生み出す力へと変えていく「結び」と「和」について考えます。

_
結びとは、誰かと同じになることではなく、違うまま響き合える関係を育てること
人と人が仲良くなることについて、私たちはついつい、考え方を同じにすることだとか、意見を一致させることのように考えてしまいがちです。
本当にそうでしょうか。
夫婦でも、親子でも、友人でも、長く付き合えば付き合うほど、「同じではない」ということがわかってきます。
長年連れ添った夫婦でも、好きな食べ物も違うし、ものの見方も違うし、大切にしていることも違います。
同じ出来事を見ても、感じ方さえも違います。
そこで、「私と同じように考えてほしいわ」とか、「オレが正しいのだから、オマエもそう考えるべきだ」などとやると・・・こじれます。
なぜなら、相手を自分と同じ形にしようとするからです。
だから日本では古来、「結び」を大切にしてきたのです。
「結び」は、違いをなくすことではありません。
違いがあることを前提として、その「あいだ」に何を育てるかを考えます。
たとえば、合唱を考えてみるとわかりやすいかもしれません。
全員がまったく同じ音程、同じ高さの声だけを出していたら、それはユニゾンにはなっても、ハーモニーにはなりません。
高い声があり、低い声があり、主旋律があり、それを支える声がある。
それぞれが違うからこそ、ひとりでは生み出せなかった響きが生まれます。
人と人との関係も、同じです。
「あなたはそう考えるのですね。
私はこう考えます。
では、この違いを持ったまま、私たちは何を生み出せるでしょうか」
このように問いかけたとき、
視線は「私」と「あなた」のどちらが正しいかというところから、
二人の「あいだ」へと移ります。
「Entity」から、「Relation」へとシフトするのです。
別な言い方をするなら、「観測点」が移動する。
ここで大切なことは、単に「仲良くしましょう」という話ではないということです。
意見が違ってもよい。ときには反対してもよい。もちろん議論になることもあるでしょう。
ただし、目的に違いがあります。
「相手を自分と同じにすることを目的にしない」のです。
違う者どうしが関わることで、そこに、それまで存在しなかった何かが生まれます。
それが「結び」です。
日本神話の冒頭にも、「産霊(むすひ)」という言葉があります。
「むす」は、ものが生まれ、育っていくこと。
そこから「苔むす」「むすこ」「むすめ」といった言葉も生まれたといわれます。
「結び」とは、異なる二つのものを縛って固定することではありません。
異なるものが関わることで、そこから新しい命を生み育てるためのものです。
ですから、むしろ違うことを歓迎します。
高御産巣日神、神産巣日神に象徴される「むすひ」も、異なるものの関わりから、新たなものを生み育てていくはたらきとして捉えることができます。
イザナギ神とイザナミ神も、もちろん異なる御存在です。
一体化する必要もないし、違いは邪魔なものではないのです。
違いがあるから、そこに新しい響きが生まれる。
違いがあるから、新たな発見があり、よろこびがある。
そして、その響きから何を育て、どんな未来へつないでいくのかを考えるとき、
結びはさらに「出口設計」へとつながっていきます。
同じになる必要はない。
違うままでいい。
ただ、その違いを壁にするのではなく、
互いの違いが響き合う「あいだ」を育んでいくのです。
「和」とは、みんなを同じ色に染めることではありません。
みんなが金太郎飴になることでもありません。
みんながそれぞれの色を残したまま、全体として美しい景色をつくるためのものです。
今日もまた、誰かとの「違い」に出会ったとき、
「どちらが正しいのだろう」だけではなく、
「この違いから、何を生み出せるだろう」と問いかけてみたいのです。
そこからきっと、新たな「結び」が始まるのではないでしょうか。
——今日も良い一日を♪
_
■新刊 大好評発売中
これが私の集大成本です。
『思想の時代は終わった』
https://amzn.to/3P5D0lS

_


