人を見るとき、私たちはつい「あの人はこういう人だ」と決めつけてしまいます。けれど、人は相手との関係によって、さまざまな姿を見せるものです。ならば見るべきものは、人そのものだけではなく、人と人との「あいだ」に生まれているものではないでしょうか。観測点を自分から相手へ、そして二人の「あいだ」へと動かしてみる。そこから、対立を越え、未来を自分たちで選んでいくRelationの知恵が見えてきます。

今日のひとこと・Relationとは、人を見ることではなく、人と人の「あいだ」に生まれるものを見ること。

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Relationとは、人を見ることではなく、人と人の「あいだ」に生まれるものを見ること。

人を見るとき、私たちはつい、その人自身を評価しようとします。
「あの人は優しい」
「あの人は頑固だ」
「あの人とは話が合わない」
「あの人は信用できる」
けれど、同じ人でも、相手が変われば見せる顔が変わります。

ある人の前ではよく笑うのに、別の人の前では無口になる。
家庭では穏やかな夫が、職場では厳しい上司になることもあります。
普段は無愛想に見える人が、我が子や動物の前では驚くほど優しい表情を見せることもあります。

では、その人の「本当の姿」は、どれなのでしょうか。

もしかすると、どれもその人なのかもしれません。

人は、一人だけで完結して存在しているわけではありません。
日々誰かと出会い、言葉を交わし、何かを受け取り、何かを返しながら、人と人との「あいだ」で、さまざまな姿を現しながら生きています。

Relationという観測点から見るのは、そこです。

「この人は、どんな人なのか」と相手を記号化して決めつけるのではなく、
「相手にはどのように見えているのだろうか」と観測点を相手に移します。
そして、相手との関係性に着目します。

安心が生まれているのか。
緊張が生まれているのか。
信頼が育っているのか。
遠慮や警戒が生まれているのか。
あるいは、互いに新しい気づきを与え合っているのか。

たとえば、二人が喧嘩をしたとします。

「オマエが悪い」
「いや、オマエこそ悪い」

このときの目線は、お互いに自分目線だけです。
そこで、視点を相手に移します。
相手の立場で自分を見るのです。

言葉が足りなかったのかもしれない。
期待のずれがあったのかもしれない。
お互いが違う景色を見ていただけなのかもしれない。

すると、問題は「悪い人を見つけること」から、
「このあいだを、これからどう育てていくか」へと変わります。
ここが大切なのだと思います。

もし、こうした姿勢が世界の常識であったなら、通州事件のような惨劇は避けられたかもしれません。
アメリカの南北戦争も、違った出口を見いだせたかもしれない。
そして、500年に及ぶ植民地支配も、まったく違う歴史をたどったかもしれません。

Relationというのは、人間そのものを否定したり評価したりするための考え方ではありません。
人と人の「あいだ」に何が生まれ、
それがどこへ向かおうとしているのかを見るための観測点そのものを移動させる考え方です。

人と人との「あいだ」は、固定されたものではありません。
昨日までぎくしゃくしていた関係が、たった一言の「ありがとう」で変わることもあります。
長年わかり合えなかった人と、ある出来事をきっかけに、突然、笑い合えることもあります。

人そのものを変えることは、簡単ではありません。
そもそも相手は変わりません。
けれど相手との「あいだ」は、今日の言葉ひとつ、姿勢ひとつで変えていくことができます。

だから、相手との「あいだ」に生まれるものを育てようとするのです。

「あいだ」に何を育て、どんな未来へつないでいくのか。
そこに、私たち自身が、自分で未来を選ぶための知恵があります。

——今日も良い一日を♪

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