私たちは問題に出会うと、つい「正解は何か」「誰が悪いのか」と答えを急いでしまいます。けれど、同じ出来事でも問いの立て方を変えるだけで、それまで見えなかった背景や可能性が姿を現すことがあります。良い問いとは、答えを早く閉じるものではなく、まだ見えていない世界への扉をひらくもの。歴史を学ぶことも、未来を考えることも、実は「どんな問いを置くか」から始まるのかもしれません。

今日のひとこと・良い問いは、答えを急がず、まだ見えていない世界への扉をひらく

_

良い問いは、答えを急がず、まだ見えていない世界への扉をひらく。

私たちは何か問題に出会うと、これは正しいか間違っているか、 賛成か反対か、犯人は誰だ、誰が悪いのかなどと、つい、「答え」を急いでしまいます。

もちろん、答えを出すことは大事なことです。
けれど、あまりに早く答えを決めてしまうと、その瞬間から、私たちは「その答えに合うもの」だけを見るようになってしまいます。

たとえば、「誰が悪いのか?」と問えば、私たちは犯人を探し始めます。
けれど、「どうして、こんなことが起きたのだろう?」と問えば、背景や事情が見えてきます。
さらに、「同じことを繰り返さないためには、どんな関係を築けばよいのだろう?」と問えば、視線は過去から未来へと移っていきます。

出来事が同じでも、
問いの立て方が変わるだけで、見えてくる世界が変わるのです。

だから「良い問い」とは、すぐに答えを得ようとするものではないと思います。
むしろ、

まだ何か見落としはないか。
違う立場で見たら、どう見えるか。
このまま行くと最後にはどうなるのだろうか、などと、

私たちの心を、いま見えている景色の外側に連れて行ってくれる問いが大事だと常々思うのです。

歴史を学ぶときも同じです。
「誰が正しかったのか」だけで歴史を見れば、歴史は「勝者と敗者」、「善人と悪人」の物語にしかなりません。
けれど、
なぜ、その人はその選択をしたのだろう
そのとき、人と人の間にはどんな関係があったのだろう
その選択は、最後に何を生んだのだろう
別な筋書きは考えられないか、などと問い直してみる。

すると歴史は、過ぎ去った出来事ではなく、未来を考えるための知恵に変わっていきます。

気づきとは、どこかから突然「正解」が降ってくることではないのかもしれません。
ひとつの答えに飛びつかず、
「本当にそうだろうか?」
と、もう一度問いを置いてみる。

その小さな余白から、それまで見えなかったものが姿を現す。
もしかすると、これが気づきの正体かもしれません。

だから、答えが出ない時間も大切です。
なぜなら、わからないからこそ考えるからです。
考えるから、新しい問いが生まれる。
そして問いが変わると、それまで閉じていた扉が、ふっと開くことがあるのです。

良い問いは、答えを閉じるためのものではありません。 まだ見えていない未来を、ひらくためのものなのです。

今日、何かひとつ「わからないこと」に出会ったら、すぐに答えを決める前に、もうひとつだけ問いを置いてみてください。

その問いの向こうに、昨日までは見えなかった景色が待っているかもしれません。

と言いながら、一昨日から大事なスライド作りがぜんぜん進まず苦しんでいるねずさんでした(笑)

——今日も良い一日を♪

_

■新刊 大好評発売中
これが私の集大成本です。
『思想の時代は終わった』
https://amzn.to/3P5D0lS

_

Screenshot

ブログも
お見逃しなく

登録メールアドレス宛に
ブログ更新の
お知らせをお送りさせて
いただきます

スパムはしません!詳細については、プライバシーポリシーをご覧ください。