世界を思い通りにすることはできません。けれど、起きた出来事とどう向き合うかは、自分で選ぶことができます。感情を押し殺すのではなく、感情と行動との間にほんの少しの「余白」をつくる。そこから観測点を動かし、Relationを結び直し、未来の出口を考えてみる。今回は「姿勢」という言葉から、人が自分の人生を生きるための自由について考えてみたいと思います。

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世界は選べなくても、向き合い方は選べる。
世の中、思い通りにならないことばかり……とは、よく言ったものです。
せっかく準備したのに、うまくいかない。
一生懸命説明したのに、わかってもらえない。
信じていた人に、思いが伝わらなかった。
楽しみにしていた日に雨が降った。
そんなこと、いくらでもあります。
けれど、考えてみれば当たり前です。
世界には、自分以外の人がいます。
その人には、その人の考えがあります。
自然には自然の動きがあり、社会には社会の事情があります。
つまり世界は、もともと「私の思い通りになるようにできている場所」ではない。
では、私たちは無力なのでしょうか。。。と、ここが大事なところです。
そうではないと思うのです。
雨を止ませることはできなくても、傘をさすことはできます。
相手の考えを変えることはできなくても、その人の話をどう受け止めるかは選べます。
起きてしまった過去を変えることはできなくても、そこから何を学び、明日へどうつなぐかは選べます。
この「選べるところ」に、人の自由があると、そのように思うのです。
それが「姿勢」です。
姿勢というのは、いつも笑顔でいることでもなければ、何が起きても「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせることでもありません。
悲しいときは、悲しいのです。
腹が立つときは、腹が立つのです。
怖いときには、怖いのです。
それでいい。
大切なことは、そのときの「瞬間の感情」に支配されて、自分の「進む方向までも決めてしまわない」ことだと思うのです。
起きた出来事に感情が反応します。
感情は、違和感を感じ取るための、大切なセンサーです。
大切なことは、その感情と、次にとる自分の行動との間に、ほんの少しの隙間を空けること。
その隙間が余白です。
余白があると、世界の見え方が少し変わります。
たとえば誰かに厳しい言葉を言われたとします。
「なんてひどい奴だ」と感じます。
センサーが働いたのです。
人にもよると思うのですが、こうして感情が働いたときに、瞬間的にまことに上手な、まさに当意即妙といった受け答えができる人がいます。
すごいな、と思います。
それはまことに、うらやましいほどです。
けれど私などの場合、言われた瞬間は、どちらかというと何を言われているのかわからず、
「ええ〜っ! そうなんですねー」となる。
そして、毎度、ショックがあとから来る(笑)。
もちろん瞬間湯沸かし器みたいに、瞬間的に沸騰して、ムッとすることもあります。
どちらの場合であっても、一瞬、保留にします(笑)。
そしてほんの少し観測点を動かして、
「この人には、何が見えているのだろう」
「なぜ、この言葉が出てきたのだろう」
と考えてみます。
もちろん、相手の言うことを受け入れるためばかりではありません。
理不尽は理不尽です。
耐え続ける必要もありません。
離れることだって、立派な姿勢です。
「ここから先は受け入れません」と境界を引くことも、自分で選ぶ姿勢です。
つまり姿勢は、「我慢すること」ではありません。
意図して余白をつくり、観測点を移動して、
世界と自分とのRelationを、自分で結び直すことなのだと思います。
このことについて、30年ほど前にジェームズ・スキナー先生から『7つの習慣』の研修をいただいたときに、先生は「刺激と反応との間に、隙間をつくる」のだと述べられていました。
刺激を受けて、ただ反応するだけなら、ベルが鳴るとヨダレをたらすパブロフの犬と同じです。
だから、刺激と反応の間に、隙間をつくる。
これが「主体性を発揮する」ことだと教えていただきました。
ここには、出口設計(Exit Design)も関係してきます。
目の前の出来事だけを見るなら、「誰が悪い」「どちらが正しい」という話になりがちです。
けれど、
「この出来事の先に、どんな未来をつくりたいのだろう」
というところに観測点を動かすと、いま取るべき姿勢も変わってきます。
勝つことが出口なのか。
相手を言い負かすことが出口なのか。
それとも、違いを抱えたままでも、明日また笑顔で話せることが出口なのか。
出口が変われば、姿勢も変わります。
世界を、自分の思い通りにすることはできません。
けれど、世界とどう向き合うかは、自分で選ぶことができます。
雨の日には、雨の日の歩き方がある。
向かい風の日には、向かい風の日の歩き方がある。
ときには立ち止まることもできる。
世界を支配することではなく、
世界との「あいだ」に、どんな自分を置くのか。
その選択を誰かに明け渡さず、自分で引き受ける。
『古事記』によれば、スサノオは「海原を知らせ」と命じられていながら、自分の母に会いたいという感情に支配され、結果、父大神から海原を追放されました。
高天原でも大暴れして、そこを追放されました。
けれど、その責任のいっさいを自分で引き受け、奥出雲の鳥髪村でヤマタノオロチを退治されました。
そして天叢雲剣を献上して高天原との融和を図られ、自分の娘である宗像三女神を、新たに海原を知らす、つまり海の守り神とされ、偉大な大神となられました。
失敗もする。
行き過ぎもある。
うまくいかないこともある。
努力しているのに認められないこともある。
けれど、それでも自分なりに誠実に生き、自分の行為の責任を自分でしっかりと引き受けながら、一生をかけて自分と周囲の関係性を整えていく。
これが、日本古来の神話の時代から続く、日本の関係性の文化(Culture of Relationships)なのだと思います。
今日もきっと、いろいろなことが起こると思います。
そのすべてを選ぶことはできません。
けれど、
「さて、自分はこれと、どう向き合おうか」
その問いだけは、いつでも自分の手の中にあります。
世界に対する決定権はない。
けれど、自分の姿勢に対する決定権は手放さない。
——今日も良い一日を♪
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