忙しい毎日の中では、「もっと頑張らなければ」と思いがちです。けれど、本当に大切な気づきは、心に少し余白ができたときに訪れることがあります。日本人が古くから大切にしてきた「間」の文化と、自身の仕事を通して気づいた「余白」の力について考えてみました。

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余白は、次の気づきを迎え入れる器。
毎日忙しく過ごしていると、「もっと頑張らなければ」「もっと詰め込まなければ」と思ってしまうことがあります。
けれど、本当に大切な気づきは、慌ただしさの中から生まれるとばかりは限りません。
昔の人は「馬上枕上厠上(ばじょうちんじょうしじょう)」と言いました。
馬に乗っているとき、枕に頭をのせているとき、お手洗いにいるときのような、ふっと力の抜けた時間に良い考えが浮かぶという意味です。
たしかに、お散歩をしているときや、お茶を飲んでいるとき、窓の外をぼんやり眺めているとき、あるいは、誰かの話に耳を傾けているとき。
そんな何気ないときに、「あっ!そういうことだったのか」と、ふっと心が開けることがあります。
それは、心に「余白」があったからかもしれません。
コップに水がいっぱい入っていたら、新しい水は入りません。
予定も、考えも、感情もいっぱいに詰め込んでしまうと、
新しい気づきが訪れても受け止めることができないのです。
実は、これは私自身が仕事を通して何度も感じてきたことでもあります。
普段、私は文章を書く仕事と、人前で話す仕事の両方をしています。
不思議なことに、文章を書くときと、人前で話すときでは、頭の使い方がまるで違います。
文章を書いた直後に講演をしようとしても、なかなか言葉が出てきません。
逆に、講演や収録を終えた直後は、文章がまとまらなくなります。
私は長い間、それを単なる習慣だと思っていました。
けれど最近になって気づいたのです。
頭にも、心にも、新しい働きを迎え入れるための「余白」が必要なのではないか、と。
日本では古くから、「間(ま)」を大切にしてきました。
もしかすると、私が感じているこの切り替えの時間も、その「間」の一つなのかもしれません。
日本の美意識は、何かを足し続けることではなく、余白を生かすことにありました。
庭園の静けさ、茶室の簡素さ、水墨画の白い空間、生花の間、俳句のわずか十七音。
どれも「そこに何もない」のではなく、見る人、聞く人、感じる人の心が入る余地を、大切にしていたのです。
私たちの毎日の暮らしも、きっと同じなのだと思います。
予定を少し空ける、相手の話を最後まで聞く、すぐに答えを出さず一晩寝かせてみる。
そんな小さな余白が、新しい気づきを迎え入れる器になってくれます。
焦って答えを探すよりも、まず心に余白をつくってみる。
すると、その余白が器となって、昨日まで見えなかった景色や、新しい気づきを、そっと迎え入れてくれるかもしれません。
——今日も良い一日を♪
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