「感謝しましょう」と言われることがあります。
けれど感謝とは、本来、努力して増やすものなのでしょうか。
朝、目が覚めること。水が出ること。誰かが社会を支えてくれていること。そうした“すでに与えられているもの”に気づいたとき、人の中には自然に「ああ、ありがたいなあ」という気持ちが立ち上がります。そして実は、その感覚こそが、「出口設計」という大切な視点にもつながっていくのです。

感謝は、増やそうとするものではなく、気づくもの

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「感謝しましょう」・・・よく聞く言葉です。

もちろん、それ自体は大切なことです。
けれど、ときどき私は思うのです。
「感謝というのは、
 無理に増やすものではないのではないか」と。

感謝を増やそうとすると、
どこかで感謝が「義務感」になります。

ありがたいと思わなきゃ。
前向きにならなきゃ。
ちゃんと感謝できる人間にならなきゃ。
そうなると、心は少し苦しくなります。

そうではなく、本来、感謝というのは、もっと自然なものです。
自然に立ち上がる、と言った方が良いかも知れない。

たとえば、朝、目が覚めること。
蛇口をひねれば水が出ること。
コンビニに行けば食べ物があること。
道が整えられていること。
誰かが働いてくれていること。
自分が眠っている間にも、世界のどこかで、誰かが社会を支えてくれています。

そういうことに、ふと気づいた瞬間に、
「ああ、ありがたいなあ」という気持ちが、心のなかに自然に立ち上がります。

つまり感謝は、意図して作り出すものではなく、
すでに与えられているものに、気付くことではないかと思うのです。

不思議なことに、感謝に気づけるようになると、人はちょっとだけやさしくなります。
奪おうとする気持ちより、守ろうとする気持ちが育ちます。
不満より「いま、ここにあるもの」を大切にしたくなります。

それは、世界の見え方そのものが変わるということなのかもしれません。

実はここに、「出口設計」の大切な視点があります。

感謝を知らない人は、もっと欲しい、もっと勝ちたい、もっと支配したいに向かいやすいものです。
けれど、すでに与えられているものに気づける人は、「どう終われば美しいか」を考えられるようになる。

奪い尽くして終わるのではなく、次の世代へ、どう手渡すか。
相手を打ち負かして終わるのではなく、関係をどう整えて終えるか。
自分だけが得をして終わるのではなく、みんなが無理なく生きられる形へ、どう着地させるか。
これ、国家、社会、人間関係、夫婦、経済、全部に通じる言葉です。

感謝は、単なる「良い感情」ではなく、出口を整えるための基盤となる視点です。
だからこそ、感謝は増やそうとするものではなく、「気づく」ものなのだと思います。

今日も良い一日を♪

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